第321話 ズル休みと後輩ちゃん

 

 教科書ノート筆箱を入れた。弁当も入れた。制服も着た。寝癖も直した。学校に行く準備は整っている。あとは目の前にある靴を履いて、玄関を出ればいい。


 なのに、俺は立ち止まって動かない。動けない。身体が言うことを聞かない。


 少し遅れて、どこか他人事のように、漠然とその理由がわかった。一度わかってしまうと、心が悲鳴をあげる。



「先輩? 突然どうしたんですか? 後ろが詰まってますよ~!」



 順番待ちしていた後輩ちゃんが、背後から肩をトントン叩いてくる。振り向くと、肩に手が置かれていた。後輩ちゃんの人差し指が俺の頬をぶにっと押す。



「あはは! 引っ掛かりましたねぇ~!」



 楽しそうにケラケラと笑う制服姿の後輩ちゃんの笑みが、俺の顔を見て凍り付いた。目を見開いて驚き、悲鳴のような声をあげる。



「せ、先輩!?」


「後輩ちゃん」


「は、はい! 先輩の彼女の超絶可愛い後輩ちゃんです。一体どうしましたか? お腹ぽんぽんでも痛くなりましたか? 気分が悪いとか? それとも、今ので怒りましたか?」


「俺は休む」


「……はい?」


「俺は学校を休む」


「はぁ?」



 後輩ちゃんがキョトンとしている。俺はもう決めたんだ。今日は学校に行きたくない。行きたくないって思ってしまった。身体が動かない。部屋から出たくない。今日は休む!


 数秒後、俺の言葉をやっと理解した後輩ちゃんが、胸ぐらを掴む。



「何故ですか!? 何故今になって!? もう学校に行く準備が出来て、あとは行くだけじゃないですか!」


「突然思ったんだ! 行きたくない! 今日は休むんだ! 絶対休むからな! 学校には行かないぞ!」


「で、出た……先輩のサボり癖。最近は無くなったと思ってたのに、今までの分の反動が今日になってやって来ましたか……」



 何故今まで頑張っていたのだろう。去年は沢山休んだじゃないか。出席日数ギリギリまで休んだぞ。おかげで、最後の最後に風邪を引いて足りなくなってしまったけど。



「明日にしませんか? 今日はもう……」


「いや、今日休む。絶対今日。今日しかない」


「な、なんでそんなに強情なんですか……」


「絶対に譲れない! 俺は今日休む!」


「先輩が子供みたいに駄々をこねてます……。はぁ……わかりました。先輩が休むのなら、私も休みますよ」



 えっいや、別に後輩ちゃんは休まなくて学校に行っても……。



「何か?」


「い、いえ。何でもありません。後輩ちゃんと一緒にいられるのでとても嬉しいです」



 こ、怖かったぁ。物凄い笑顔だったのが猛烈に怖かった。命の危険を感じた。女性って何でそんなに勘が鋭いんだ? 俺の心をあっさりと読んでるし。後輩ちゃんは超能力者じゃないよね?


 後輩ちゃんが折れてくれたので、今日は休もう! そうと決まれば制服なんておさらばだ! 俺は後輩ちゃんの手を取って、意気揚々と寝室に消えるのだった。



 ▼▼▼



 お昼。学校をズル休みして、午前中はゲームをして過ごした俺たちは、お弁当を食べていた。最初は、学校に行く予定だったので、お弁当を作っていたのだ。家でお弁当を食べるのも偶にはありかもしれない。



「先輩、あ~ん♡」


「あ~ん。もぐもぐ。美味しいなぁ。後輩ちゃんもあ~ん」


「あ~ん♡ んぅ~! 美味しいですぅ~」



 普段と同じように食べる俺たち。あ~んすると美味しいなぁ。


 突然、玄関のドアが勢いよく開く音がした。


 ドタバタと大きな足音が聞こえてきて、勢いよくある人物が部屋の中に入ってくる。



「弟くん!? 妹ちゃん!? 大丈夫なの!?」


「ふぇっ? お姉ちゃん? おかえり~」


「おけ~り~姉さん。どうしたんだ? そんなに慌てて。学校は?」



 必死な形相だった桜先生が、のんびりとご飯を食べている俺たちを見て、へなへなと床に崩れ落ちた。はぁ~、と安堵した息を吐く。



「よかったわぁ~。安心したぁ~」


「「 何が? 」」


「だってぇ、弟くんと妹ちゃんが体調を崩して休んだって聞いたから、居ても立っても居られなくなって、お昼休みになった直後にこうやって確認しに来たのよぉ~。朝から元気だったじゃない。病気かと思ったわぁ。あぁ~良かった」



 あぁー。それは申し訳ない。桜先生に連絡するのをすっかり忘れていた。愛されてるなぁ、俺たち。ちょっと嬉しい。いや、とても嬉しい。


 取り敢えず、桜先生にお茶を注いで渡す。コクコクと飲み干し、ぷはっと艶めかしい声を出す。それ、外ではやらないでね。男が昇天するから。



「さて、弟くん、妹ちゃん。そこに正座してくれる?」


「「 は、はいっ! 」」



 ニッコリ笑顔の桜先生から、物凄い圧力を感じて、俺たちは素直に床に正座した。こ、怖い。怖すぎる。蛇に睨まれた蛙。肉食動物に狙われた草食動物。桜先生に睨まれ、本能が恐怖する。


 あのポンコツで残念な姉が激怒している!?


 怒気を発することなく、声も荒げることなく、ニッコリ笑顔のままいつも通りの口調で言う。



「お姉ちゃんに何か言うことは?」


「「 仮病使ってズル休みして申し訳ございませんでした 」」



 俺と後輩ちゃんは、華麗な土下座を決める。土下座選手権があったら、優勝できるくらいの綺麗な土下座だ。


 桜先生も現役の女教師だ。ズル休みとか許せないよね。


 ガクガクブルブルと震えて床に額を擦り付けていると、姉の声が上から降ってくる。



「別にそんなことはどうでもいいの」


「「 えっ? 」」



 思わず顔を上げると、プルプルと震えた桜先生が感情を爆発させた。



「二人とも! どうしてお姉ちゃんも誘ってくれなかったのよぉ~! ずるいじゃない! 出勤前に言ってくれたら、喜んで休んだのにぃ~!」


「「 ………… 」」



 そ、そっちですかぁ~! ズル休みを怒るのではなくて、ただ誘ってくれなかったことに怒っているのか。いや、駄々をこねている子供か?


 プンスカと頬を膨らませている桜先生。とても可愛い。むぅ~、と唸っているのが和む。何この姉。可愛すぎ!



「えーっと、お姉ちゃん? 私たちが休んだことは怒らないの?」


「なんで怒らないといけないの? 休んでいいじゃない。仮病でもズル休みでも。無理して学校に来る必要はないわ。休みたければ休んでいいのよ」



 そうだよな! 休みたければ休んでいいよな! 流石俺の姉! よくわかってるぅ~! 大好きだぞぉ~!



「な、なんか弟くんからラブラブオーラが! お姉ちゃんも大好きよぉ~! でも、誘ってくれなかったことは許しません。お姉ちゃんは猛烈に怒っています」


「いや~突然休みたくなってね。家を出る直前だったんだ」


「お姉ちゃんに言うことは?」


「誘わなくて申し訳ございませんでした」


「次は誘うこと。いい?」


「了解いたしました……って、社会人がいいのか? 大人で教師なんだろ?」


「いいのいいの。仮病でもいいから有休を使ってくれって、教頭先生に泣いて懇願されているの。頑張るのもほどほどにって。先生たちから心配されているみたい」



 桜先生は、家の外だとしっかりしているからなぁ。家の中だとポンコツで残念だけど。


 次は……あるかどうかわからないけど、休みたくなったら今度は三人でズル休みしよう。うわぁーいけない姉弟だな。


 桜先生は、俺と後輩ちゃんをお説教(?)すると、仕事があるから、と学校に戻っていった。


 俺と後輩ちゃんは、ご飯を食べ終わると、午後からもゆっくりまったりのんびりして過ごしたのだった。


 ズル休み最高!

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