第318話 『おかえり』と美緒ちゃん先生

 

「あぁ! 紅葉を観るのを忘れてました!」



 昨夜は体力を搾り取られ、ほぼ寝てなくて睡眠不足で、そこから新幹線や電車やバスを使って約4時間半の道のりを移動し、さらに家まで歩くという拷問を強いられている俺に、何故かお肌がツヤツヤプルンプルンしている後輩ちゃんが元気な声を出した。


 現在俺たちは家に向かって歩いている。駅に車を止めると駐車料金がかかるということで、行きは車を使用しなかった。でも、馬鹿だった。帰って来たときの疲労を予想しておくべきだったのだ。歩いて帰るなんて辛すぎる。


 疲労でぼんやりした頭で思い出す。紅葉ねぇ。そう言えば俺も観なかったなぁ。折角山に行ったのに、そんな余裕がなかった。亡くなった桜先生のご両親への報告で頭がいっぱいだった。桜先生も心配だったし。杞憂に終わったけど。


 同じくお肌がツヤッツヤプルルンッとしている桜先生が、それもそうねぇ、と同意する。



「これから近くの紅葉してる場所に行っちゃう?」


「行っちゃう!」


「……待ってくれ。俺はそんな元気はない」



 元気な二人に引っ張られる前に、俺はかすれた声で止める。今の俺は目の下に隈があり、頬がげっそりとしているだろう。干物の直前だ。


 後輩ちゃんが、可愛らしく顔を覗き込んできた。ポニーテールが揺れ、美しい瞳が俺の顔を捉える。



「先輩、だらしないですよ~。若いんだから元気を出しましょ~!」


「……元気を吸い取ったのはどこのどいつらだ?」


「「 は~い! 」」



 元気で素直なお返事ですね。実に素晴らしいです。花丸をあげましょう。


 くそう! 二人は淫魔か!? 何度か後輩ちゃんが言っていたけど、女性って男からいろいろなものを吸い取って、更に綺麗に可愛く美しくなるそうだ。今の二人は、とても美しい。



「昨夜の先輩は逞しくて素敵でしたぁ……」


「男らしかったわぁ。素敵よ」



 ぐはっ!? なんという美しさだ。なんという妖艶さだ。艶やかに微笑み、チロリと唇を舌で舐めるのが蠱惑的だ。ある程度慣れている俺ですら理性がぶっ壊れそう。公共の場にいるから何とか理性を保てている。



「この人はいつまでヘタレれば気が済むのでしょうか?」


「さあ? 最近は襲っちゃったほうがいいかもって思い始めてるわ」


「周りに人はいないけど、公共の場だから口を慎んでくださーい。ほらほら帰るぞ!」


「「 ……ヘタレ! 」」



 ヘタレで悪かったな! 後輩ちゃんと桜先生が呆れのため息をつき、両腕に抱きついてきた。軽く肘撃ちもされる。ちょっと痛いです。



「近くに公園がありましたよね? ちょっと寄っていきましょう」


「……本当に行くのか?」


「ほらほら弟くん! 紅葉こうようを観に行!」



 えーっと、今のはダジャレだよな? 親父ギャグだよな?


 一瞬考えてしまって、咄嗟に反応することが出来なかった。後輩ちゃんも同じ様子。気まずい沈黙が流れる。


 あら、と目をパチクリさせて、再び得意げに口を開きかけた桜先生を尻目に、俺と後輩ちゃんは頷き合う。



「さ、流石姉さんだなー。大人のジョーク過ぎて一瞬わからなかったよー」


「セ、センス抜群だね、お姉ちゃん」


「そうでしょそうでしょ? うふふ!」



 桜先生はご満悦。空気を読んで大人の対応をする弟と妹も大変ですな。


 少し遠回りして近くの公園に立ち寄った。公園のイチョウは黄色くなりかけているが、まだ全部は変わっていなかった。


 最近は、異常気象によって紅葉が遅くなっていると感じるのは気のせいだろうか?


 三人でベンチに座ってぼけーっと樹々を眺める。疲れきった身体は、一度座ると動かなくなる。足が重くて動かない。まだ帰りついていないのに、疲れがどっと襲ってくる。



「中途半端ですけど、これはこれでいいですねぇ~」


「そうねぇ。あと一週間くらいかしらねぇ~」


「寒くなりましたねぇ~」


「11月も半ばだからねぇ~」


「……くちゅん!」



 くしゃみが肌寒い公園の風に乗って消えていった。両サイドに座る後輩ちゃんと桜先生がプルプルと震え始める。



「……理不尽です。くしゃみが可愛すぎます。何ですか、そのくしゃみは!」


「女の子よりも可愛すぎるわよ、弟くん!」


「そう言われても……くちゅっ!」



 あぁ~じっとしていると寒いなぁ。ズビッ! 早く暖かい家に帰るか。


 女性二人は何故か猛烈に悔しがっている。



「こ、これがヒロイン属性の力ですか……!?」


「今、『ズビッ!』って鼻をすすったわよ。何この可愛さ」


「ブツブツ言ってないで帰るぞ~」


「「 は~い 」」



 今の返事は珍しく元気がなかったな。いつもは元気よく素直な返事をするのに。まあ、偶にはこういう返事もあるか。


 俺たちは疲れた脚を引きずって帰宅する。見慣れたアパートが見えてくると、心が楽になると同時に、余計に疲れを感じる。それは俺だけだろうか? 見えてからが辛いんだよ。


 何とか階段を上って、玄関のドアを開ける。



「ただいまー」


「ただいま帰りましたー!」



 俺と後輩ちゃんが靴を脱いで上がり、クルリと振り返って、桜先生のほうを向く。最後に入ってきた桜先生も当然元気よく挨拶をする。



「ただいまぁ~! お姉ちゃんが帰ったわよぉ~!」


『『「「 おかえりなさ~い! 」」』』


「えっ? 急にどうしたの? なになに?」


「弟の俺と」


「妹の私が、お姉ちゃんに『おかえり』を言いたくて」


「何というかさ、姉さんの帰る場所はちゃんとあるから。独りじゃないんだぞって伝えたくて」



 とても照れ臭い。でも、後輩ちゃんと決めていた。帰った時は桜先生に『おかえり』を一緒に言おうって。


 寂しがり屋の俺たちの姉の綺麗な瞳から、突然、大粒の涙がぶわっと溢れ出した。泣きながら二人まとめて抱きしめられ、床に押し倒される。



「うわ~ん! 弟くんも妹ちゃんも大好きよ~! お姉ちゃんはこんな優しい二人と出会えて幸せ者よ~! うえ~ん!」



 泣くじゃくる姉を、俺と後輩ちゃんが優しく撫でる。やっぱり姉と言うよりは妹って感じだな。ごめんけど、姉の威厳はゼロだ。でも、そういうところが桜先生らしい。


 感極まった桜先生は、俺と後輩ちゃんを同時に抱きしめたまま、しばらくの間泣き止まなかったとさ。
























<おまけ>



「姉さん、落ち着いたか?」


「ぐすっ! お、落ち着ぎまじだぁ~。ぐすっ!」


「お姉ちゃん可愛い!」


「ありがど~。それはそうと、『おかえり』の声が多くなかった? ぐすっ!」


「「 えっ? 」」


「絶対に多かったわよ。男の人と女の人の声。あれは……そう! 私のお父さんとお母さんの声!」


「まさか!?」


「ゆ、ゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆゆ幽霊!? あぁ……俺、無理……」バタリ!


「せ、せんぱ~い!」


「弟くぅ~ん! しっかりしてぇ~!」


 ということが、あったとか、なかったとか。

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