第313話 記憶喪失の俺
温かい。でも、爽やかだ。心地良い場所に横たわっている感覚だ。そして、全身がだるくて重い。これは大量出血のせいだな。血が足りていない。貧血だ。
そんなことを夢の中で思った。
夢? そうか。俺は夢を見ているのか。やけにフワフワしていると思ったら、ここは夢の世界なのか。そろそろ起きないとな。
起きようと思った途端、意識が浮上し、徐々に覚醒する。
俺はゆっくりと目を開けた。ぼんやりとした視界がはっきりしていく。
「……知らない天井だ」
はい、嘘です。思いっきり見慣れた天井です。何故か雨漏りのシミがある天井です。一度言ってみたかったんですよ。言ってみたいセリフランキングのトップ5にランクインするのではないか?
天井のシミを数えている間に終わるから、というセリフもあるな。あっ、これは止めておこう。後輩ちゃんと桜先生に襲われて、拘束された俺に向かって二人が言いそうだ。忘れよう。
うぐっ! ズキズキと鼻が痛む。鼻血のせいだけではない。後輩ちゃんに殴られたからだろう。んっ? 後輩ちゃん?
俺は、意識を失う前のことを思い出してしまった。一糸まとわぬ後輩ちゃんの裸体。平均よりも大きな二つの双丘。秘密の花園。綺麗な桃。ヤバい。興奮する。
「先輩? 目が覚めましたか?」
「だ、誰っ!?」
うわぁっ! ビックリしたぁ! 突然本人が登場して驚いてしまった。あまりにも驚きすぎて、思わず『誰』と口走ってしまった。
ずっと俺の傍で看病してくれていたらしい。パジャマを着た後輩ちゃんが俺の手を握っていた。
自分で言ったのだが、後輩ちゃんに『誰』はないな。反省反省。
後輩ちゃんは、目を見開き、愕然としている。
「だ、誰? 先輩? 私のことを忘れてしまったのですか? 記憶喪失!? もしかして、私が先輩のことを殴ってしまったから、それで? えっ? 嘘!?」
おぉう。妄想しすぎだぞ、後輩ちゃん。俺が後輩ちゃんのことを忘れるわけがないだろう? そこは信用してくれよ。
でも、これはチャンスじゃないのか? いつもの仕返しが出来るのではないか?
よし! 記憶喪失のフリをしてちょっと揶揄おう!
「えーっとー、ここはどこー? 俺はだれー? 君もだれー?」
上半身を起こして、まるで初めて見るかのように周りを見渡し、後輩ちゃんを観察する。
ふっふっふ。俺の演技力をしかと見よ! 全米が泣くぞ! アカデミー賞を受賞できるんじゃね?
俺の演技力に騙された後輩ちゃんは、顔色が青をすっ飛ばして真っ白になる。
「(な、何という棒読み口調)」
「何か言った?」
「い、いえ別に。それよりも先輩! 思い出してください先輩!」
「先輩? 俺は君の先輩なのか?」
「貴方は私の中学時代の先輩です! 先輩の名前は宅島颯です。私の名前は宅島葉月。先輩の妻です! 私たちは夫婦なのです!」
「な、なんだってぇー!」
記憶喪失を利用して、何ということを吹き込もうとしているんだ!? 後輩ちゃんは宅島葉月だろうが! ………おっと。山田だったな。山田葉月だ。間違えた。
いや待てよ。俺が山田颯になる可能性もあるな。ふむ。そこは相談しましょう。
って、違~う! 俺は何を考えているんだぁ~! それに、俺たちは夫婦じゃなくて恋人だろうがぁ~!
「夫婦なので、キスもエッチもするんですよ。当然です!」
「当然なのか?」
「当然です!」
胸を張って断言するところじゃないから。いや、夫婦だったら断言するところか。恋人でも……断言していいか。後輩ちゃんの言葉を何でも否定したくなる。普段の発言がアレですから。
いつネタ晴らしをしようかなぁ、と思っていたら、寝室のドアが開いて桜先生が入ってきた。
「妹ちゃ~ん! 弟くんの様子はどう? あら。起きたのね。具合は?」
「えーっとー、貴女は一体誰ですかぁー?」
「ふぇっ? な、何という棒読み口調」
「誰ですかー? 俺は宅島颯らしいですー。記憶喪失ですー」
「えっ? 記憶喪失? えっ? えっ?」
桜先生がポカーンとして、視線が俺と後輩ちゃんの間を交互に行ったり来たりする。後輩ちゃんが頷いて、桜先生がポムっと手を打って納得した。実に物分かりがいい。
「そ、そうなのねぇー! あらあら。私は桜美緒。弟くんのお姉ちゃんよ!」
「お姉ちゃん?」
「ぐはぁっ! ち、違う呼び方をされると、何かくるものがあるわね。いいわぁ~!」
「お姉ちゃんも一緒に住んでいるんですかー? 俺たち夫婦と一緒に?」
「夫婦?」
キョトンと首をかしげて桜先生が後輩ちゃんを見る。後輩ちゃんはドヤ顔でサムズアップをした。
「なるほどねぇ。ええ、そうよ。お姉ちゃんも二人と一緒に住んでるの」
おいおい。最近はずっと一緒に住んでいるが、桜先生の本当の家は真下の部屋だろうが! 後輩ちゃんもお隣だろうが! まあ、帰って欲しくはないけど。
「お姉ちゃんはね、弟くんとキスしたりエッチする関係なのよぉ~!」
………あれ? ヤバい。今俺、途轍もなくヤバいことを思ってしまった気がする。家族だからノーカウント?
は、話を変えよう。これ以上深く考えてはいけない気がする。
「今気づいたけど、なんか鼻が痛いなー。何故だ?」
「それはですね。途轍もなくヘタレな先輩が、私の裸を見て、鼻血を噴き出して、ぶっ倒れて鼻を強打したんです」
後輩ちゃんに殴られたからだと思いまーす。途轍もなくヘタレなのは認めますが。
神よりも美しい後輩ちゃんの裸を見てしまったんだぞ! 鼻血を出すのも気絶するのも仕方がないと思うのだが、如何か?
「ふっふっふ。いい度胸ですね、先輩?」
ひぃっ!? な、何がだ? なんで後輩ちゃんはそんなニッコリ笑顔なんだ? なんで笑顔なのに威圧感を漂わせているんだ?
「私の裸を、あんなところまで見たのに忘れるなんて、いい度胸です。女のプライドが傷つきましたよ。私の身体ってそんな簡単に忘れられる物だったんですね……」
不味い。これは不味い。非っ常に不味い。ニッコリ笑顔の後輩ちゃんから、ゴゴゴッと空気が震える震動音が聞こえてくるんですけど!
あのですね、全然忘れていませんよ。今も鮮明に覚えて……あっ、鼻血が出そう。興奮してしまう!
自棄になった後輩ちゃんは、何故かパジャマに手をかけ、脱ぎ始めた。
「な、何してんだ、後輩ちゃん!?」
「何って、もう忘れられないように、私の身体を記憶に刻み付けてやろうと思いまして! いいでしょう! 隅々までじっくりと見させてやりますよ!」
「しなくていい! しなくていいから!」
俺は慌てて後輩ちゃんを止めにかかる。うわっ! 本当に脱ぐ気だ! 下着に手をかけるなぁー! 止めろ~!
「妹ちゃん!」
そ、そうだ! ここには現役女教師の姉がいたんだ! 後輩ちゃんを一緒に止めてくれるはず!
「お姉ちゃんも一緒に脱いで、弟くんに見せつけてやるわ~!」
「ですよね~」
うん、桜先生はこういう人だったよね。知ってた。
二人が全裸になる前に、ネタ晴らしをしなければ! 大変なことになってしまう!
「あぁもう! スト~ップ! 俺は記憶喪失なんかなってないから! ちゃんと全部覚えているから! 後輩ちゃんの裸もバッチリ覚えているからぁ~!」
「「 ええ、そうでしょうね 」」
「あ、あれっ? 二人とも、もしかして、気づいてた?」
「「 うん 」」
そ、そうなんですね~! やっぱり俺の演技に騙されなかったかぁ。流石だ。
んっ? 二人の視線が動かない。俺を見ているんだが、顔じゃないところを見ている。
「一体どこを見て……」
二人の視線の先を追うと、後輩ちゃんの裸を思い出してしまって、活性化していた体の一部が。
えっ? なんで裸? 爽やかだと思っていたら裸だった?
「身体は正直なのですぐにわかりましたね」
「弟くんったら超棒読み口調だし」
「えっ? 嘘っ!」
「記憶喪失のフリをした誰かさんにはお仕置きが必要ですよね? びっくりしたんですよ。心臓が止まるかと思いました。それ相応の罰を受けてもらいます」
「保健体育の実技の実験台、とかいいんじゃない?」
うふふふふ、と暗く嗜虐的で妖艶な笑みを浮かべる二人が、手をワキワキさせながら近寄ってくる。肉食動物に襲われる草食動物の気分だ。
「ち、近づくなぁ~!」
「大丈夫です。天井のシミを数えていれば終わりますから」
「弟くんの身体を隅々まで実験&観察すれば気が済むの。お姉ちゃんたちの性欲……じゃなくて、学術的見地に基づく知的好奇心を満たせればそれでいいの」
「い、嫌だ! いつも限界まで俺を実験台にするだろうが!」
「私の裸を見たのに、先輩の裸は見せてくれないのですか?」
「不公平よ、弟くん」
「や、止めない? そんなこと止めよう? 本当に止めよう? ちょっとした出来心だったんです。ごめんなさい。謝るから~!」
「「 うふっ♡ 問答無用♡ 」」
「うぎゃぁぁああああああああああああああ!」
―――結論。
記憶喪失に絶対になってはいけない! 演技もしてはいけない!
俺は、そう学びました。………ガクリ。
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ずっと前にアイデアを頂いていた記憶喪失ネタです。
本当に記憶喪失になったら葉月が壊れそうだったので、なんちゃって記憶喪失になりました。
ちなみに、三人は最後までしてませんからねー!
最後って何だ!?
これからもよろしくお願いします。
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