第290話 夜の学校と後輩ちゃん

 

 家庭科室の照明が煌々と輝いている。シーンと静まり返る学校の校舎。人は誰もいない。俺と後輩ちゃんと桜先生以外は。


 時刻は現在深夜1時でございます。眠くはない。だって怖すぎるから!


 夜の学校ということを後輩ちゃんと桜先生に指摘されて、俺はもうビクビクしっぱなしだ。恐怖心を忘れるため、ただひたすら目の前のお菓子作りに集中する。



「夜の学校と言っても暇ですねぇ~」


「そうねぇ~。最初はテンション上がってたけど、数時間もすれば慣れるわねぇ」



 後輩ちゃんと桜先生は、ぐてーっと机に突っ伏してだらけている。顔をグリグリしたり、クッキーを摘まみ食いしたりしている。家のゴロゴロモードだ。



「二人は眠くないのか?」


「眠いですけど、先輩を見てたら眠気なんか吹っ飛びますよ」


「料理している弟くんはかっこいいわよね。もうキュンキュンしちゃう!」



 そ、そうですか。うっとりと熱っぽい視線を向けられたら、流石に恥ずかしいんですけど。顔が熱くなるのを感じる。うぅ…。


 二人が熱い吐息を吐いた。



「はぁ…。時々ビクビクしている先輩が可愛い…」


「泣き出さないかしら…? 抱きしめて甘やかしてあげるのに…」



 俺の中の時間が一瞬止まった。二人の言葉を瞬時に理解できなかった。



「………………おい。もしかして、怖がってる俺を愛でてるのか?」


「「 もちろん! 」」



 胸を得意げに張って、渾身のドヤ顔をする後輩ちゃんと桜先生。二人の胸がポヨン、バイン、と大きく跳ねた。


 うん…。これだよな。これが後輩ちゃんと桜先生だよな。怖がる俺を愛でて楽しむのが後輩ちゃんと桜先生だよな。知ってた。


 かっこいい、と言われて、ちょっと舞い上がった俺の心を返してくれないか?


 二人は焼き上がったクッキーに手を伸ばしてパクパクモグモグ食べる。



「せんぱ~い! そろそろ休憩したらどうですかぁ~?」


「働きすぎは身体に良くないわよ。適度に休みましょう! 大人のお姉ちゃんの実体験です!」



 それもそうだな。そろそろ休憩するか。


 というか、桜先生の実体験が気になるな。働きすぎで身体を壊したことでもあるんだろうか?


 不意に、後輩ちゃんと桜先生が俺の傍にスススッと近寄ってきて、ギュッと俺の腕を抱きしめた。指まで絡ませて恋人つなぎをする。


 そして、極々自然な動作で家庭科室のドアへと向かう。



「あ、あの? 葉月さん? 姉さん? 俺をどこに連れて行くつもり?」



 後輩ちゃんと桜先生は、俺を引きずりながらキョトンと顔を見合わせた。



「どこってあちこちですけど」


「探索しなくちゃもったいな~い! ということで、突撃~!」


「いやぁぁぁあああああああ! 離してぇぇぇえええええええええええ!」


「嫌でーす! 離しませ~ん!」


「大丈夫よ。懐中電灯もあるから!」


「ひぃっ!?」



 どこからともなく懐中電灯を取り出した二人は、ライトをつけて顎の下から顔を照らす。それはそれは幽霊のように超不気味だった。


 恐怖で固まっているうちに、俺の身体は引きずられ、暗闇の廊下に来てしまった。


 あまりに怖くて、もう既に目から涙が洪水のように流れ出している。



「もう嫌ぁ…」


「まだまだ始まったばかりですよー! まずはお約束! 生物室!」


「人体模型や骨格標本! ホルマリン漬けもあったわね」


「言わないでよ! 想像してしまったではないか! 怖い怖い怖い怖い」


「まあ、鍵が閉まって入れないんですけどね」



 後輩ちゃんが生物室のドアをガチャガチャするが、一向に開かない。


 俺はホッと安堵した。そうだよ。こういう部屋は先生が戸締りして帰るんだった。開いているはずがないんだ。本当によかった…。


 だからもう帰ろうよ…。


 でも、後輩ちゃんと桜先生はめげない。



「さあさあ次々!」


「行きましょー!」


「いやぁぁぁあああああああああああ!」



 俺は後輩ちゃんと桜先生に引きずられて、暗い学校中を探索する。



 ドタバタドタバタ! (移動の足音)



「次は音楽室! ピアノが勝手になるって怪談が有名ですよね」


「ピアノは……聞こえないわね。でも、チックタックって…」


「きゃぁぁあああああああああ!」


「あっ、時計の針の音ね」



 ドタバタドタバタ! (移動の足音)



「次は美術室! 絵の中の人物がいなくなったりしていませんか!?」


「絵が……飾ってないわ。でも、石膏で作られたミケランジェロの像があるわね」


「ぴぎゃぁああああああああああ!」


「「 っさ! 」」


「その言葉、ホラーよりも怖いんだけど…」



 ドタバタドタバタ! (移動の足音)



「次は体育倉庫です! 何とも言えない匂い。埃っぽい」


「でも、えっちなシーンで定番の場所よ! さあ弟くん!」


「何もしないからぁぁあああああああ!」


「「 ちっ! 」」



 ドタバタドタバタ! (移動の足音)



 学校中を探索し、恐怖の悲鳴を上げて疲れ果てた俺は、いつの間にか椅子に座っていることに気づいた。


 場所は、文化祭で使っていない空き教室のようだ。


 教壇に、後輩ちゃんと桜先生が立っている。桜先生は何故かメガネをかけて、指示棒を持っている。ザ・女教師って感じだ。コスプレか? あっ…桜先生は本当に女教師だった。



「さあ、夜の授業を始めます」



 メガネをクイっとあげて、指示棒で黒板をペシペシ叩いた桜先生が、女教師っぽく授業を始めるようだ。あっ…桜先生は本当に女教師だった。



「今日の授業は性教育の実技です! しっかりと行うように!」



 ………………んっ? このポンコツ残念教師は今なんて言った?



「お手伝いしてくれるのは妹ちゃんです!」


「は、恥ずかしいですけど頑張ります…」



 恥ずかしそうに視線を逸らし、頬を朱に染める後輩ちゃんはとても可愛かった。思わずボーっと見惚れてしまう。



「では、まず授業の最初に服を脱いで全裸に…」



 もう聞いていられなかった。俺は椅子から立ち上がって教壇に向かう。



「弟くん、夜の授業中よ。席に座りなさい。それとも、弟くんが妹ちゃんの服を脱がせたかった? 言ってくれればよかったのに! さあどうぞ!」


「は、恥ずかしいですが、どうぞ……」



 俺は興奮で鼻息荒くする桜先生と、期待顔で見つめてくる後輩ちゃんの二人に、無言かつ無感情に、ズドンッと頭にチョップを落とした。


 二人は、くおぉー、と蹲って痛みに悶える。


 俺は二人の首根っこを掴むと、プラ~ンと持ち上げて、家庭科室に帰ることにした。


 もう呆れすぎて恐怖心がどっか行ってしまった。



「痛いじゃないですか! 暴力反対です! お仕置きなら許しますけど…」


「そうよそうよ! これから良いところだったのに!」


「黙れ、痴女姉妹!」


「酷いです! 私はまだ処女なのです。生娘なのです。ヴァージンなのです!」


「お姉ちゃんだって三十なのに生娘なのよぉ~! 早く大人の女にしてよぉ~」


「黙らないと、一週間家に入れないからな。当然、ご飯も無しだ」


「「 今すぐ黙ります! 」」



 プラ~ンと揺さぶられながら、二人はキリッとした顔で即座に敬礼した。


 本当にこのポンコツ姉妹をどうにかしてほしい。日に日におかしくなっている気がする。



「…ヘタレ…おかしいなぁ。ヘタレって学校の教室で興奮しないのかなぁ…?」


「…ヘタレ…女教師と生徒、それに教室。禁断の状況じゃない…このヘタレ…」


「ヘタレヘタレヘタレ」


「ヘッタレッ! ヘッタレッ! ヘッタレッ!」


「一週間から一カ月に…」


「「 今すぐ黙ります! 」」



 二人は、首根っこを掴まれてプラ~ンと揺さぶられながら、両手で口を覆った。


 はぁ…なんでこんなにポンコツで残念なのだろう。夜中まで起きてるからテンションがぶっ壊れてるのか? あり得るな。


 これはこれで可愛いですけど、もうちょっと抑えて欲しいと思う。



「どこかのヘタレが悪いと思います」


「どこかのヘタレが悪いせいね」



 すんません。ヘタレですんません! 誠に申し訳ございませんでした。


 いや、でも、俺は正しいと思う。二人に比べたら常識人だ。本当にぶっ壊れたこの姉妹を何とかしてほしい。


 夜の学校に、三人の深い深いため息が消えていった。


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