第277話 縛られていた後輩ちゃん
焼き菓子の甘い香りが漂う部屋の中。もう既に外は真っ暗だ。
一日中オーブンをフル稼働させて、やっと目標の個数が焼けそうだ。もう疲れた。お菓子作りのメンバーもぐったりとしている。頬や鼻の頭に白い粉がついている。
チーン、と焼き上がった音がして、焼いていたスコーンを確認する。
ふむふむ。中まで焼けているようだ。これなら大丈夫かな? あとは冷ませばいい。
オーブンから取り出したところで、玄関のドアの音がして、リビングのドアが勢いよく開いた。
「たっだいま~! お姉ちゃんのおかえりよ~! 弟くん! この甘い香りはお菓子ね! お姉ちゃんも食べるぅ~!」
ビシッと片手を天に向けて、反対の手を腰に当てて決めポーズをした桜先生は、部屋の中の状況を見て、綺麗な瞳をパチクリとさせた。
可愛らしく首をかしげる。
「えっ? なにこの状況? NTRプレイ?」
「何故そうなる!?」
俺は声を荒げて桜先生にツッコミを入れた。何故そんな特殊な発想に至ったのか知りたい。いや、やっぱり知りたくない。深淵を覗きたくないから。
目をパチパチさせた桜先生は、ゆっくりとある人物を指さした。
「だって、妹ちゃんが縛られてるし、弟くんは女子に囲まれてるし…」
指の先を見ると、後輩ちゃんがリビングの床に倒れて、ウゥーウゥーと唸り声を上げていた。
後輩ちゃんは両手足を縛られ、猿轡をはめられている。まるで拉致監禁された人みたい。
これにはいろいろと理由があるのだ。
「姉さんに言っただろ? 今日は家で文化祭のためのお菓子を作るって」
「うん、聞いたわよ」
「この女子たちはそのお手伝いなんだ」
エプロン姿の女子たちが桜先生に笑顔で手を振った。桜先生も手を振り返す。
「うわぁー。本当に美緒ちゃん先生がいるよ」
「話に聞いてたけど、全然違和感がない。もうこの家の住人感がにじみ出てる」
「プライベートな美緒ちゃん先生…クールさがない? 溢れるポンコツと残念オーラ。こっちのほうが可愛くない?」
「わかるぅ~。絶対こっちのほうがいいよ! あっ。これは颯くんの前だけなんだね! そして葉月ちゃんも合わせて姉妹丼と……これはネタになる!」
女子たちは勝手に妄想を働かせて盛り上がっている。
姉妹丼って言った奴は誰だ!? 表に出ろ! 閉め出してやる!
桜先生は服を脱ぎ脱ぎしながら、もう一度縛られた後輩ちゃんを指さした。
「それで、妹ちゃんは何故縛られているの? そういうプレイ? お姉ちゃんにもする?」
「期待顔で言うな! そして女子たち! 歓声を上げて盛り上がるな!」
桜先生と、キャー、と歓声を上げる女子たちに大声で怒鳴った。
全く! 桜先生は一応教師なんだから、生徒の前で変なことを言わないでください。そして、女子たちも俺という男がいるってこと忘れないでください。俺だからいいけど、他の男子だったらドン引きしてるぞ。
俺は呻く後輩ちゃんに近づいて、縛っていた布や猿轡を外し始める。
「後輩ちゃんは味見係だったんだけど、その味見が止まらなくなったんだ。何度も注意したけど、パクパクパクパク食べるから、仕方なく縛り上げました。喚いていたから猿轡も…」
「ぷはっ! ちょっと先輩! せめてベッドの上に転がしてくださいよ! リビングの床は固かったです! 次回は絶対にベッドの上でお願いします!」
何故二度目がある前提なのだろうか? ベッドの上で縛るって、変な意味に取られそうだから、止めてくれないかな? 現に女子たちはキャーって盛り上がってるから。
キラッキラした瞳で俺と後輩ちゃんを交互に見ないでください。
何故好意的なんだろう? ここは冷たく蔑まれたほうが良かったかも。
その、やっぱりそういうことしてるんだ、みたいな眼差しを止めろぉ!
うぅ…明日には変な噂が出回ってそう…。明日は文化祭だけど、しばらくの間休んでいい?
解放された後輩ちゃんが大きく背伸びをした。
「先輩! 食べていいですかっ!?」
「開口一番にそれかよ…」
「お姉ちゃんも!」
「はぁ…姉さんは先に手を洗って着替えて。お菓子を食べるのは後。今から夕食作るから」
「「はーい!」」
うむ。いつもながら良い返事だ。桜先生は着替えるために寝室へと入っていった。
俺は、背中に突き刺さる視線を感じて振り返った。女子たちが期待顔でジーっと見つめている。それは、肉食獣にも似た眼差しだった。
思わず少し後退ってしまった。
「ど、どうした?」
「私、お腹減ったなぁー」
「今から帰ると夕食も遅くなるなぁー」
「ウチ、両親には夕食いらないって言っちゃった」
「お腹が減って力がでないよ~」
「見て! お腹と背中がくっつきそう!」
「おいこら! あんたのお腹を露出させるな! 食欲失せる!」
「えぇーひどーい!」
約一名、服をたくし上げて可愛いお腹を見せた女子もいたが、皆の言いたいことはわかった。俺の料理が食べたいってことだろ?
チラッチラッとあざとい視線で見つめてくる。
「時間がないから簡単なものになるけど、それでもいいなら…」
「「「やったー!」」」
女子たちは万歳して大喜び。ハイタッチもしている。
「お礼に下着を見せてげよっか? 過激な勝負下着着てきたの!」
「あたし、脱いでもいいよ」
「私はキッス」
「ウチは初めてを…」
「後輩ちゃん! 女子たちを止めて!」
「ブ、ラジャー!」
後輩ちゃんが某国民的アニメの幼稚園児が言う返事をして敬礼した。お尻を出さなかっただけ許そう。でも、あとで拳骨しようかな。
「先輩には手を出させません!」
「なになに? 何の話?」
着替えた桜先生が寝室から出てきた。十一月にもなって、桜先生はタンクトップに短パン。確かに部屋の中はそれでも大丈夫な温度だけど、お客さんもいるから、その格好はどうかと思います。
久しぶりにその姿を見たから、ドキッとしたではないか!
女子たちはポカーンと桜先生を見つめて固まる。
「うわっ…えっろ…」
「なにこれ…女のあたしもヤバいんだけど…」
「この姿の美緒ちゃん先生を見て平然としてる颯くんって何者?」
「なになに? 何の話なの?」
「この盛った女子たちが先輩に襲い掛かりそうだったの! お姉ちゃん手を貸して! 先輩の貞操を守らなきゃ!」
「うん、わかったわ!」
後輩ちゃんと桜先生が俺と女子の間に立ちふさがり、ガルルルル、と威嚇をする。でも、さりげなく手がクッキーに手が伸びていることを俺は見逃さない。
「淑女諸君! 後輩ちゃんと桜先生が盗み食いしないよう頼んだぞ!」
「「「 イエッサー! 」」」
女子たちが二人に飛び掛かり、ワチャワチャと楽しげな声が上がる。
縛れ縛れ、という声と格闘する音を背後に聞きながら、俺は夕食を作り始めるのだった。
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