第261話 寝かせてくれない後輩ちゃん

 

 真っ赤に染まった地獄の湯を経験した俺は、火照った肌の後輩ちゃんと桜先生の背中に抱きついて、顔を隠している。目を開けると、あらゆるところがホラー化しているのだ。目を開けることができない。



「いや~いいお湯だったぁ。お兄ちゃんたちはどうだったの?」



 近くの銭湯から帰ってきたばかりの楓が、楽しげに問いかけてきた。


 俺たちは…どうだったのだろう? 俺はビクビクしながらお風呂に入ったかな。流石にお風呂はお湯が真っ赤に染まっているだけだったから、何とか大丈夫だった。お湯が赤いとホラーを連想するから、出来るだけ考えないようにしてたけど。


 後輩ちゃんと桜先生は…うっとりと俺を愛でていたようです。詳しくは知らない。そんな余裕はなかった。



「私たちはね…先輩が可愛すぎた。鼻血が出るかと思った」


「ちょっとした水の音でもビクゥってするのよ。わざとチャプチャプさせちゃったわ」


「でもね、折角頑張って密着してたのに、先輩は反応してくれませんでした」


「おっぱいを触らせてあげたのに」


「ちょっと待て! 嘘を言うな! そんなことされてないぞ!」



 平然と嘘をつく桜先生に反論する。胸を触るなんて一切した覚えはない。そんなことされたら覚えている……はず。


 思わずちょこっとだけ目を開けてしまった。ホラー化した薄暗い部屋を見てしまい、即座に目を閉じる。



「記憶がありましたか」


「ボケーっとしてたから覚えてないと思ったのに。責任を取らせる計画が…」



 ちっ、と二人分の舌打ちが聞こえたのは気のせいだろうか。きっと気のせいに違いない。恐怖で俺がおかしくなっているだけだ。


 それに責任取らせる計画って今更だと思うが…。



「こ~んな美人と美少女の二人とお風呂に入ったのに反応なしって、お兄ちゃん大丈夫? 病院行ったほうが良くない?」


「颯。恥ずかしがることはない。今のうちに病院に行ったほうが将来のためだ」



 ウチの妹とその彼氏が要らぬお節介をしてくる。同情と憐みの声がとてもムカッとする。


 病院に行く必要はない。俺は正常だ。毎日毎日後輩ちゃんを襲いそうなのを必死で我慢してるんだぞ! …………まあ、一応桜先生も。男は恋愛感情がなくても性欲を抱いてしまうのだ。桜先生は絶世の美女。性欲を抱かないわけがない。



「あっ! そこは大丈夫よ! ボケーっとしてただけで、弟くんの弟くんはちゃんと元気いっぱいだったから! お姉ちゃんはちゃんと確認しました」


「おいコラ! 何してんだ、このポンコツ姉!」


「お姉ちゃんは弟くんの全てを知る義務があるのです! お姉ちゃん憲法の条文に書かれてま~す!」


「何だその残念な名前の憲法は!」


「残念って…うわ~ん! 弟くんが酷いよぉ~!」



 ぐぇっ、という押しつぶされたようなうめき声が二人分聞こえた。俺に触れる女性の身体が一人分追加された。桜先生が楓と後輩ちゃんをまとめて抱きしめたらしい。


 苦しそうだけど、楽しげな姉妹の触れ合いが繰り広げられる。



「美緒ちゃん先生って…滅茶苦茶ポンコツなんだな。学校と全然違うぜ」


「そうなんだよ。どうにかしてくれ」


「無理!」



 裕也に即答で拒否された。そこまでのポンコツなのか、桜先生は。俺がダメなら裕也なら、と一縷の望みをかけていたんだが…ダメだったようだ。


 ニヤニヤと揶揄う裕也が楽しそうに問いかけてくる。



「それに、颯はポンコツな人が好みだろ? なぁオカン?」



 誰がオカンだ!? 確かに、ちょっと抜けてて残念でポンコツ臭が漂う家事能力皆無の後輩ちゃんと桜先生は、俺が何とかしなくちゃって思うけど…。


 おっ? いつの間にか三人姉妹のわちゃわちゃが止まっている。静かになった。


 女性陣が裕也を見つめ、裕也がたじろぐ気配がした。



「鈴木田先輩? それは私がポンコツということでしょうか?」


「えっ? 義姉ねえさん?」


「鈴木田君? それは私がポンコツということなの?」


「えっ? 美緒ちゃん先生?」


「ユウくんサイテー!」


「楓ちゃんまで!? マジですいませんでした!」



 勢いよく土下座をする音がする。ガクガクブルブルと震えている。


 裕也は馬鹿だなぁ。俺以外がポンコツって言ったら、二人は怒るに決まってるだろ? 特に後輩ちゃんは。


 後輩ちゃんと桜先生の声がとても冷たくて、俺まで怖くなってしまいました。裕也の馬鹿野郎。


 どうやら後輩ちゃんと桜先生は裕也を許すそうです。優しいなぁ。


 でも、楓は許さないらしい。ふぎゃっ、という馬乗りにされて押しつぶされたような声が聞こえた。いや、それは気のせいである。俺の幻聴だ。



「仲いいですねぇ」


「お姉ちゃんたちのほうが仲良いわよ!」



 桜先生よ。何故そこを張り合う?


 二人の甘い香りを嗅いでいると、なんだか安心して眠くなってきた。大きく欠伸をしてしまう。



「おろっ? 先輩がおねむです。とうとうおねんねのお時間がやってきましたか。ですが! 今夜は寝かせませんよ! ホラーのお時間です!」


「はっ?」



 今後輩ちゃんは何て言った? 途中までは良かった。でも、最後のは何だ? ホラーだと? 俺は絶対に嫌だぞ!


 後輩ちゃんがウキウキで俺の身体を捕獲する。桜先生にも抱きしめられた。俺は身動きが取れない。思わず目を開けて抵抗していたら、楽しそうな楓がニヤニヤしながらホラー映画の準備をしていた。



「お兄ちゃん。夜は長いよぉ~! 徹夜しようぜ!」


「ハロウィンをホラー映画で迎える。何と素晴らしいことでしょうか! これぞハロウィンですよ、先輩!」


「お姉ちゃんたちが一緒にいるから安心よ! 怖くない怖くな~い」


「滅茶苦茶怖いわ! 俺、寝る! ベッドで寝る!」


「「「あのベッドで?」」」



 くっ! そうだった。俺の寝室やベッドまでホラー化していたんだった。この部屋には俺の休める場所はない。一人になるのも怖い。ということは、後輩ちゃんたちと一緒にいたほうがいいのだが、皆ホラー映画を観る気満々だし…。


 俺はどうしたらいいんだ!?



「じゃあ、スタートしまーす。ポチっとな」



 俺が悩んでいる間に楓が勝手に再生させる。俺は逃げることができなくなった。もう既に腰が抜けている。必死に後輩ちゃんと桜先生の背中で顔を隠し、耳を塞ぐ。でも、音は完全には消せない。


 画面から悲鳴が上がる。



「きゃぁぁあああああああああああああああ!?」



 俺も悲鳴を上げる。後輩ちゃんと桜先生は欲にまみれた笑い声を上げる。


 このホラー映画鑑賞会は、夜明けまで開催されていたとさ。


 もうホラーなんか大っ嫌いだ!

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