第259話 逡巡する後輩ちゃん
ホラー仕様に装飾された部屋の中で、俺は後輩ちゃんの背中に抱きついていた。甘い香りがして温かい。恐怖が癒される。後輩ちゃんを抱きしめることで何とか平静を保っていられる。彼女がいなかったら俺は発狂していただろう。
後輩ちゃんの背中から僅かに顔をのぞかせ、部屋の装飾を行った三人を、ガルル、と威嚇する。
「あーはいはい。大人しくしてくださいね、先輩」
「威嚇する弟くんも可愛い!」
「お兄ちゃんは本当にホラーが嫌いだねぇ」
「弱点があったほうが人間らしくていいんじゃないか? 楽しいし」
「裕也。お前は黙れ!」
「俺だけ扱いが酷くない!? 将来の義弟だよ!?」
お前の扱いは雑でいいんだ。だってイケメンだから。滅べばいいのに。
明日はハロウィンということで、楓と裕也がお泊りに来たようだ。後輩ちゃんが言うには『日付が変わったらハロウィンなので、楽しみましょう』だって。俺を寝かさないつもりらしい。
寝室に籠ろうとしたら、見事にホラー化していた。ベッドには、おもちゃの血で濡れた包丁が置いてあり、死体の跡であろうテープが貼られていた。ドラマでよく見るやつ。
トイレも洗面台もお風呂も装飾されており、俺は気絶するかと思った。いや、気絶すればよかった。そしたら恐怖なんて感じられずに眠れたのに…。
お風呂なんか湯船が真っ赤に染まっていた。楓がお湯を溜めたらしい。赤色は『血の池地獄』という温泉に似せた入浴剤だって。一応ホッとした。
俺は、桜先生と楓と裕也の三人を睨みつける。よくも俺を恐怖のどん底に突き落としてくれたな!? 三人にはケーキは無しだ!
「お兄ちゃん。言っておくけど、言い出したのは今抱きついている葉月ちゃんだからね?」
「なん…だと!?」
「楓ちゃんシーッ! シーッ! 言っちゃダメでしょ!」
そうなのか。後輩ちゃんが主犯格なのか…。
後輩ちゃんなんかもう知らない!
俺は後輩ちゃんの背中から離れ、桜先生の背後に移動して、むぎゅっと抱きしめる。そして、後輩ちゃんに、ガルル、と威嚇した。
「やったー! 弟くんがぎゅってしてくれたわ!」
「くっ…! お姉ちゃんに先輩を取られたぁ…。でも、威嚇する先輩…実にグッジョブです!」
「それでいいの…葉月ちゃん…?」
「颯が羨ましいぜ。ぐふっ!?」
約一名、迂闊な呟きをしてしまったため制裁された。本人は嬉しそうなのでそっとしておこう。これはこれでイチャイチャなのだ。
床に倒れ伏した裕也を華麗に無視して、空気を斬り裂いて彼氏の鳩尾にのめり込ませた拳に息を吹きかけながら、楓が更に暴露する。
「でも、部屋中ホラー化させようって言ったのは、美緒お姉ちゃんだよ」
「なん…だと!?」
「楓ちゃんシーッ! シーッ! 弟くんには秘密なの!」
桜先生が部屋中ホラー化させるのを提案したのか!? 裏切者め!
後輩ちゃんに移動するか? でも、発案者だし…。このまま桜先生に抱きついておくか? でも、提案者だし…。俺はどうすればいいんだ!?
はっ!? そうだ!
「おぉっ!? お兄ちゃんが抱きてついてきた!?」
実妹の楓。盾にするにはちょうどいい! ぴったりじゃないか!
「颯お前! …………兄妹だからギリギリセーフか?」
悩んでる裕也には悪いが、今の俺には頼れる奴が楓しかいないんだ。後で返すから、今だけはコイツの背中を貸してくれ。
「ふっふっふ。葉月ちゃん、美緒お姉ちゃん。お兄ちゃんは貰ったぜ! 久々にイチャイチャしてやる~!」
楓が得意げに胸を張ってドヤ顔をするが、二人にはまったく意味がないと思うぞ。二人と違って胸を張っても揺れないし。あ
「どーぞどーぞ。偶には兄妹で仲良くしてくださいな」
「家族愛って素敵よね」
「あ、あれっ? 怒らないの? お兄ちゃんを盗っちゃったんだよ?」
「「それが何か?」」
後輩ちゃんと桜先生が不思議そうに首をかしげる。楓が何を言いたいのか理解していない様子だ。この二人には到底理解できないだろう。
「あっ…二人って兄妹の常識がぶっ壊れてるんだっけ? ちっ! 揶揄って遊べるかと思ったのに…。しまったなぁ。彼氏がいなかったらこのまま禁断の関係に踏み込むのもやぶさかではないけど、私にはユウくんがいるからお兄ちゃん離れて」
「えぇっ!? そしたら俺はどうすればいいんだっ!?」
「ユウくんに抱きつけば? それか二人まとめて抱きつくとか?」
「その手があったか! 後輩ちゃん、姉さん、むぎゅ~!」
「「わーい!」」
俺は楓から離れて後輩ちゃんと桜先生に抱きついた。二人の身体は柔らかくて温かくて気持ちいい。いい香りがして落ち着く。最初からこうしていればよかったのか。
俺でもいいぜ、と言うドМのイケメンのことは存在ごと無視する。
楓がニヤニヤと悪い顔をしている。
「くふふ。恐怖で頭が正常に働いていないお兄ちゃんは実に御しやすいのぉ。ごちそうさまです!」
「何がごちそうさまなんだ?」
「別にぃ~! お兄ちゃんは知らなくていいことですぅ~!」
俺が知らなくていいこと? じゃあ、どうでもいいや。今は後輩ちゃんと桜先生を抱きしめなければ。
ふぅ…癒される。このまま動きたくない。というか、動けない。
「ところで、お兄ちゃん。可愛い妹はお腹がペコペコになりました。夕食を作ってください」
「先輩! 私もお腹が減りました」
「お姉ちゃんも~!」
「俺も俺も~! お腹と背中がくっつきそうだぜ」
いつの間にか復活していた誰かさんのことは無視して、俺は女性たち三人にはっきりと述べる。
「無理。作れない」
「「「「なんでっ!?」」」」
「だって怖いから。部屋がこれだと作れるわけないだろ。俺のホラー嫌いを嘗めるな!」
後輩ちゃんと桜先生を丸ごと抱きしめながら、二人の顔と顔の間からドヤ顔をする。
キッチンまではホラー化されていないが、キッチンからおどろおどろしいリビングが丸見えなのだ。目に入るから恐怖で料理どころではない。ホラー映画の包丁を連想させるから握れない。
というか、後輩ちゃんと桜先生がいないと立てない。二人から離れたら泣き叫ぶぞ!
一同が腕を組んで真剣に悩み始める。
「これは予想していませんでした。ということは、明日のケーキも」
「当然作れないな」
「弟くんの料理…ケーキ…食べたい」
「お兄ちゃん何とかならないの?」
「男だろうが! 気合と根性と愛情で何とかしろよ!」
「無理なものは無理!」
俺は後輩ちゃんと桜先生の背中から威嚇をする。
一同が真剣な顔で悩む。それほどのことなのか?
逡巡していた後輩ちゃんが俺を振り返った。
「先輩。キッチンだけ見てれば何とかなりませんか?」
「うぐぐ…でも、怖い…」
「たっぷりとお礼しますよ?」
「うっ…」
桜先生も振り返った。
「お姉ちゃんもサービスするわよ」
「「お願い♡」」
愛しい彼女と姉からの可愛いおねだり。俺の胸が撃ち抜かれる。
俺は、二人の潤んだ瞳には逆らえなかった。
「わかった…頑張る。でも、絶対にお礼をしてもらうからな!」
「「やったー!」」
後輩ちゃんと桜先生がハイタッチをして喜ぶ。本当に仲がいい姉妹だ。
楓が裕也と手を繋いで挙手をする。
「はいはーい! 私たちもお礼をしたほうがいいですかー?」
「何でもするぜ!」
「裕也。お前は帰れ」
「酷い! 楓ちゃ~ん。颯が酷いぜ」
「よしよーし」
楓と裕也がいちゃつき始めた。俺の前でしないでイチャイチャしないで欲しい。妹と親友のラブラブなんて見たくない。リア充爆発しろ!
さてさて。俺は頑張ってご飯を作りますかね。
あっ。後輩ちゃんと桜先生は料理に触れないように近くにいてくださいね。
じゃないと俺、腰抜かすから!
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