第235話 キレる俺
今日の休み時間はギリギリまで男子トイレに避難することによって、惚屋という女子生徒を躱した。
後輩ちゃんによると、何度も突撃してきたらしい。男子トイレの前で待機していたらしいけど、授業が始まる直前に、残念そうに帰って行ったらしい。
うぅ…面倒くさい。裕也はこれを耐えていたのか。今度何か奢ってやろう。
後輩ちゃんは惚屋のことが眼中にないらしい。興味すら失せている。でも、俺との休み時間を潰されて、イライラが溜まっているようだ。ニッコリと微笑んで、うふふ、と暗い笑い声を漏らしている。ちょっと怖いです。
昼休みになったので、今日は後輩ちゃんと一緒にご飯を食べる。二日連続で裕也に邪魔されたからな。もう惚屋が突撃してきても構わないや。無視しよう。
「そこのおしどり夫婦さ~ん。学校中に噂が駆け巡ってるよ~」
俺たちの周りを親衛隊のように女子が取り囲んでいる。
いつもの昼食の風景だ。俺たちを中心に女子が固まり、その外を男子が囲んでいる。
ウチのクラスはみんな仲がいい。昼食は皆でわいわい騒ぎながら食べる。
後輩ちゃんが俺のお弁当からおかずを奪い、口をもきゅもきゅさせながら可愛らしく首をかしげる。
「噂って何のこと?」
女子たちがより一層ニヤニヤした。ニヤニヤ、ニマニマという擬音を幻視するほどだ。
「そぉ~れぇ~はぁ~ねぇ~結婚を前提にお付き合いしてるってこと!」
「やりますなぁやりますなぁ~♪ ヒューヒュー♪」
「何処までやったの? ヤッたの? ねえねえ? お姉さんたちに教えて!」
「というか、まだ結婚してなかったの? してると思ってた」
「「「それわかるぅ~!」」」
わかるぅ~、じゃねぇよ! 結婚なんかまだしてないし、年齢的にできないよ! 勝手に結婚させないでくれ! 将来的にはそうなるだろうけどさ!
噂の出所となった後輩ちゃんは、恥ずかしそうに顔を赤らめて俯いている。小さく丸まりながら、俺のお弁当からおかずを奪って、もきゅもきゅと食べている。小動物みたいで可愛い。
俺はほのぼのとしながら後輩ちゃんを愛でる。そんな俺たちを女子たちが愛でる。男子たちは俺を睨む。
その和やかな空気が、教室に現れた一人の女子生徒によってぶち壊される。
「ダーリンいた! お待たせ!」
一瞬で静まり返る教室。女子たちの身体から物凄い殺気が膨れ上がる。女の子がしてはいけない表情で『邪魔すんじゃねぇよゴラァ!』と、やって来た惚屋彗にガンを飛ばしている。まるで般若のようだ。ガクガクブルブル。
俺と後輩ちゃんは示し合わせたようにお互いにあ~んをして惚屋を無視する。
「ちょっとダーリン聞いてるの!?」
女子たちの包囲網を楽々と突破して、惚屋が俺たちの前に立ち、バシンと机を叩いた。
はぁ、とため息が出てしまう。後輩ちゃんは見向きもしないで、もきゅもきゅとご飯を食べている。黙って傍観するようだ。
俺は嫌々顔をあげて惚屋を睨む。
「俺は君のダーリンでも彼氏でもない」
「夫ね! 夫なのね! もう! ダーリンったら! 今すぐ婚姻届けを提出しよ♪ 結婚式場はどこにする? 子供の名前も考えなきゃ! きゃー♪」
話が通じず、一人で盛り上がっている。妄想力が素晴らしい。
クラスメイト達全員が、うわぁー、とドン引きしている。あれだけ嫉妬の視線を向ける男子たちでさえ、今日だけは同情してくれる。
誰か代わってくれないかなぁ。
「俺、君に告白された覚えも付き合ってと言われた覚えもないんだが?」
「ダーリンのこと好き! 付き合って! むしろ結婚して!」
なんでだろう。女子から告白されたのに、感情が無だ。俺がおかしいだけなのか?
周りの女子たちは、どういう状況であれ、告白シーンに盛り上がっている。そして、後輩ちゃんに視線を向けている。背中を叩く人もいる。相変わらず、恋バナは大好物らしい。
「ほらほら葉月! 嫁の実力を見せてやれ!」
「………」
「あ、あれっ? おーい? 葉月ちゃ~ん? 聞こえてる~?」
後輩ちゃんからの返事はない。女子たちが顔の前で手を振ったり、頭を叩いたり、胸を揉んだりするけど反応はない。後輩ちゃんは目を見開いたまま固まっている。持っていた箸がポロリと落ちた。
「せ、先輩が告白された…私の先輩が告白された…」
「ふむ。こちら実況席。嫁の宅島葉月さんは、旦那が他の女に告白されるシーンを初めて見て、動揺して固まっているようです。反応はなく、ブツブツと呟いております。現場からは以上です」
女性諸君。俺たちを揶揄って遊ぶのはいいが、実況席なのか現場なのかはっきりしてくれ。滅茶苦茶だぞ。それに、後輩ちゃんの名前は山田葉月だ。間違えるな。宅島は俺の苗字だ。
「ダーリン! これでいいよね?」
「よくない。お断りする。俺はこの人と付き合ってるんだって」
俺はお隣の後輩ちゃんを指さし、おかずをモグモグと食べる。今日も美味しい。
でも、話を聞かない妄想少女は止まらない。惚屋は後輩ちゃんをキッと睨む。
「ダーリン…もしかして、その女に脅されているの? 弱みを握られて脅迫されているんだね? 大丈夫。私が助けてあげるから!」
「……なんでそうなる」
俺は思わず頭を抱えてしまう。どうやったらその発想に行きつくのかわからない。理解不能だ。
惚屋は、俺が食べているお弁当を見た。そして、後輩ちゃんが食べているお弁当と同じだと気づいてしまった。
「ダ、ダーリン!? その女が作ったお弁当を食べてるの!?」
いえ。これは俺が作ったお弁当です。後輩ちゃんは一切料理ができません。というか、俺がさせません。死人が出るから。
惚屋は、行儀悪く俺のお弁当からおかずを指で摘まんで口に入れる。モグモグとして、わざとらしく顔をしかめた。
「うわぁー。不味~い! こんなの食べられないよ~。ダーリン♪ 私が作った愛妻弁当を食べて? たっぷり愛が詰まってるよ♪」
「聞き捨てなりませんね!」
固まっていた後輩ちゃんが、バンッと机を叩いて立ちあがった。瞳に怒りの炎を燃やし、惚屋を鋭く睨んでいる。
「これは先輩が作ったお弁当です。それが不味いですって? 私は自分がどんなに貶されようと気にしませんが、先輩が作った美味しいご飯を侮辱するのだけは許しません!」
「そ、そうなの、ダーリン? ごめんなさい。てっきり、そこの女が作ったと思って…。とても美味しかったよ♪ でも、私も美味しく作ったから食べて食べて」
「この女…!」
「後輩ちゃん落ち着いて!」
掴みかかろうとした後輩ちゃんを何とかなだめる。ふーふーと怒りの息を吐いている。俺がいなかったら惚屋をボコボコにしていただろう。
「ダーリン。その女なんか放っておいて、別の場所に行こ? 面倒臭い女は嫌われるよ?」
お前が言うな、とクラスメイト達全員が思っただろう。もちろん、俺も思いました。
優越感に浸った惚屋の顔。どこからか、ブチッと堪忍袋の緒が切れる音がした。もしかしたら、血管かもしれない。
ブオッと後輩ちゃんの身体から、怒気が放たれた。クラスメイト達は一斉に壁まで下がって、後輩ちゃんから距離を取る。顔が青くなり、ガクガクと震えている。
「あはは…もういいです。限界です」
「後輩ちゃん…? んぅっ!?」
後輩ちゃんが俺の胸ぐらを掴んだかと思うと、唇にキスをしてきた。学校で、しかも大勢の目があるというのに、じっくりねっとりと濃密なキスで俺の唇を貪ってくる。誰もが固まって動けない。
優に十秒は唇を奪われていただろう。ゆっくりと離れた後輩ちゃんは、妖艶に微笑んで唇をチロリと舐める。
「うふふ。ごちそうさまでした。美味しかったですよ、先輩」
呆然としていた俺は、何も反応することができなかった。まだ頭が混乱して、現実を受け入れられない。
一人だけ動ける後輩ちゃんは、俺の身体に絡みつくように抱きつくと、大人の色気と余裕を放ち、惚屋に微笑む。
「これでおわかり? 先輩は私のモノで、私は先輩のモノなの。貴女が入る隙間なんてないの」
「わ、私のダーリンと……キ、キスを……それも無理やり……許せない!」
憤怒の形相で、惚屋が大きく手を振りかぶった。後輩ちゃんの頬を平手打ちにする気だ。
後輩ちゃんは咄嗟に目を瞑って痛みに備える。が、その痛みは襲ってくることはない。
「………………なぁ? 俺の葉月に何をしようとしたんだ?」
「えっ…?」
俺に腕を掴まれた惚屋が呆然と俺の顔を見上げる。
その顔には戸惑いと恐怖の感情があった。顔が真っ青になる。
俺の心に怒りが沸々と湧き上がってくるのを感じた。どす黒い怒りだ。今回はちょっと抑えられなさそう。
咄嗟に庇って背後に隠した後輩ちゃんが目を開ける気配がする。
「今、葉月を叩こうとしたよな?」
「えっ……あの…」
「この俺が掴んでいる手は何だ? 叩こうとしたよな? 傷つけようとしたよな?」
ダメだ。後輩ちゃんに関することだと沸点が低くなってしまう。
怖がられてもいいや。もう抑えきれそうにない。
俺は普段抑えている威圧感を放出した。怒りの感情も隠すことはせず、全開にする。
瞳に力を入れ、惚屋を睨む。
「ひぃっ!?」
惚屋は顔面を蒼白にして、ガクガクと子鹿のように震え始めた。ポロポロと涙を流し始める。
距離を取っていたクラスメイトも次々に床に座り込んでいく気配がした。腰を抜かしたようだ。
俺は本気を出すと怖いらしいからな。なんか申し訳ない。
瞳に更に力を籠め、恐怖で震える惚屋を睨む。
「これ以上俺たちに近づくな」
「ひぃっ…」
「わかったか?」
濃密な殺気を纏ったら、惚屋が白目をむいて気絶してしまった。床に倒れてビクビクと痙攣する。口からは泡を吹き出した。
あぁー。これどうしよう。しばらく放っていてもいいかな? いいよね? よし、放置しよう。
俺は振り返って背後の後輩ちゃんのほうを向く。
後輩ちゃんは瞳を潤ませていた。顔は赤くて息は荒い。
「葉月…」
周囲の目が多いのに、猛烈に後輩ちゃんを抱きしめたくなった。もうどうでもよくなって、我慢することなく愛しい人を抱きしめる。
「ひぅっ!? ダ、ダメです先輩! 元に戻ってください! 本気の先輩は刺激が強すぎますからぁ~! 今日はいつもよりゾクゾクしちゃって感じますからぁ~!」
「ご、ごめん。怖いよな」
慌てて威圧感を消して、普段通りに大人しくなる。腕の中の後輩ちゃんがホッと安堵した。
というか、元に戻れって言われたけど、あの威圧感を出しているのが俺のデフォルトなんだが? まあいいか。優しく後輩ちゃんを抱きしめる。
「これで諦めてくれるといいんだけど」
「大丈夫じゃないですか? 先輩の覇気は、好意を持ってると発情して、持ってないと恐怖を感じますから。発情しないということは、先輩のことを好きじゃなかったってことです。至近距離で浴びた彼女はトラウマレベルだと思いますよ」
「何だそれは」
「私に聞かれても。と言うか先輩! 本気になったらダメですよ! くっ! 何故ここは学校なのですか!? 家だったら押し倒すのに! この想いをどうやって発散すればいいの!?」
後輩ちゃんが何やら葛藤している。湧き上がる何かを懸命に抑えているって感じだ。妖艶というか、エロティックな雰囲気が漏れ出している。
後輩ちゃんは人目を憚らず、俺の身体に足を絡めたり、ギュッと強く抱きしめたり、顔を埋めて匂いを嗅いだりしている。これ、大丈夫なのか?
誰かに助けを求めようと思って周囲を見渡すと、腰を抜かしたクラスメイト達がいた。全員ガクガクと震えている。
そして、女子は何か雰囲気がおかしい。顔を真っ赤にして、息を荒げ、自分の身体を抱きしめて、必死に我慢している感じだ。瞳もトロンとしている。震え方はガクガクというよりビクビク? なんかエロい。
「み、みんな大丈夫か?」
女子がビクッと身体を震わせた。熱っぽく潤んだ瞳で俺を見つめてくる。
「だ、大丈夫りゃよ~」
「ちょっとヤバいかもしれないけど」
「あっ…今は見ないで! 私を見ないで! 抑えられなくなるから!」
「は、はぁ…?」
俺は訳がわからない。
腰を抜かしたクラスメイト。足元で白目をむいて泡を吹きながら痙攣している惚屋。俺の身体に絡みつく後輩ちゃん。
教室が
惚屋を撃退したのはいいが、被害が酷い。
安易にキレるのは止めよう、と心に誓った俺でした。
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