第234話 警戒する後輩ちゃん

 

 学校の登校中、周囲からの注目を集めている。


 ほのぼのと温かく見守られる視線もあれば、またかよ、と胃の辺りを撫で、口の中が甘ったるそうに顔をしかめられたり、血の涙を流しながら嫉妬と殺意を込めて睨まれたりもする。


 全ての原因は俺の腕をガッチリと掴んで離さない後輩ちゃんだ。


 握った手は恋人つなぎ。腕をギュッと抱きしめ、胸に押し当てている。


 柔らかい感触が伝わってくるし、温かいし、超至近距離だから甘い香りがして、頭がボーっとする。



「後輩ちゃん? 周囲の視線が痛いんだけど?」


「そんなもの無視して気づかなければ見られていないのと同じです」


「恥ずかしいんだけど」


「我慢してください。それに私は恥ずかしくありません」


「後輩ちゃんの胸が…」


「当ててるんです。察してください」



 おぉ…何が何でも俺の腕を離すつもりはないらしい。


 まあ、ありがたく察して、後輩ちゃんの胸を堪能しておきます。とても気持ちいいなぁ。


 ギュッと腕に抱きついた後輩ちゃんは、瞳を鋭くして、凄まじい威圧感を漂わせながらキョロキョロと周囲を伺っている。



「がるるるる…泥棒猫はいませんよね…がるるるる」



 後輩ちゃんが威嚇している。肉食獣のように歯を剥きだして唸っている。


 どうやら噂の惚屋という女子生徒を警戒しているらしい。


 昨日の大人の女の余裕はどこへ行ったんだ?



「後輩ちゃん後輩ちゃん。そんなに警戒しなくても大丈夫じゃないか? 今日は登校時間ギリギリに着くように家を出たんだから」


「油断しちゃダメです、先輩。こういうのは油断したときに現れるのがテンプレなんです」


「テンプレだったら正門の前とか靴箱だと思うんだけどなぁ」



 後輩ちゃんは警戒心を解こうとしないので、俺はのんびりと抱きつかれて押し当てられた胸を堪能することにする。


 鋭い眼光で周囲を見渡す後輩ちゃん。可愛らしく、がるるる、と威嚇しているから、頭をポンポンとしてなだめてみる。すると、ごろごろ、と喉を鳴らして気持ちよさそうにスリスリしてきた。


 猫みたいだ。可愛い。だからナデナデしてあげることにする。すると、もっと顔が蕩けた。だからナデナデをしてあげる。


 ………無限ループに入ってしまった。


 可愛い後輩ちゃんを見たいがために、ナデナデを続ける。後輩ちゃんが可愛すぎ。


 どのくらいナデナデをしていたのだろう。チッ、という舌打ちが聞こえて、ハッと我に返った。



「俺はどのくらいナデナデをしていたんだ!?」


「むにゃ? わかりましぇん…」



 くっ! 何だこの可愛い生き物は! 今が登校中というのが悔やまれる。今すぐ家に引き返して、思いっきり甘やかして可愛がりたい!


 時計を確認すると、ちょっと急がないと遅刻してしまうくらいの時間だった。



「後輩ちゃん! 急ぐぞ!」


「ふぁ~い!」



 トロットロに蕩けて、幸せオーラ全開の後輩ちゃんが腕に抱きついてスリスリしている。


 あまりの可愛さに、周囲の男性が胸を撃ち抜かれ、目をハートにして続々と崩れ落ちていく。


 俺のせいなのだが、公共の場で後輩ちゃんのこんな顔を他の人に見せたくない。俺だけが見ていい顔だ。


 だから、後輩ちゃんの頬をみにょ~んと引っ張る。



「ふぇ? しぇんぱぁい?」


「顔を元に戻しなさーい。俺の独占法に抵触しています」


「ふぇ? ふぁーい」



 幸せそうな顔を一瞬で戻し、キリッとした表情になった。


 だから、俺はもち肌から手を離す。ちょっと名残惜しかった。


 元に戻った後輩ちゃんの顔。でも、嬉しさは隠しきれていない。口元が緩んでいる。



「うふふ。先輩の独占法ですか。憲法にしなくていいですか?」


「俺だけの法律だから憲法と同じ意味なの」


「そうですか。では、私は喜んで先輩に独占されましょう」



 顔は蕩けていないが、さっきよりも幸せオーラが全開だ。とてもご機嫌。俺から離れたら小躍りしてスキップしそうなくらい超嬉しそうだ。


 ご機嫌な後輩ちゃんに抱きつかれて俺たちは学校へ登校する。遅刻ギリギリの時間だが、意外と生徒は多い。


 周囲の男子を撃沈させながら靴箱に到着した。


 後輩ちゃんが離れてしまい、若干寂しさを感じながら靴を履き替えようとすると、背後から聞きたくない声が聞こえてきた。



「おはよ、ダーリン♪」



 ゆっくりと靴を履き替え、ため息をつきながら嫌々振り返る。


 振り返った先にいたのは、笑顔を浮かた惚屋ほれや すいがいた。両手を広げて抱きついてこようとするが、即座に後輩ちゃんが間に割り込む。



「私の彼氏に触らないでください!」



 おぉ! 後輩ちゃんがかっこいい。本当は俺が何とかしないといけないのだが、真っ先に反応したのは後輩ちゃんだった。ちょっと自分が情けない。


 俺には後輩ちゃんがかっこよく見えるのだが、周囲の人は違うらしい。顔を真っ青にしてガクガクと震えている。腰を抜かす人も続出する。


 確かに、後輩ちゃんはとてもとても冷たい殺気を纏っているからなぁ。仕方がない。俺も見たことないくらいの殺気だ。


 でも、目の前の惚屋には通用しない。



「あなた誰? 私のダーリンを彼氏って言った?」


「そうです! 先輩は私の彼氏で、私は先輩の彼女です。数カ月前から結婚を前提にお付き合いをしています!」


「後輩ちゃん? 結婚を前提にっていうのは言う必要なかったんじゃないかな? 確かにそのつもりだけど…」


「先輩は黙っていてください! これは女同士の戦いです!」


「はい。すんません」



 さっきはかっこいいと思ったけど、今は滅茶苦茶怖いと思ってしまった。


 情けないけど黙って小さくなり、二人の戦いを見守っておきます。



「うふふ。恋には時間なんて関係ないの。私とダーリンは出会うべくして出会ったの。あなたがゴンちゃんの彼女だろうと関係ない。ゴンちゃんと結ばれるのは私なの!」


「ゴ、ゴンちゃん?」



 後輩ちゃんが、先輩、どういうことですか?、と無言で問いかけてくる。



「名前を教えてって言われたから、適当に名無しの権兵衛って言ったら、それを信じちゃったみたいで」


「バカですか? バカですよね? はぁ…警戒して損しました」


「ちょっと! 私のダーリンと喋らないで! ダーリンもそんな女を無視してよ!」



 後輩ちゃんとコソコソ話をしていたら、惚屋が大声でヒステリックに叫び始めた。


 俺たちは同時にため息をつく。



「この人、全然大したことありませんね。先輩に恋すらしていないじゃないですか。これならクラスの女子たちのほうが警戒に値します」


「何ですって!? 私のダーリンへの想いを馬鹿にするの!?」


「あぁーはいはい。馬鹿になんかしてませんよー」



 後輩ちゃんは、惚屋に興味がなくなったと言わんばかりに、おざなりな態度で適当に返事をする。それが惚屋のプライドを傷つける。


 惚屋が口を開く前に、後輩ちゃんが壁にかかった時計を見上げ、棒読み口調で告げた。



「そろそろ時間ですねー。教室に行かないとー。行きましょうか先輩」


「お、おう」



 俺は後輩ちゃんに手を引かれて教室へと向かう。



「ちょっと! 待ちなさいよー! ダーリンも待ってよぉー!」



 俺たちの背後から惚屋の大きな叫び声が聞こえたが、予鈴のチャイムと急ぐ生徒の足音にかき消された。

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