第232話 白状した俺

 

 うぅ…明日どうしよう。憂鬱だ。あの惚屋とか言う女子が突撃してきそうだなぁ。


 でも、後輩ちゃんに教えたら心配するだろうから教えたくない。


 今なら裕也の気持ちがよくわかる。これは言えないな。


 楓に言えばいいんじゃないって言ってごめん。俺がバカだったわ。何もわかってなかった。無神経だった。これに慣れているお前ってすごいよ。尊敬する。


 俺は抱きしめている後輩ちゃんのお腹をフニフニと触りながら、甘い香りを深く吸い込んで癒される。


 明日、惚屋にはっきり言うか。ほとんど冷たい態度を取らないんだけど、流石に今回はきっぱり言わないと後輩ちゃんも悲しむだろう。うん、そうしよう。



「先輩? 先輩聞いてます?」


「弟くん!」


「ふぇっ?」



 後輩ちゃんと桜先生の鋭い声で我に返った。二人がじーっと俺の顔を覗き込んでいる。


 ヤバい。何の話をしていたのか全く聞いていなかった。後輩ちゃんは拗ねてムスッとし、桜先生はメッと軽く怒っている。



「ご、ごめん! 全然聞いていなかった!」


「もう! ……って言っても、何も喋っていなかったんですけどね」


「心ここにあらずって感じだったから呼び掛けてみたの」



 なんだよそれ…。びっくりしたぁ。重要なことを話してるかと思った。


 でも、そういう状態だったかも。夕食の時は醤油だと思って黒酢をかけちゃったし、皿洗いの時は茶碗を落とすし、お風呂のお湯を入れたつもりが水だったし、裸で突撃してきた桜先生を注意することなく普通に一緒に入ったし。ちなみに、後輩ちゃんは水着を着ていました。


 後輩ちゃんがクルリと向きを変え、向かい合って両手で頬を挟み込んでくる。そして、至近距離で俺の顔を覗き込んでくる。



「先輩? 何かありました?」


「相談があるのなら聞くわよ? お姉ちゃんは先生だから!」



 桜先生も心配そうだ。そうだった。桜先生は一応先生だった。とてもポンコツで残念だけど、これでも教師だった。すっかり忘れてた。



「……弟くんが何か失礼なことを考えている気がするわ」


「考えてない考えてない!」



 俺は必死に首をブンブンと横に振る。じっとりと濡れたジト目の桜先生は、取り敢えずスルーすることにしたようだ。俺はホッと安堵した。



「弟くん? お姉ちゃん先生にお話ししてちょうだい!」


「お姉ちゃん先生って言い方がポンコツだな」


「弟くん? おっぱいでむぎゅってしてあげるわよ? 最近、弟くんの罰としていいかなぁって思い始めたの」


「止めてください。死んじゃいます」


「ちょっと! 先輩もお姉ちゃんも全然話が進まないでしょ! 先輩、相談できるなら話してください。ダメなら私とお姉ちゃんが甘やかしてあげます。まあ、相談してくれてもあとで甘やかしますが」



 何という魅力的な提案。後でお願いします。甘えますから。


 俺は正座して二人に白状することにした。後輩ちゃんも桜先生も正座して真剣に聞いてくれる。


 裕也がストーカーに似た被害に遭っていたこと。昨日、その女子生徒を助けたこと。今日の放課後のやり取りなど洗いざらい全部言った。


 心配させないようにと思ったけれど、後輩ちゃんに誤解されるのが一番嫌だ。それに、付き合っている俺たちの問題でもある。もし逆の立場だったら、後輩ちゃんは真っ先に俺に相談するはずだ。


 無言でじっと聞いていた後輩ちゃんが顔を伏せた。俺からあまり顔が見えなくなる。そんな後輩ちゃんの口から、低くて不気味な笑い声が漏れ出してきた。



「…ふふふ……うふふふふ…! 先輩を、愛しい先輩を私から奪おうとするんだ…良い度胸だね? アハハ! どうしてあげようかな、その女♪ キャハハハ!」



 がバッと顔をあげた後輩ちゃんの顔は恐ろしかった。無表情なのに口元だけが不気味に吊り上がって笑っている。瞳からは光が失われ、コールタールのようにねっとりとしたドス黒い闇に覆われていた。


 僅かに開いた口から笑い声が止まらない。ゾッとする程深い愛情と憎悪と殺意を孕んで狂っている。


 俺と桜先生は思わずお互いに縋りついて恐怖に震える。



「い、妹ちゃんがヤンデレになっちゃった! 何となくわかっていたけど! 包丁! 包丁を隠さなきゃ! 鋏も危ないわ!」


「ひぃっ!? ヤンデレモードの後輩ちゃんはホラーよりも怖い!」


「私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩私の先輩」


「妹ちゃん落ち着いて! 弟くんを好きにしていいから! ほらっ! どうぞ!」


「ちょっと! 俺を生贄にするな!」



 ヤンデレモードの後輩ちゃんが不気味な笑顔で俺に掴みかかった。ガシッと指が食い込んで少し痛い。


 超至近距離で囁かれる。



「私から先輩を…奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな奪うな」



 その日、後輩ちゃんがヤンデレと化した。


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