第217話 苦手なものと後輩ちゃん

 

 牛の乳搾り体験を行った俺たち三人。女性二人が際どい発言をしたという事件はあったが、頭に拳骨を落として制裁し、乳搾りという初めての貴重な経験をすることができた。


 その後、少し距離が遠い係員さんが、とれたての乳を使った料理を園内のレストランで食べることができると聞き、丁度良い時間だったため、そのレストランで昼食休憩をすることにした。


 あの係員さん。俺のことを変態だとずっと誤解していたなぁ。俺が近づくと微妙に後退っていたし、顔が引き攣っていたし…。


 地味に俺の心が傷つきました。


 でも、とれたての牛乳を使ったミルクパンや、ミルクスープ、アイスクリーム、そのままの牛乳など、牛乳を使った料理はとても美味しく、傷ついた心もあっという間に癒されました。


 美味しいものって素晴らしいよね。


 ただ、ベーコンやローストビーフなどお肉系の料理もあったんだけど、動物園の動物を見た後はちょっと食べるのに勇気が必要だった。少しの間躊躇してしまった。美味しかったけど!


 全く躊躇せず、美味しそうにパクパク食べている人もいたけど。それも一人じゃなくて二人。正確には後輩ちゃんと桜先生。


 お腹がいっぱいになった俺たちは、幸せな気分でレストランから出る。



「美味しかったですね! また食べたいです!」


「そうねぇ。弟くん? 料理の再現は出来ないの?」



 桜先生が可愛らしく首をかしげながら問いかけてきた。後輩ちゃんも、その手があったか、と興味津々で瞳を輝かせている。


 お願いっていう二人の視線を浴びていると、作ってあげたくなるんだけど、俺にも限界があるのだ。



「搾りたての牛乳を使っているから、あの味が出るんだ。市販の牛乳を使うと少し味は落ちると思う。ごめんな」


「先輩! そんなに申し訳なさそうにしないでください!」


「そうよ、弟くん! 聞いてみただけだから! ちなみに、お姉ちゃんの母乳で作ったら………わっわっ!? ごめんなさい弟くん! 冗談だから! 場を和ませる大人のお姉ちゃんのおちゃめなジョークだから! だからその振り上げた拳を下ろして!」



 ちっ! 今回は許してあげよう。冗談に聞こえなかったけれど、今回は冗談だったということにしてあげる。俺の慈悲に感謝するように!


 ゆっくりと拳を下ろしたら、手で頭を押さえて隠していた桜先生がホッと安堵の息を吐いた。


 ちなみに、お隣の後輩ちゃんが、変なことを言わくてよかったぁ、とボソッと呟いたのははっきりと聞こえております。聞かなかったフリをしますが。


 俺たち三人は動物園の散策を続ける。


 少し歩くと、まだ行ったことが無い建物が見えてきた。建物には大きく『爬虫類館』と書かれている。



「爬虫類館か。二人は大丈夫?」


「私は平気です!」


「お姉ちゃんも大丈夫よー!」


「なら行きますか」


「「おぉー!」」



 うむ。元気の良い可愛い返事だ。では、爬虫類館に行きましょう。


 建物の中は薄暗かった。少しひんやりとした感じがある。少し前に行ったボーンテッドハウスのことを思い出し、身体が震え始める。


 ここは大丈夫。ここは大丈夫。大丈夫だから。お化けは出ない。よしっ!


 自己暗示を済ませて、ガラスの奥を覗き込む。巨大な蛇がゆっくりと首を上げた。二又に分かれた舌をチロチロと出したり戻したりしている。


 テカテカと濡れたように光っている鱗が照明を反射させている。



「蛇だな」


「蛇ですねぇ」


「蛇ね」



 俺たちはゆっくりと地面を這う蛇を観察し続ける。蛇が俺たちに興味がなくなって寝てしまうまでずっと眺めていた。


 ちょっとカッコよかった。


 その後も様々な種類の蛇やトカゲを観察する。エリマキトカゲもいた。襟を広げて走るという珍しい行動も見ることができた。実に運がいい!


 建物の中をゆっくりと進んで、俺たちはとあるガラスの前に来た。ガラスの向こうは草木が生い茂っている。



「ここはなにがいるんだ?」


「えーっとですね………あっ!」



 後輩ちゃんが少し驚いた声を上げた。


 どうしたんだろうと振り向きかけた瞬間、俺の目が展示されている生き物を捉えた。


 手のひらに乗るくらいの大きさの黒い物体。毛に覆われて、足が八本ある。沢山ある瞳と目が合った。


 俺の身体が凍り付く。



「きゃぁぁあああああああ!?」



 俺は咄嗟にガラスから離れ、近くにいた後輩ちゃんと桜先生を抱きしめ、盾にする。背中に顔を押し付けて隠し、ガクガクと震える。



「ど、どうしたの弟くん!?」


「ホラーに並ぶくらい先輩が苦手なものです」


「タランチュラが?」


「正確にはクモですね」


「その名前を言わないで!?」



 言葉を聞いただけでも寒気がする。あぁ気持ち悪い。


 ここは爬虫類館だろ!? なんでヤツがいるんだ!? 全然種類が違うだろ!? そこにいる物体Sは節足動物のはずだ! ここにいてはいけない生き物だ! いや、この世に存在してはいけない生き物なのだ!


 もうここにいたくない。今すぐ離れよう。見たくない。



「い、移動するぞ!」


「はーい!」


「次は何かしら? あれはムカデ?」


「ひぃっ!? Мさんも無理! 節足動物無理! スルーしよ? お願い!」



 ガクガクブルブルと震えていたら、生温かい眼差しを向けられ、優しく頭を撫でられた。


 俺は小さな子供かっ!? ………………でも、もうちょっとだけ続けてください。お願いします。


 二人に節足動物エリアが終わった言われたので、瞑っていた目を開けた。二人の香りを堪能していたらあっという間だった。節足動物を想像することもなかったので助かった。



「せんぱぁ~い! 先輩は本っ当に可愛いですねぇ」


「弟くん…どれだけお姉ちゃんたちをキュンキュンさせればいいの? そのうちキュン死しちゃうわ!」


「………………あっ! トカゲのエサやりの時間みたいだぞー。行こうー!」



 驚くほどの棒読み口調が俺の口から飛び出した。恥ずかしかったから話題を逸らそうと思ったが、強引過ぎたようだ。


 後輩ちゃんと桜先生は呆れながらも付いて来てくれる。


 飼育員さんがトカゲにエサをやっていた。多くの観客から悲鳴のようなものが上がっている。一体どうしたんだろう?


 飼育員さんが手にしたものを見て、後輩ちゃんが真っ青になって硬直した。



「ぎゃぁぁああああああああああ!?」



 後輩ちゃんが悲鳴を上げ、俺にむぎゅっと抱きついた。縋りついてブルブルと震えている。口から小さく嗚咽が漏れている。


 他の観客からも似たような悲鳴が上がったため、後輩ちゃんは目立たなかった。


 何があった!?



「せ、せせせせせせ先輩!? や、奴がいました! エサが奴でした!」


「奴?」



 じーっと飼育員さんが手に持ち、トカゲが美味しそうに食べているものを観察してみた。


 カサカサと動く黒光りする生き物。生命力が強いみんなのお隣さん。ゴキブリだ。



「あぁー。後輩ちゃんは奴が大嫌いだったな」


「奴ってゴキブリのこと?」


「お姉ちゃん! その名前を出さないで! 名前を聞くだけで寒気がする!」



 本当にブルブルと震えている後輩ちゃん。顔が青を通り越して真っ白になっている。今にも気絶して倒れそうだ。



「い、今すぐ離れますよ!」



 ちょっと悪戯心でこの場に留まりたいと思ってしまった。けど、先ほど俺の言うことも聞いてくれたので、今すぐ離れることにする。


 恐怖に震える後輩ちゃんはとても可愛い。人目が無かったら物凄く可愛がりたい。


 俺は桜先生と二人で後輩ちゃんを愛でながら爬虫類館を後にするのだった。

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