第161話 綺麗な海と夕日と後輩ちゃん

 

「つ、疲れたー!」



 俺は海が見えるベンチに座って、ぐったりと脱力する。


 突発的に始まったドッジボール大会は、最終的に何でもありの乱闘もどきになったのだ。


 あいつらったら、ボールを当てても外野に行かないし、そもそも、外野と内野のラインが全くなかったし! 俺に突撃して、手足を拘束してくるし! もう散々だった!



「もう絶対男子どもとドッジボールしない!」


「そうなんですか? でも、先輩は結構楽しそうでしたよ」



 後輩ちゃんが可愛らしくクスクスと笑っている。


 その可愛さに思わず見惚れてしまい、そのことに気づいた後輩ちゃんがニンマリと笑う。


 咄嗟に、俺は後輩ちゃんに揶揄われる前に話題を逸らすことにする。



「海が綺麗だな」



 現在は丁度夕暮れ時。真っ赤に染まった太陽が空と海まで赤く染めている。


 少し眩しいけど、絵画みたいに美しい光景だ。



「ふふふっ。そうですねぇ」



 あからさまに話題を逸らした俺を見て、後輩ちゃんがまたクスクスと笑っている。


 俺は後輩ちゃんの手をギュッと握った。後輩ちゃんもギュッと握り返してくる。


 俺たちは自然に指を絡ませ、恋人つなぎにする。



「本当に海が綺麗ですね。夕日も綺麗です」


「そうだなぁ」



 後輩ちゃんの頭が俺の肩にコテンと乗ってきた。後輩ちゃんの甘い香りがふわっと漂ってくる。


 しばらくじっと二人で寄り添っていると、後輩ちゃんがぼそりと呟いた。



「先輩。『海が綺麗ですね』と『夕日が綺麗ですね』という言葉にも、別の意味があるって知っていますか?」


「えっ? なにそれ? 『月が綺麗』みたいな奴か?」



『月が綺麗』という言葉を聞いて、後輩ちゃんの顔がポフンと真っ赤になる。


 夜の露天風呂の告白を思い出したようだ。


 あっ、思い出したら俺も恥ずかしくなってきた。



「え、えええええええっとですね。う、うううううう海が…」


「………後輩ちゃん。動揺しすぎ」


「うるさいです! 先輩のばか!」



 ビシバシと叩かれる俺。俺、何か悪いことした? ちょっと痛い。


 えーコホン、と後輩ちゃんが咳払いする。



「ヒロイン属性の乙女先輩に、超絶可愛い私が教えてあげましょう!」


「超絶可愛いの後に『彼女の』って言葉を入れてください」


「この超絶可愛い彼女の私が……って、何を言わせてるんですか!?」



 ビシバシ叩かれる俺。後輩ちゃんを揶揄って、ちょっと楽しい。痛いけど。


 コホンコホン、と後輩ちゃんが咳払いする。



「もう! 説明しますよ! 『海が綺麗ですね』という言葉の意味は、『あなたに溺れています』だそうです。『夕日が綺麗』のほうは、『あなたの気持ちが知りたい』だそうです。まあ、もっと詳しく言うと『この後の夜も一緒に居たい』という意味ですね」


「葉月、海と夕日が綺麗だな」


「だから、何言ってんですか!」



 ビシバシボコボコ叩かれ殴られる俺。グーはお願いだから止めて!


 照れ隠しで俺を叩いて殴った後輩ちゃんは、ベンチからスッと立ち上がると、先輩のばかー、と叫びながら海のほうへと走っていく。


 その顔は、真っ赤な夕暮の中でもはっきりとわかるほど赤くなっていた。


 夕日の沈む海に走っていくワンピース姿の美少女。実に絵になる。


 くるぶし辺りまで海に浸かり、夕日に向かって後輩ちゃんが叫ぶ。



「先輩のヘタレ―! あほー! ばかー! へたれー! 根性なしー!」


「ちょっ! 酷くねっ!?」



 後輩ちゃんの言葉が俺の心を深く抉る。す、少し気にしていることなのに!


 逆光の中、美しい少女が髪を耳にかける仕草をしながら俺を手招きしている。


 あらゆる絵画よりも美しい光景。


 俺は見惚れながら後輩ちゃんの下へ歩いて行く。


 後輩ちゃんが悪戯っぽく微笑む。



「えいっ!」



 可愛らしい声を上げ、くるぶしまで浸かった海水を俺に向かって蹴った。ピチャッと軽く水がかかる。


 そう来るか。なら、反撃してあげよう!



「とりゃっ!」


「きゃっ! 先輩! 水がかかったじゃないですか! 最低です!」


「え、えぇー! 後輩ちゃんが先にかけてきただろ!」


「私はいいのです! 先輩の彼女特権です!」



 彼女特権って…。俺に水をかけることが彼女の特権なのだろうか? もっといろいろとあると思うけど…。手を握る権利とか、抱きつく権利とか、キスする権利とか。


 俺たちは付き合う前からそんなことをしていたような気がするけど、全部気のせいなのである。


 あ、あれは彼女特権じゃなくて後輩ちゃん特権だ。



「じゃあ、彼氏特権ということで」


「残念でしたー! 私の彼氏の特権に水をかけるとかありませーん!」


「えぇ…」



 理不尽すぎないか? 不公平だ不公平!


 ニコッと笑った後輩ちゃんが俺にギュッと抱きついてきた。俺は自然と後輩ちゃんの腰や背中に手を回して抱きしめる。


 後輩ちゃんが上目遣いで見つめてくる。



「先輩? 夕日に向かって叫んでみたらどうですか? さっきの私みたいに愚痴を叫ぶとスッキリしますよ」



 あぁー、やっぱりさっきのは後輩ちゃんの愚痴だったのね。冗談とかじゃなくて。ちょっとショックだ。


 でも、周りには後輩ちゃんしかいないし、少し恥ずかしいけど叫んでみるか。


 俺は深く息を吸って叫ぶ。



「後輩ちゃんの痴女ー! ぐぼっ!?」


「先輩、本気で愚痴を言いますか!? 私は痴女じゃありません! 処女です! 生娘です! ここは、好きだー、と叫ぶところでしょ!」


「ぐほっ!? グ、グーは止めて!」



 俺の鳩尾に拳を叩きこんでいる後輩ちゃんは、ムスッと頬を膨らませて怒っている。


 あぁー痛かった。後輩ちゃんの拳は鳩尾に下からめり込んでくるから超痛い。



「ご、ごめん」


「では、行動で示してください!」



 えぇー。好きだー、って叫ばないといけないの? 流石に恥ずかしすぎるんだけど!


 叫ぶのは難易度が高いから、別の方法で示すとしよう。


 俺はムスッと怒っている後輩ちゃんの唇にキスをした。後輩ちゃんが目をパチクリさせる。



「行動で示してみました。これでいいか?」


「………いいですけど、いいですけど! 不意打ちは卑怯ですってば!」



 恥ずかしがった後輩ちゃんが俺の胸に顔を押し付けて、赤くなった顔を隠している。


 スリスリと俺の身体に顔を擦り付けている。子猫みたいで可愛い。


 瞳を潤ませた後輩ちゃんが上目遣いで見つめてきた。


 そして、スっと顔と顔の距離を縮めて、俺の唇に柔らかな感触がした。


 後輩ちゃんからのキスだ。珍しい。


 熱い息が触れあうほどの超至近距離で俺たちは見つめ合う。


 後輩ちゃんのピンクで艶やかな唇が開いた。



「さっきの答えです」


「………えっ?」


「先輩が言った『海と夕日が綺麗』の私からの返答です!」


「あっ、そういうことか」



 私も同じ気持ちです、という後輩ちゃんからの答えなのだろう。


 お互いに気持ちが通じ合っている俺たちは、自然と距離がゼロになる。


 地平線に沈む太陽によって、空も海も真っ赤に染まっている。当然俺と後輩ちゃんも真っ赤だ。


 俺たち以外誰もいない二人だけの浜辺。


 愛しい人の唇が離れた。柔らかな感触が、まだ俺の唇に残っている。


 何となく俺は沈んでいく夕日を眺める。俺の腕の中の後輩ちゃんも夕日を眺めている。



「………綺麗だな」


「………綺麗ですね」


「………また来ような。今度は二人きりで」


「………はい。でも、お姉ちゃんを除け者にしていいんですか?」


「………そこは、要相談ということで」


「………ふふふっ。わかりました」



 俺と後輩ちゃんはお互いの温もりを感じつつ、真っ赤に染まった綺麗な夕日を静かに眺めていた。






















「………なかなか全部沈まないな」


「………ですね。というか眩しすぎです!」



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