第33話 Gと方言と後輩ちゃん

 

「ぎゃぁぁぁああああああああああああああああああああああ!」


 夕暮れ。突如、お隣の後輩ちゃんの家から悲鳴が上がった。後輩ちゃんの叫び声だ。そして、叫び声をあげながらドタバタと暴れる音がする。


 俺は即座に後輩ちゃんの家に向かう。


 一体何があったんだ!? これはただ事ではない!


 俺は靴を適当に履くと、後輩ちゃんの玄関のドアを開けようとするが、先に後輩ちゃんが飛び出してくるのが先だった。


 俺はぶつかってきた後輩ちゃんの身体を何とか抱き留める。



「は、葉月!? 何があった!?」


「せ、先輩!? うわぁぁあああああああああああん! せんぱ~い…!」



 俺は何があったのか聞き出そうとするが、後輩ちゃんが泣き出してしまう。


 一体何が起きたんだ? もしかして、空き巣か!?


 俺は警戒する。いつでも襲ってこられてもいいように腰を落とし、葉月を守ることだけを考える。



「ほえ? せ、先輩が本気モードです。はぅ…かっこいい…」



 葉月が顔を赤らめて何やら呟いている。目の端には涙が輝いている。



「葉月?」


「ひゃっ!? そ、その状態で私の名前を呼ばないでください! ダメです! ダメですから! いつもの大人しい先輩に戻ってください!」



 何故か名前で呼ぶのを拒否された。


 今の俺ってそんなに怖い? ちょっとショックだ。



「後輩ちゃん? 一体何があった?」


「奴が…奴が出たんです…」



 後輩ちゃんが何かを思い出して顔を真っ青にする。


 相当怖かったのだろう。身体もブルブルと震わせている。



「空き巣か?」


「へっ? 違いますよ。黒光りする奴です。GですよG!」


「あぁ! ゴキブリか!」



 俺は安心して気が抜ける。よかった。ゴキブリか。


 そういえば後輩ちゃんは昆虫が苦手だったな。特にゴキブリが一番嫌いらしい。


 俺の家も綺麗にしてるんだが、年に何回か出てくるんだよな。どこから侵入するのだろうか?



「ちょっと先輩! その名前を出さないでください! 名前だけでゾワッとしますから!」



 本当に苦手らしい。後輩ちゃんが腕を撫でている。鳥肌が立ったようだ。



「じゃあ、さっさと駆除するか。どこに出たんだ? 大きさは?」


「し、寝室です。大きさはそれほど大きくないかと…」


「了解」



 俺は自分の家に戻って殺虫スプレーと箒とチリトリを用意する。そして、後輩ちゃんの家に向かう。


 何故か後輩ちゃんが俺のTシャツの裾をずっと掴んで、俺の後ろをついてきた。


 俺の家で待ってていいのに。



「これから奴が出てくるけど大丈夫なのか?」


「せ、先輩がいるなら大丈夫です」


「飛んでくるかもしれないぞ?」


「リビングにいます!」



 後輩ちゃんが即答した。寝室までは来ないらしい。


 後輩ちゃんの家は俺が三日に一回掃除しているから、それなりに綺麗な状態を保っている。


 しかし、少し脱ぎ散らかされた衣服が散乱している。


 あれほど洗濯籠に入れておくよう言っているのに。まあ、いいや。後で俺がしておこう。


 俺は後輩ちゃんの寝室のドアを開けた。



「後輩ちゃん? 簡単にどこに行ったか教えてくれる?」


「ぎゃんってぎゃん行ってぎゃん行ったばい」



 後輩ちゃんが震えながらあちこちを指さす。俺はゴキブリがどう移動したのか、何となくわかった。


 しかし、後輩ちゃんにまだ聞きたいとこがある。



「……なぜ熊本弁?」


「母方の祖父母が熊本なので。そういえば祖父母の家でGが出た時、祖母が言っていたなぁ、と思い出しました。一度言ってみたかったんです。他にも、あっちさん行ってこっちさん行って隠れらした、というバージョンもありますよ」


「方言を言う後輩ちゃんもいいな。他にはないのか?」


「覚えているのは、『あなたは何をしているの?』という意味の『ぬしゃなんばしよっとね?』とか、『全く分からない』という意味の『いっちょんわからん』とか…」



 一旦言葉を切った後輩ちゃんがニヤリと笑った。


 俺にサッと近づき、耳元で優しく囁いてくる。



「『好きだけん、付き合ってくれん? 返事待っとるよ』」



 それだけ言うと後輩ちゃんが俺から離れた。



「という方言もあります。あれれ~? どうしたんですかぁ~せんぱぁ~い? お顔が真っ赤ですよぉ~?」



 俺は何も言えず顔を背けた。


 不意打ちはヤバい。熊本弁ヤバい。


 今のは正式な告白ではなかったが、明らかに後輩ちゃんの気持ちがこもっていた。


 方言女子の破壊力が強すぎる。身体が猛烈に熱い。



「もしかして本気にしちゃいました? 方言の例ですよ!」


「………わかってる」


「私はするよりもされるほうが好みなので」


「………それもわかってる」


「そうですか。いつでも待っとるよ」



 だから方言はダメだって! 後輩ちゃんの可愛さが倍増してるから! 今すぐ後輩ちゃんを抱きしめたくなるから!


 俺は無言で後輩ちゃんの寝室に向き直る。


 ここへはゴキブリを退治するために来たのだ。さっさと用事を済ませよう。



「『がまだせ』先輩!」



 後輩ちゃんが言った。俺は後輩ちゃんの言葉が意味不明で、思わず振り向いてしまった。



「が、がま?」


「がんばれ先輩ってことですよ。ちゃんと『あとぜき』してくださいね?」


「あとぜき?」


「扉を開けたら閉めてくださいってことです。熊本県の学校の職員室のドアには『あとぜき』と書かれた紙が貼られているそうですよ」



 よく知ってるなぁ後輩ちゃん。開けたら閉める、ね。


 ゴキブリが寝室からリビングに行かないように扉を閉めろということか。


 方言って難しい。



「まあ、頑張ってくるよ」



 可愛らしく手を振って応援してくる後輩ちゃんに頷いて、俺は再度寝室に向き直り、寝室に入って扉を閉めた。


 扉を閉めて後輩ちゃんが見えなくなった瞬間、俺は先ほどの後輩ちゃんを思い出して、一人しばらく悶えていた。


 さっき方言で囁いてきたときの後輩ちゃんは、とてもとても可愛かったです。

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