コロポット

トーナ

第1話

 ある日、わたしはコロポットを拾った。いや、ついてきたと言うべきか。

 日も暮れかかり赤く染まる景色の中、わたしは帰路についていた。

 通い慣れた道を意識も虚ろにぼんやりと歩いていると、そいつは道端にぽつんと佇んでいたのだ。

 その姿はなんとも憐憫の情を掻き立てるものだったが、わたしはそのまま立ち去ろうとした。しかし、そいつはちょこちょことわたしの後について歩いているのだ。

 これは困った。こんなところを誰かに見られでもしたら、後で何を言われるかわかったものではない。しっしっと追い払おうと手を振るが、そいつは遊んでいるとでも思ったのか、音のトーンを上げて更にわたしとの距離を詰めてきた。

「やあ、面白いものを連れているね」

 その声に振り向くと、そこにいたのは近所でたまに見かけるお兄さんだ。名前も年齢も知らないが、大学生であるらしいということは聞いたことがある。

 お兄さんはわたしへの挨拶もそこそこに、コロポットの傍へと歩み寄りしげしげと眺める。わたしにはわからない何かがお兄さんの琴線に触れたのか、彼は若干熱っぽい目でコロポットをじっと見つめていた。

「これは美人さんだなあ。さぞかし大事に育てられてきたんだろうねえ」

 そんなうっとりとした――若干気色悪い声で言い、お兄さんがわたしの方を向く。

 いやいやそいつはわたしのものではない。ついさっき道端で行き遭って、どうしてかわたしの後ろをついて歩いているのだ。

 そう言うと、お兄さんはやにわに色めき立ってコロポットの方に向き直る。しかしコロポットの方はお兄さんを嫌がっているようで、慌ててわたしの後ろに回りぷるぷると震え出した。

「ああ、えっと……嫌われちゃったかな?」

 そんなコロポットを見て残念そうに目尻を下げたお兄さんは、居心地悪そうにぽりぽりと頬を掻く。あわよくばこいつとお付き合いでもしたいと思ったのだろうが、そんな欲望丸出しでは捕まえられるものも捕まえられないだろう。

 このお兄さん、童貞だな……そんな世にも失礼なことを考えながら、わたしはぺこりと頭を下げて身を翻した。例え相手が誰であれ、わたしは礼儀を忘れない良い子なのだ。

 コロポットは尚もわたしの後をついて歩く。正直なところ鬱陶しかったが、追い払うというのもそれはそれで面倒臭い。まあ、そのうちどこかへ行ってくれるだろう。そう楽観的に考えながら、わたしは真っ直ぐに自宅へと向かっていた。

「おかえりー……って、アンタどうしたのそれ?」

 母はコロポットを見るなり、目を丸くしてそう言った。

 ついて来ちゃった、と言うと母はあらあらまあまあと目尻を下げ、でれでれした顔でコロポットを撫でている。コロポットの方も母には警戒心を現すことなく、差し出された手に頭をすりすりと擦りつけていた。

 それから数分、コロポットを撫で続けていた母は満足気な表情を浮かべていた。元々母は、可愛いものは大好物なのだ。それが生きて動き可愛らしい生物なら尚の事だ。

 だが、ふと顔を上げた母の顔は浮かないものだった。それも仕方のないことだろう、私の家では何がしかのペットを飼うことはできない。例えそれが小さかろうと大人しかろうと、そういう決まりになっているのだ。

「残念だけど、元の場所に戻してらっしゃい」

 そう言って母は家の奥へと引っ込んでいく。その背中は哀愁を帯びていて、心なしかいつもより小さく見えた。

 その話が理解できたのかできていないのか、コロポットはわたしをじっと見つめている。何音感情も示さないその瞳に見つめられて、わたしはどうしてか僅かな居心地の悪さを感じた。

 靴を脱ぐことすらせず、わたしは再び外へと足を向ける。そんなわたしに、コロポットは何の警戒もせずついてきた。これから自分が捨てられるということがわかっているのだろうか。

 そしてやってきたのは、家とほど近い公園だった。元の場所とは言われたが、そこはただの道端だ。それよりもこういった人の集まる場所の方が、もしかしたら拾ってくれる心優しい人がいるかもしれない。

 そこでは何人かの子供がきゃいきゃいと遊んでいた。この世界に何の不安も抱いていないとでも言うような、無邪気な笑い声が公園の中に響いている。

 なんとも幸せそうな絵面だが、わたしはああいう子供は苦手としていた。だから彼らの目に触れないようこっそりと足を進めていたのだが、ふと彼らのうちの一人がこちらに目を向け、コロポットに興味を示した。

「あー! ねえねえ、それなあに?」

 話しかけてきたのは子供達の中でも一番大きな声を上げ、一番活発に走り回っていた子だ。きっと彼らの中でも一番社交性が高く、好奇心も強いのだろう。わたしが一番苦手とするタイプの人間だ。

 内心で舌打ちするわたしに構わず、その子はコロポットに興味津々といった様子で目が釘付けになっている。貸してあげようか、と言うとその子はぱっと目を輝かせ、あっというまにコロポットを抱えて友達の元へと走り寄っていった。

 コロポットと子供、そのどちらもが傍から離れたことに安堵してわたしはほっと息をつく。

 いっそこのまま帰ってしまおうかとも思ったが、流石にあんな年端もいかない子供に任せるのは些か不安だ。家に連れ帰ったところで、わたしと同じように戻してこいと言われるか、そうでなければ自分で壊してしまうか、どちらにせよ碌なことにはならないだろう。

 わたしは傍らのベンチに座り、子供達の方に目を向ける。間違っても、コロポットをおかしなことに使ってしまわないかさりげなく見張るためだ。

 まあ、別にそれで何か取り返しのつかないことが起きたとしても、わたしが責任を被ることはないだろう。だが万が一、子供達に怪我でもあったら、流石のわたしでもほんの僅かに残っている良心が痛むというものだ。それと、子供達がコロポットをどう扱うかという好奇心も、それなりにはあったことを付け加えておこう。

 じっと見ていると、子供達はコロポットを蹴飛ばし始めた。コロポットもそれに抵抗したりはせず、なすがままになっている。

 あれは、サッカーでもしているのだろう。公園で何かを蹴って遊ぶものなど、それくらいしか思いつかない。まさかあんな子供達が、蹴鞠やセパタクローなんて渋いものを選んだりもしないだろうし。

 彼らの中には一人、中々上手い子がいた。

 その子はぽんぽんと地面に落とさないようコロポットを足だけで蹴り続ける。あれは確か、リフティングというやつだ。いかにわたしでも、それくらいは知っている。

 まるで生きているかのようにコロポットを操るその子は他の子供達の羨望の眼差しを一身に受け、最後に一際高くコロポットを跳ね上げると、落ちてきたそれを草むらの方へ強く打ち込んだ。

 子供にしては強烈なそのシュートは狙い過たず草むらの中へ飛び込み、それを見ていた子供達が彼を新興宗教の教祖だとでも言うように崇め奉っている。

 あのくらいの年の子供達にとっての最大のステータスは、運動ができることだ。きっとあの子は、学校や他の友達同士でもああして名声を欲しいままにしているのだろう。

 そんな風にしばらく見ていると、視界の端で何か蠢くものがあった。そちらに目をやると、どうやらホームレスのようだ。この公園を根城にしているのだろうか。

 それだけなら路傍の石のように放っておくのだが、どうもそいつは様子がおかしかった。ぼろぼろの布切れを纏い、垢で黒ずんだ皮膚の中で、それだけがギラギラと光る目で子供達の方をじっと見つめているのだ。

 その目つきはどう見ても、無邪気に遊ぶ子供達を温かく見つめるような微笑ましいものではない。人生に疲れきったとでもいわんばかりの虚ろな目に、いかにも危険な光を孕ませてじっと子供達の方へと目線を向けていた。

 わたしがそのことに気付くのが早いが否か、そいつは子供達に向かって走り出す。ホームレスの存在すら認識していなかった子供達が咄嗟に対応できるはずもなく、何の抵抗もすることができずにいる間にホームレスはコロポットを子供達から奪い取っていた。

「ああっ!」

「何すんだよおじさん、それ返してよ!」

「うっ…うう五月蝿え!! テメェら、これが何だか、わ、わかってんのかっ!?」

「はあ!? 何言ってんのさおじさん! いいから返してってばぁ!」

 何人もの子供達に囲まれ、たじろぐホームレス。いかに大人と子供とはいえ、それだけの人数差で手が出れば、ホームレスの方が一方的にやられてしまうだろう。もちろん子供達にそんなつもりは微塵もないのだろうが、ホームレスの方はそれを危惧して思い切った動きができずにいるようだ。

 まして、ホームレスはコロポットをまるで自分の命よりも大事なものであるかのように必死で抱えている。そんなものを持ったままでは、子供達を殴り伏せることはおろか、その場から逃げおおせることだって危ういだろう。

 かといって、子供達の方もコロポットを取り戻す術はない。単純な力だけでは到底太刀打ちはできないだろうし、何より彼らは予想外の闖入者に混乱してしまい、腰が引けていることが一目瞭然だった。

 このままでは埒があかない。元々コロポットを手放そうとしてここに訪れていたわけだが、あんなやつにむざむざ渡してしまうのは流石に嫌だ。

 仕方がない…わたしがそう思い立ち上がろうとした瞬間、突然コロポットが暴れ出し、ホームレスの手から逃れた。慌ててもう一度捕まえようとするホームレスだが、コロポットはすばしっこく逃げ回って捕まえることができない。

 子供達はというと、そんなホームレスとコロポットをぽかんとした表情で見つめていた。

 そうしていると、これまた突然コロポットが動きを止める。これは好機と飛びついたホームレスの体を、コロポットは一瞬で丸呑みにしてしまった。

 騒がしかった公園の中に、静寂が訪れる。肉の一片、血の一滴、服の切れ端すら残さずに、ホームレスはコロポットの口の中へと丸ごと消えてしまったのだ。

 呆然とする子供達をよそに、わたしはコロポットの方へ歩み寄る。するとコロポットは嬉しそうにわたしの傍に寄り添ってきた。

 未だ口をあんぐりと開けて信じられない表情をする子供達に軽く会釈をし、わたしは公園を出て再び帰路につく。今日のうちにどうにかするのは諦めて、また明日考えよう。明日になればどうにかなる保証もないが、とりあえず今日だけは平穏が約束される。

 音を立てないようにこっそりとドアを開け、家に入る。母は丁度夕飯の支度をしている最中で、こっちには気付いていないようだ。抜き足差し足で慎重にわたしの部屋へ行くと、コロポットをそこに置いてわたしは改めて母の所へ行く。

「あら、おかえり。ちゃんとしてきた?」

 その問いかけにわたしは頷く。捨てたとか置いてきたとかの言葉を使わないのは、母自身に若干の後ろめたさがあるからだろう。

 ふとつけっぱなしになっているテレビを見ると、夕方のニュースを映していた。その画面ではキャスターが無表情で今日の出来事を語っている。

『本日未明、コロポットが逃げ出していたことがわかりました。現在もその居場所、消息は不明で、警察が行方を追っています。もしコロポットを見つけたら、不用意に近づかず、お近くの警察署か交番にご連絡をお願いします』

 その言葉と共に映し出されていたのは、捜索中の警察官だ。十数人……いや、数十人もの警察官がわらわらとあちらこちらに散らばって、いかにも物々しい雰囲気だということが画面を通して伝わってくる。

「あらあら、怖いわねえ。この近くじゃない。アンタは大丈夫だった?」

 いつの間にか近寄っていた母がテレビを見て言う。わたしは平気だと頷くと、母はほっと安心したように息をついた。

「もうすぐご飯になるから、それまで部屋で宿題でもしてなさい」

 そう言って母は再び台所の方へと歩いていった。わたしも言われた通り自分の部屋へと戻っていく。

 部屋のドアを開けると、案の定コロポットがいた。当然だ、わたしが連れてきたのだから。

 わたしの姿を認めた途端、コロポットは嬉しそうにわたしに擦り寄ってくる。だが、わたしはそんな事など頭の隅に追いやって、途方に暮れていた。

 あそこまで大きな話になってしまっては、こいつを手放すことが難しくなってしまった。

 あの公園に置いたままで誰かに発見されれば、次は誰がそこに置いたのかという犯人探しになってしまう可能性もある。そうなれば、わたしが見つかることは時間の問題だろう。

 それで何かしらの責任を負うことはないだろうが、わたしはあまり目立ちたくない性格の持ち主だ。どうにかこいつをこっそりと処理する方法はないだろうか。

 誰にも見られず、ひっそりとこの世から存在を消してやりたい。ならば一番いいのは、今この場で、この部屋の中でできる方法だ。だが、果たしてそんなことが可能なのだろうか?

 そんなことをぐるぐると考えていると、突然わたしのお腹が、ぐう、と鳴り出した。そういえば母も夕飯の支度をしていたし、そろそろお腹が空いてくる頃合だ。

 そこで、わたしの頭の上で電球が光った。

 ――そうだ、食べてしまえばいいんじゃないか。

 思い立ったら吉日、わたしは足に擦り寄ってくるコロポットをむんずと掴み、口へと運んだ。

 齧ってみると、外側のかりっとした歯ごたえと、内側のもっちりとした舌触りが同時に感じられる。その味はなんとも甘く、しかし舌に残るしつこさはない。あまりの美味しさにわたしは夢中になって食らいつき、気付いた時にはコロポットは欠片も残さずわたしのお腹に収まっていた。

 満足感に身を任せ、ベッドの上で横になる。お腹をさすってみると、少しだけぽっこりと膨らんでいるようだった。

『ご飯できたわよー、そろそろ来なさーい』

 唐突に母のそんな声が聞こえてくる。しまった、あまりの美味しさについ夕飯前だということを忘れていた。もうお腹はいっぱいで、お米の一粒だって入りそうにない。

 今すぐにコロポットを消化して、お腹を空かせられないだろうか。そんな事を考えるが、お腹の中のコロポットは何の反応も返してはくれない。

 そう思案している間にも、母の声が響き続けている。どうしよう、よりによって夕飯の前にお腹をいっぱいにしてしまったとあれば、きっと母は怒るに違いない。もしかしたら、明日の夕飯を抜きにされるという事態だってありうる。

 そんな今までの人生最大の危機に、わたしは為す術もなく立ち尽くすのだった。

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コロポット トーナ @tona_no5

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