第11話





 二時間ほどンガポコの立読みに付き合い、彼女はおよそ四〇〇冊(!)の文庫本を読み終えた。店側にとってはいい迷惑だっただろう。買いもせず、ひたすら無言で次から次へと本を立読みしているんだから。そのあと少し早めの昼食──さすがに今度は激辛ラーメンではなく、普通のランチ──をとって、映画館で映画を観てみたいというンガポコの要望から、バスで近くのショッピングモールまで行って適当に映画を観た。……まさかぶっ続けで三作(六時間)も観ることになるとは想定外だったけれど。

「疲れた……」

 時刻は十八時まえ。私たちはロフトにある休憩スペースで休んでいた。半日近くンガポコとあっちこっち行ったり来たりしている訳だから、そりゃあ疲れるわよさ。映画の途中で何度も寝落ちしちゃったし。

 テーブルの上にぐでーっと上半身を伸ばして、お前のせいでめちゃくちゃ疲れてんだぞアピールをするも、当の本人であるンガポコはスマホをいじりながら、しれっとしている。

「ねえ、なにやってんのー?」

 情報なんとか生命体であるンガポコが、いったいスマホでなにをしているのか気になって、私はとろけた顔のまま彼女に聞いてみた。

「今日観た映画に関する情報がどれくらい拡散されているか調べていた」

「ンガポコ自身の感想はなにかないの?」

「ユニーク」

 ここへきて長門かい。そんな私の内なるツッコミなどおかまいなしに、彼女は続ける。

「私の予想したとおり、映画を観た人間がそれぞれに感想や考察をネットワーク上にのせ、それを見た人間がさらに回答として、その意見に対する感想や考察を拡散させるといった、理想的な伝播の仕方をしている。

 やはり君たち人類は感情が大きく揺さぶられたときに情報を発信する、という見立てに間違いはなかったようだ。そして意図的に感情を大きく動かすことが出来るのは『物語』による作用が深く関わっている、ということも」

 そんなむずかしいこと考えながら映画を観たことないから、ンガポコの言っていることはよく分からん。というか、映画にしろ小説にしろマンガにしろアニメにしろ、楽しめればそれでいいじゃん。エンタメは楽しむためにあるんだから。

「これまで小説や映画から人類の『物語』に触れてきて、そこに大勢たいぜいが求める、ある一定の法則を私は見出だすことが出来た」

「ふーん」

 そんなことよりもしんどい。私がンガポコの話を軽く流して──お前のせいでめちゃくちゃ疲れてんだぞアピールそのニ──ぐでたまになると、彼女は「ねえ聞いてよ」と言わんばかりに私のほほをつんつんする。仕方ないので頭を起こして向き合う。

「その法則とは、というものだ。

 小説にしろ映画にしろマンガにしろアニメにしろ、多くの『物語』は主人公とかたき役との対立を描くことを主眼としている。例えばミステリーなら探偵と殺人犯、ファンタジーなら小国の騎士と帝国の皇帝、あるいは異世界に転移した勇者と魔王、恋愛ものやコメディならば恋敵や会社の上司が敵役になるし、ホラーなら幽霊やお化け、サイコ犯罪者などがそれにあたるだろう。

 そしてほとんどの者が、最終的に主人公はそれらの敵役を打ち破り、ハッピーエンドを迎えることを望んでいる、ということだ。

 なお、我々の目的である、人類への情報拡散という観点から、敵役がの場合に限った話をしているので、隕石や災害、病気などのが敵役というケースは除いてある。

 ともあれ、率直な君の意見を聞きたい」

 率直な意見を聞きたいって言ってるわりにすっごいドヤ顔なんですけど。なんか『物語』にめっちゃハマってるし。というか、こいつだんだん人間っぽくなってきたな。それも『物語』の影響なのかな? そのうち「地獄で会おうぜハスタ・ラ・ビスタベイビー」とか言いそう。

「……思ったんだけどさ。ンガポコたちって『ありもしないことを考えたり、起こってもいない出来事を空想したりといったことをしない』って言ってたけど、それこそ『物語』を創ったり、それを楽しんだりしないの?」

「創造の源は、不可能を可能にしたいという願望だ。およそすべての事象をコントロール出来る我々には、という概念自体、とうに失ってしまったものだ。

 だからこそ、君たち人類の生み出す創作物は、進化の袋小路に追いやられ、緩やかな終末へ向かっている我々にとって、唯一の希望といってもいい可能性を秘めている」

 そんな大げさなことなのかな? ちょっとスケールが大きすぎてピンとこない。でも考えてみれば聖書やコーランだってある種の『物語』な訳だから、ンガポコの言うように『物語』が未来を形作る鍵になるっていうのも、あながち間違いじゃないのかも。たかが『物語』されど『物語』か。

「私には『物語』の構造とか創作論? とかはよく分からないけど、それがあんたたちの情報を拡散させることとどうつながるの?」

「多くの者は、主人公が敵役を打ち破るという『物語』を望んでいる、ということは今話したが、それはすなわち、主人公と同化した自分自身が、敵役──主人公/自らと対立し、気に食わない悪人──を懲らしめ、打擲ちょうちゃくし、完膚なきまでに叩き潰すという行程に悦楽を感じているということに他ならない。

 私はこのことはネットワークにおける情報拡散にも当てはまるのではないかと考えている。昨日私が『もっとも情報を拡散させやすいのは、大きな感情の発露、ことに怒りの爆発が非常に効果的である』と言ったことを覚えているか?」

「覚えておりますとも」

 忘れるわけがなかろう。ンガポコのせいで私の両親は必要もなく大ゲンカさせられていたんだから。ぐぬぬ! ハスタ・ラ・ビスタ! ベイビー!

「ネットワークを利用して自らの情報──それらはしばしば公の場に自らの思想信条を表明したいという自己顕示欲である──を拡散させようと思う者は、自らの意見と対立する相手を敵役/悪人と定義し、逆説的に自らが『物語』の主人公になったように錯覚する。そうして先の『物語』の展開と同じように、完全なる正義の主人公である自分自身が、対立する敵役/悪人である相手を打ちのめし、悦楽を得たいと望む。そしてそれら一連の流れの根底にある強い動機と成りうるもの、すなわちと願う原動力となるものこそが、なのだ。

 ネットワークの中には自分と対立する意見などすぐに見付けられる。誰もが勝利の悦楽を得るために、痛め付けることの出来る相手を探しているのだ。そうした対象は主に社会悪と見なされる人物が多い。法的、道義的、倫理的に許されない行いをした者であれば、罰せられて当然という雰囲気が醸成され、攻撃をする者はほとんど反撃を受けることもなく、一方的に相手を責め立てられる。そしてその悦楽を得たいと、我も我もとまるで砂糖にたかる蟻のように、周囲の共感/共鳴を呼び、責め立てる者は指数関数的に増大してゆく。

 これこそが、怒りの爆発が最も効果的に情報を拡散させるという構図であり所以ゆえんなのだ」

 ……なんか急にシリアスなこと言い始めたから脳みそが追っつかん。ええと、要するに、ネット上でいろんな人の発言にかみついて炎上させる連中は、まるで自分が悪者を成敗する『物語』の主人公になったつもりでいて、またそれが気持ちいいものだから、誰も彼もがってことかな?

「でもそれって、かなり一方的な見方だよ。情報が拡散されるのは、なにも怒りだけじゃないでしょ。かわいいにゃんことかわんこもそうだし、楽器の演奏や歌がうまいとか、変なことしてみんなを笑わせたり、逆に人助けをして感動したっていう場合もあるじゃん」

「その意見を否定はしない。千代美の言うとおり、怒り以外にも情報を拡散させるトリガーは無数にある。しかし私の見立てが間違っていなければ、君たち人類が最も共感を得る感情はやはりだと私は思う」

「そんなこと……!」

 ない、と言いかけて、本当にそうだろうかと思う。私自身はあまり人や物事に腹を立てる方ではないけれど、それでも友だちから腹が立ったという話を聞かされたり、テレビ番組のゲストが怒りのエピソードを話してたりすると、嬉しかったことや感動したことを聞かされるよりも、自分のことのようにより身近に共感出来る。出来てしまう。

 ……だとしても、私は影山さんに対する佐藤や鈴木の態度に共感は出来ない。怒りだからって、なんでもかんでも共感出来る訳じゃない。二人のやっていることは、『物語』としても間違ってる。

「ンガポコの言うとおりかもしれない。でもね、あんたが読んだり見たり触れてきた『物語』には、どんなことが描かれてた? 友だちを大切にしよう。好きな人を守ろう。善いおこないをして、みんなと仲良くなれる努力をしよう。そんなことが描かれていたんじゃないの?」

「そのとおりだ。だからこそ私は君に問いたい」

 ンガポコはそこで呼吸を整えるように小さく深呼吸した。彼女がなにを聞きたいのかは分からないけれど、私は無意識に背筋を伸ばし、姿勢を正していた。そうしなければいけないような気がしたから。

「──君たち人類は、文化が生じたときから『物語』を通じて友愛を謳ってきたにもかかわらず、なぜ怒りの感情を積極的に広めようとするのだ?」

 ロフトから覗く一階のイベントスペースで拍手が上がった。ステージにはアイドルらしき女の子が立っていて、マイクを使って観客席になにか話しかけている。

「小説、舞台、音楽、絵画、近代では映画やテレビ、マンガやアニメなど、あらゆる『物語』が千代美が今言ったことを表している。それらは古代から連綿と続いてきた、人類に共通する尊い思想であると描かれているというのに、君たちは──表面上はともかく──実際の行動として、なのは、なぜなのだ?」

 なぜ、お前はいじめられている影山さんを助けようとしないのだ、と言われたような気がした。

 きっとンガポコにそんなつもりはないのだろう。それでも私は、後ろめたくて、情けなくて、うつむいたまま自分を守るための言葉を必死で探した。それがただの言い訳に過ぎないと分かっていながら。

「……人を救うってことは、簡単にみえてすごく難しいことなんだよ。

 誰かの味方をすれば、別の誰かと敵対することになるかもしれない。誰かを助ければ、めぐりめぐって他の誰かへ悪意として伝わるかもしれない。誰かのためにしたおこないが、自分を窮地に陥れることになるかもしれない。

 なにか行動を起こせば、そこに必ず反発する人間が少なからず現れる。関わる人間が多いほどその確率は高くなる」

 だからこそ、私はあまり他人と関わらないように生きてきたのだ。来る者拒まず、去る者追わず。風に揺れる柳のように、私は他者と深く関わることを慎重に避けることで、未然にトラブルを回避しながら生きてきた。

「ますます理解出来ない。君たちの『友愛』の概念とは、そうしたお互いに対立する意見を認め合うことから始まるのではないのか? 対立するというのであれば話し合えばいいではないか」

「そうだけど……」

 現実はそう上手くはいかないのだ。世の中のすべてが正論だけで回っている訳じゃないことを、ンガポコは理解していない。

 まっすぐに見詰めるンガポコから逃れるように階下のアイドルへ視線を向けると、舞台脇の大きなスピーカーから場違いなほどにテンションの高い曲が流れていた。イベントスペースにはそれなりに人が集まってはいるけれど、その数はせいぜい二十人ほどしかいない。しかも観客の反応はまばらで、ノリノリ風な人、お愛想で手を叩いている人、物珍しそうに眺めている人、まったく無反応な人など、派手な衣装と簡素なステージも相まって、はた目からも盛り上がりに欠ける、というよりわびしいとさえ思えるほど閑散としたライブだった。

 それでも、私には彼女が輝いて見えた。歌もダンスもお世辞にも上手いとはいえなかったけれど、観客が本気で聴いていないことを知りながら、しかしめげることなく自分の気持ちを届けたいと精いっぱい歌う彼女の姿には、心を打つものがあった。

「不思議な存在だな、君たちは」

 私の視線に促されたのか、ンガポコが階下のアイドルを眺めながら呟いた。

「他のどの感情よりも怒りに共感を覚えるのに、一方で友愛の尊さを説く。しかしその友愛を説いている『物語』そのものが、怒りを内包し、現実へと気化される。実に矛盾だらけだ」

「……きっとみんな、飽きちゃったんだよ。ンガポコが言ってたように、『物語』が出来たときから今にいたるまでずうっと『家族を大切にしよう、友だちを大切にしよう、平和を大切にしよう、愛って素晴らしいね』って言い続けてきたから、みんな飽きてウンザリしちゃって、まともに届いていないんだ。かえって怒りや憎しみみたいなネガティブな感情こそが真実だと思い込んでる」

 だけどきっとそのままじゃダメなんだ。あのアイドルのように、例え相手が聞いてくれなくても、周りが味方をしてくれなくても、自分から積極的に動かなくちゃ、なにも変わらない。変えられない。影山さんを助けることは出来ない。それは分かってる。なのに──。

「……やっぱり、怖い……」

 自分が影山さんの立場に置かれることが。クラスのみんなから、はみ子にされることが。自分の知らないところで陰口を言われることが。それらのことがだんだん当たり前になって、無意識に見下されることが。

 誰かを救うために起こす行動が、必ずしも最善の結果になるとは限らない。『物語』の主人公は必ず成功するけれど、現実において保証はなにもない。

 結局私には、影山さんを救うことは出来ない。いつだって私は、自分で行動を起こすことも、そんな弱い自分を本気で変えようとする勇気もないからだ。

 でも、いや、だからこそ。


 ──私は、影山さんを救うための行動を起こさなくちゃいけないんだ。


 佐藤と鈴木に影山さんをいじめることを止めるように言う。きっと二人は反発するだろう。下手をすればもう口をきいてもらえず、影山さんともどもと見なされるかもしれない。

 それでも、ここで動かないと私はこの先ずっと後悔しながら、自分自身を諦めながら生きていかないといけなくなる気がする。

 だから。

「ねえ、ンガポコ。あんたにお願いしたいことがあるんだけど──」



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