第10話
──で、本屋に来て何をするかといえば、ンガポコは当然のように立読みをしている。しまくっている。しかもその速度たるや、むちゃくちゃ速い。一冊の文庫本を、まるで古いアニメのようにパラパラパラっとめくるだけでもう読み終えてしまっているのだ。そうしてまた次の本を同じように手にとって、二度、三度めくってはまた次の本へ手を伸ばすということを何度も繰り返していて、その動作にはどこか機械的な無機質さがあった。
「ねえ、聞きたいんだけどさ」
表情の変わらないンガポコの横顔を眺めながら私が言うと、彼女は変わらず、素早くめくられる本に視線を落としたまま「何だ?」と無感情に答える。
「そんな超速読で本当に読めるの?」
「さっき言っただろう。我々の認知能力は地球人のそれを遥かに上回っている。君たちには追いきれない速さであっても、我々にとっては遅いくらいだ」
「そうじゃなくて、小説っていうのは楽しむために読むんだってこと。分かってる?」
モモちゃんから色んな小説や映画、漫画やアニメを紹介されて、物語と名のつくものに自然と引き寄せられるようになった私には、ンガポコの小説の読み方にひとこと言わずにはいられなかった。
「それは君の主観的な意見に過ぎない。そもそも我々には、ありもしないことを考えたり、起こってもいない出来事を空想したりといったことをしない。したがって楽しむというよりも、君たち人類を理解するため、また私の情報を拡散させるのに役立てるために、私は『物語』を読んでいるのだ」
あったまカタいなあ! モモちゃんだったら絶対そんなこと言わないのに。
「でもでも、キャラに感情移入したり、話の展開に感動したりするでしょ?」
「それもない。我々は情報単一化による退化を防ぐため、個としての意識を備えてはいるが、各々の思考は全体に共有され、それぞれに
ンガポコの言ったことは難しかったけれど、ようするに、相手になにかを伝えるよりも前に、テレパシーのような能力でお互いの考えを理解出来るので、相手の気持ちや思いをあれこれ想像すること、それ自体をしなくなってしまった、ということなのだろう。そうした様々な、ありとあらゆる思考や感情を明文化してしまえるがゆえに、誰かひとりに思い入れすることも、自分と考えの違う意見に反発することもなく、行き着く先は相対的な理解しかないのだ。
〈それはある意味、究極の平和なのかもしれない〉
誤解や勘違いも、思い込みやすれ違いも、差別や偏見もなく、みんながお互いのことを理解し、尊重し合える世界。もしそんな世界になれば、影山さんがいじめられることも、佐藤や鈴木に気を使って本音を言えないということも、すべてなくなるのだろうか。
「だが──」
私が黙ったままぐるぐると思考を巡らせていると、本をめくっていたンガポコが不意に動きを止めた。
「例え不完全であっても、気持ちや思いを相手に伝えようと努力すること、あるいは相手を理解しようと努力することは、とても尊いことだ。君たち人類の美徳だと私は思う」
そう言ってンガポコは私に微笑んだ。
それは初めて見たンガポコの笑顔であり、私の大好きなモモちゃんの笑顔でもあったけれど、私が感じたのは喜びでも嬉しさでもなく、うしろめたさと罪悪感だった。
影山さんの気持ちを、佐藤や鈴木は少しでも想像したことがあるだろうか。「わけわかんね(笑)」という前に、相手を理解しようとしただろうか。
思うに、今はネットやSNSであまりにも多くの情報や考えが明文化され、
そんな偉そうなことを考えている私も、影山さんの心に手を伸ばしておきながら、彼女を正面から受け止めることを避けてしまっている。影山さんの痛みを佐藤と鈴木に直接伝えることが出来るのは私しかいないというのに、他ならぬ私自身が、自分を守ることしか考えていないからだ。
うつむいていた視線をあげると、ンガポコは再び読書に意識を向けていた。その横顔を見ながら、彼女がさっき言っていた言葉が頭の中でリフレインする。
──例え不完全であっても、気持ちや思いを相手に伝えようと努力すること、あるいは相手を理解しようと努力することは、とても尊いことだ。君たち人類の美徳だと私は思う──。
〈気持ちや思いを相手にどう伝えていいか分からない子だっている。相手を理解しようとさえしない子もいる。
そして私は、気持ちや思いをどう伝えていいか分からない子の心を、理解しようとしない子に伝える手段を持っていながら、なにひとつ行動を起こそうとしない〉
ぎゅっと握った手が固く、冷たくなって、無意識に鞄からスマホを取りだそうとした手を、私は止めた。
これは逃げちゃいけないことだ。認めなくちゃいけないことだ。
〈──私が、一番最低だ〉
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