第8話
電車に揺られ、いくつかの駅を過ぎ、私たちはこの辺りで一番大きな街で降りた。改札を抜け、階段を降りたところでンガポコは立ち止まり、キョロキョロと首を巡らせている。
「で、どこへ行くつもりなの?」
「図書館という場所へ行きたい」
「図書館? こんな朝早くからは開いてないよ。ていうか、それ以前に今日は祝日だから休館してるんじゃないかな」
「中に入れないということか」
「たぶん」
私が答えると、ンガポコは「むぅ……」と眉間にしわを寄せながら、口唇を小さくとんがらせる。ちょっとかわいい。
「なんで図書館へ? 調べたいことがあるならネットで十分じゃん」
「確かに君たちの歴史や文化、社会や経済などの世界構造、この星における人類の普遍的な価値観などは、ネットワークからおおよその知識を得られた。しかしネットワークだけでは得られないものがある」
ンガポコがそう言った瞬間、まるでタイミングを見計らっていたかのように、ふたりのおなかがくぅくぅと同時に音を立てた。
「とりあえず、おなかすいたからなにか食べよ」
サラリーマンの人たちがちらほらと行き交う中を、ンガポコと連れ立って歩く。駅前の通りはまだシャッターを閉じている店がほとんどで、おなかの虫も鳴り止んでくれない。
「ねえ、さっき言ってた、ネットだけでは得られないものってなあに?」
空腹をまぎらわすために、私はンガポコにさっきの話の続きを聞いてみた。
「一言で言えば『経験』だ。知識は所詮、情報の一種に過ぎないし、実際に体験することで初めて得られることも多い。それらはデータを読み込むだけでは分からないことだ」
くぅくぅ。
「百聞は一見にしかずってやつね。だけどなんで図書館なん?」
くぅくぅくぅ。
「昨日も言ったが、君たち地球人は強く感情が動いたときに情報を拡散させやすい性質を持っている。そしてその『強く感情が動く』瞬間のひとつとして、物語や芸術に触れた直後という共通項を見出だした。
無論、これ以外にも感情が動く瞬間というのは多々あるのだろうが、個々人の体験によるそれらはあまりに多岐に渡り過ぎていて、収集がつかない。
ゆえに、一定の法則を持ち、地球人ではない私でも理解しやすい『物語』を読み込むという経験を得ることで、何かを得られるかもしれないと思うのだ」
くぅくぅくぅくぅ。
「なるほどねー。歴史や文化を調べてて、有名な小説のタイトルを知ることは出来ても、どんな内容かまでは分かんないから、実際に読んでみようってことね」
「そういうことだ」
くぅくぅくぅくぅくぅ。
ていうかおなかの音すげーな。いいかげん、どこか開いてるお店ないかな。コンビニで買い食いっていうのも落ち着かないし、出来ればファストフードでもいいからきちんとしたところがいいんだけど──。
「あ! 開いてる!」
などと思っていたら、やっと開店中のお店を見つけた。でも……。
「ラーメン屋……」
なぜだ。他のファストフード店や定食屋はまだ閉まってるのに、よりによってラーメン屋だけ開いてるという謎。
「朝からラーメン……。背に腹はかえられないけど、いやでも……」
などと悩んでいたら、ンガポコがさっさと入ってしまって、店の入口で振り返りながら「腹が減っているのではないのか?」などと言ってくる。
仕方なく店に入ると「らっしゃい!」と元気よく声をかけられた。店内は五人がけのカウンター席と、二人がけの席が三つあって、意外なことにカウンター席はすべて埋まっていた。
〈こんな朝早くからラーメン食いに来てる人が結構いるんだ……。マニア向けの場所なのかな〉
私たちは一番奥の席へ通されて、メニューを開いた。思ったとおり、この店はラーメン専門の店らしく、ごはんやチャーハンやギョーザといった邪道なものは一切置いてないらしい(デザートだけはなぜかあるけど)。
「ご注文はお決まりでしょうか」
アルバイトらしき若い女性がにこやかに声をかけてくる。
私がウンウンとうなりながら、せめてあっさりめの野菜塩ラーメンにでもしようかと考えていたとき、ンガポコから「おい、安斎千代美」とフルネームで呼ばれた。
「千代美でいいよ。なに?」
「私は地球人の食文化や習慣に慣れていない。君が私の分も決めてくれないか」
「なんでもいいの?」
「何でもいい」
「分かった」
私はンガポコに頷き返し、私たちのそばで待っていたお姉さんに「野菜塩ラーメンひとつと──」と続けて、メニューにある激しく赤い一品を指しながら言った。
「龍の炎の息吹《ドラゴン・フレイム》をひとつお願いします」
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