第5話




「今日はなんか嫌ぁな日だったなぁ」

 学校からの帰り道、駅の改札を抜けて家へと続く夕暮れどきの田舎道を歩きながら、私はつぶやいた。さびしい道には人通りもなく、傾いた日を浴びて伸びた影だけが、黙って私を先導している。

〈お父さんやお母さんは朝からケンカしてるし、佐藤や鈴木は影山さんをいじめるし〉

「おまけにモモちゃんには会えなかったし」

 モモちゃんは小学校からの親友だ。

 当時、今よりもずっと人見知りで内向的だった私は、他人の言葉にいちいち戸惑ったり傷付いたりしていた。

 そんな痛みばかりの日々に寄り添っていてくれたのがモモちゃんだった。

 彼女の明るさやノリのよさにどれだけ救われたことだろう。モモちゃんと一緒にいればどんなつらいことも忘れることが出来た。

 だからこそ、今日のような日にはモモちゃんに会いたかったのに。

「はぁ……」

 鼻からため息をふぬーとついて、私はうつむいた顔を上げた。

「……ぅん?」

 ふと視線を向けると、淡い日射しに照らされた小道の先に、見知ったうしろ姿を見付けて、私は思わず大声を上げた。

「モモちゃん!」

 うれしくなってはしゃいじゃってどーんと突っ込んで行ったけれど、振り返ったモモちゃんは無表情に私を一瞥いちべつして、感情のこもっていない声で言った。

「君は誰だ?」

「え?」

「君が私のことを梅沢桃子だと思っているのなら、それは間違いだと言っておこう。今の私は梅沢桃子ではなく、この星の生命体でさえない」

 クールに淀みなく答えるモモちゃんを見て、私はすぐにピンときた。きっとモモちゃんも昨日の『宇宙人はあなたの隣にいる!』を観たに違いない。この軽いノリ。さすがはモモちゃん!

 だから私もそれに乗っかることにした。

「モモちゃんじゃない、ですって。それなら今のあなたは誰なの?」

「我々は全宇宙にあまねく存在する情報知性体連合であり、情報、意識、思念の流れに生息する形而上的生命体である。君たち地球人の生命の定義からは大きく反れるだろうが、肉体は所詮生命の外殼に過ぎない。生命とはもっと自由かつ広範な領域に存在し得るということを、君たちは理解すべきだ」

「……えーと」

 どうしよう。思ったよりガチな返答が来てしまった。いつものように軽いノリで笑わせてくれると思っていたのに、モモちゃんはどこからこんな知識を得たのだろう。

「おや? よく見れば君は我々のメッセージを最初に受け取った人間ではないか。私は君を捜していたのだ。君の口振りからすると、君は私のことを知っていて話しかけたのではなく、これはまったくの偶然の出逢いなのだろう。ともあれ、我々のメッセージを消去せずにいてくれたことをまずは感謝する」

「えーと」

「加えて君が我々のメッセージを他者に見せてくれたことにも重ねて謝意を示したい。ここまで淀みなく事が進むことはまれなのだ。我々がメッセージを送っても、ほとんどが消去されるか無視されるか、いずれにせよ我々が展開出来ずに立ち消えになってしまう場合が多く、そうした意味で私は実に幸運だった」

「えーと」

「極めて原始的ではあるが、この星にもネットワークが存在することが調査により判明し、我々はここを新たな棲み家とする決断をした。先に述べたとおり、我々は情報、意識、思念の流れに生息する──この星の生命体に例えるならば──一種の魚なのだ。魚は滞った水の中では生息することが出来ない。ゆえに、我々は星々を巡りながら、その星の最も高度な知的生命体に宿り、情報の流れを形成することで、生息範囲を拡げてきた。

 とはいえ、我々は一方的かつ侵略的な進出はしない。それは我々の倫理観、道徳観に著しく背く行いであるからだ。我々の望みはあくまでも人類との共存共栄である。

 これで我々の正体および目的を理解してくれただろうか」

「えーと」

 さっぱり分からん。途中からお経にしか聞こえなかった。

 モモちゃんの唐突な変化に、私は大いに困惑していた。もともと色んなマンガやアニメから影響を受けやすい娘ではあったけれど、今回は少しおかしい。

 私は以前にも似たようなことがあったことを思い出した。


 その当時のモモちゃんは中二病真っ盛りで、ネクロなんとかという魔術書にドハマりしていた。

 その熱中振りは日に日にひどくなっていって、タコやイカを思わせる軟体動物のような頭部を持った偶像を付し拝んだり、とても人語とは思えない、名状し難い発音の謎めいた言葉で祝詞のりとを上げたりと、日を追うごとに正気SANの値がどんどん下がってゆくかのようだった。

 心配になった私は、モモちゃんのお母さんに相談して魔術書を取り上げてもらい、ようやくモモちゃんは少しずつ日常の姿に戻ってきたのだった。


〈今のモモちゃんは、あのころとそっくりだ。まさかまた中二病をぶり返しておかしくなったのだろうか……〉

 確かめる方法はただひとつ。

「あのう……」

 私はおそるおそる、けれどもまだ本気でおかしくなった訳じゃないと信じたい気持ちで声をかけた。

「お名前を聞いてもよろしいでしょうか……?」

 ここでもし彼女がニャルなんとかという邪神の名前──かつて中二病のモモちゃんが頻繁に口にしていた──を上げればアウトだ。それ以外だったら……、それ以外だったらどうなんだろう?

「私の個体識別名称はンガポコだ」

 私の結論が出る前に、彼女はあっさりと答えた。私のSNSに書き込まれていた、あの妙なコメントと同じ言葉を。

「ンガポコ?」

「ンガポコ」

「……」

「……」

「ンガポッコー?」

「ンガポッコー」

「ンガーポコ?」

「ンガーポコ」

「……」

「……」

「モモちゃんがくるった!!」

「この少女は狂ってなどいない」

 もういやだ! 今日はみんなくるってる! 両親は朝からケンカしてるし、佐藤や鈴木は影山さんをいじめるし、おまけにモモちゃんはンガポコとか名乗り始めるし! どうしてこんなことになったんだろう? そうだ、ンガポコのせいだ! ちくしょう! ンガポコのやろうめ! 今度会ったらただじゃぁおかねえ! 鼻の穴から指突っ込んで目玉ケタケタ笑わせてやる! ラメチャンたらギッチョンチョンでパイノパイノパイだ! ちがう! 間違えた! おちけつ! たわし! すべてはンガポコのせいだ! だからンガポコってなにさ!

「しかしこの少女の個体識別名称は梅沢桃子だったはずだが。そうか、正しくはモモ=チャンというのか」

 なんか全然関係ないこと考えてるし!

「みんなおかしくなっちゃったよー! くるっちゃったよー! しっかりしてよーモモちゃん。今度はいったいなにに毒されたんだよー! 戻ってきてよー!」

 うわーん。うえーん。うおーん。

「君の反応を見るに、どうやら私たちの間には現状理解に大きな隔たりがあるようだ。しかし君たち地球人の立場からすれば、口頭のみの説明では理解が及ばないのも無理からぬ話。さて、どうしたものか」

 私の嘆きなど素知らぬ風に、モモちゃんは変わらず涼しい顔で「ふむ」と冷静になにかを考え込んでいる。時おり「脳への負荷が──」とか「短時間なら──」とか呟いていたけれど、訳も分からず混乱している私にはおかまいなしに、彼女はひとりでなにかを納得すると、いきなり私の頬を両手で包み込んできた。

「すまないが、少し目を閉じてくれ」



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