第4話
ジリジリジリジリジリジリ。
朝の目覚まし時計がけたたましく鳴り響いて、今日一日の始まりを告げる。
「……んー……もうそんな時間……」
まだ寝足りない頭に遠慮なくガンガン叩きつけてくる音を止めようと、私は目をつむったまま頭上のベッド棚に手を伸ばした。そのまま手探りでごそごそやっていたら、置いてあった時計に手が当たって、派手な音を立てながら私の頭に落ちた。
「んぎゃ!」
頭を直撃した時計は未だジリジリと鳴り続け、しかし急所に与えられたダメージは思いのほか深く、私の意識は急速に遠ざかってゆく。やわらかな光が閉じた瞳の奥へと降り注ぎ、私の全身を暖かい浮遊感が包み込む。
〈ごめんね、みんな……。私は、ここまでみたい……〉
こんなにも穏やかな最期を迎えられたのなら、悔いも、心残りも、置いていかなければ遺された者たちに対して不誠実というものだろう。……それでも、あぁ……それでも──。
──学校……行きたかったな──。
「千代美! いつまで寝てるの!? 早く起きなさい! 片付かないでしょう!!」
「おおぅ!?」
私の部屋の扉を乱暴に開けて、母親が突然怒鳴りこんできた。それはまさに怒号と呼ぶにふさわしいもので、思いがけない母親の態度に、私は一瞬で目を覚ました。
「せっかくセカイ系ヒロインになりきって二度寝しようと思ったのに」
嵐のように母が去ったあとの部屋で、私はいつもの冗談まじりの愚痴を口にするも、どこか白々しく、虚ろに響いて、緊張が解けない。
ともかくも母親の機嫌が悪いのは確かなので、私はすぐに階段を降り、洗面所でとりあえず顔を洗ってリビングへ行くと、私はさらに驚愕して固まってしまった。
「あなた! 早く食べてって言ってるでしょう! こっちは片付けもしなくちゃいけないし、洗濯もしなくちゃいけないし、それが終わったら昼ごはんや夕ごはんの準備だってあるし! やらなくちゃいけないことが山ほどあるんだから!」
「うるさい! おれは今社会の公益のために働いているんだ! おまえこそおれを手伝ったらどうなんだ!」
リビングでは母親と父親が大喧嘩していた。ふたりとも昨日まではいつもと変わらない様子だったのに、いったい何が不満なのか、あまりの変貌ぶりに、私は声さえかけられずにいた。
「千代美! 起きたならさっさと食べて!」
入口に立ったまま硬直していた私は、とりあえず言われたとおりテーブルの前に座る。がしかし。
「食パン……?」
食卓には焦げた食パンが皿に乗っているだけで、いつも凝った朝食を用意する母親らしくない。
怪訝に思ってそうっと母親を窺うと、母は変わらず父親に怒声を放っていて、その父は何か一心不乱にスマホに向かって書き込みをしながら「おまえこそこのニュースを見て何も思わないのか!?」とテレビを指す。
何事かと思って私も視線を移すと、毎朝見る報道番組で、若い男が包丁で無差別に通行人を襲い、七人が重軽傷、子供を含む三人が心肺停止だという速報ニュースが流れていた。犯人と思われる若い男はその場で取り押さえられ、「世の中が嫌になった。誰でもいいから道連れにして死のうと思った」と供述しているらしい。
「こんな奴は生かしておく価値もない! 死にたいなら自分ひとりで勝手に死ねばいい。さっさと死刑にするべきだろう!? そのためにネットの力を借りて、警察や裁判所に圧力を加えてやるんだ! それが正義っていうもんだ!! 違うか!?」
いかにも義憤に駆られたという風な父は、足元にすり寄ってゆくイヌに気付くこともなく足蹴にする。イヌは驚きに怯えたような表情で、しっぽを下げて逃げて行ってしまった。
「ああそう! だったら片付けも洗濯もごはんも全部あなたがひとりでやるのね!」
父の言葉を聞いて、母もまたスマホを取り出して何かを一生懸命に綴っている。おそらく父も母も自分のSNSに怒りを書き込んでいるのだろう。
〈え。こわい〉
両親の突然の豹変ぶりに、私はどうしていいのか分からず、ただオロオロするばかりだった。ふたりの怒りの合間を縫って隣の部屋に避難すると、すみっこの方でイヌが心細そうに上目使いで私を見ていたので「よしよし」と頭をナデナデしてあげた。
「なんかふたりとも今日は機嫌が悪いみたいだから、外に避難してな」
車に気を付けて、とイヌを外へ逃がし、私も早々に準備を整えて、逃げるように家を出た。
駅までの道のりをてくてくと歩きながら、私は両親がなぜあんなにも人が変わったように怒っているのか、その理由や原因をあれこれと考えてみたけれど、心当たりになる出来事はなにひとつ思い付かなかった。
いつもよりかなり早い時間に着いた駅には、モモちゃんはまだ来ていないようだった。通学や出勤で込み合う前の駅はがらんとしていて、今の私にとってはよけいにさびしく感じる。朝から両親が険悪な雰囲気だったので、モモちゃんと話して気分転換してから学校へ行こうと思ったのに、いつもの時間まで待っていてもモモちゃんは来ず、仕方なしに私は憂鬱な気分を抱えたまま、ひとりで電車に乗った。
それでも学校に行けば佐藤も鈴木もいるし、ふざけあったり笑い合ったりすれば、そのうち気分もアガるだろう。
──ぴろん♪
と思っていたら佐藤のSNSが更新されたとメッセージが届いて、私はページを開いた。
「……なんじゃこりゃ……」
そこには「クラス一の陰キャの机を花でデコったった(笑)」というメッセージとともに、影山さんの机の上に菊の花を撒き散らした写真が添えられていて、私は一気に嫌な気持ちに引き戻された。
十五分ほど電車に揺られ、学校に着いた。下足場で靴を脱ぎ、教室へ向かうと、教室内はいつもと変わらず騒がしかったけれども、どこかわざとらしいような、わずかに神経質な空気が漂っていた。
影山さんの机の上にあった菊の花はすでに取り払われ、教室の後ろにあるゴミ箱にまとめて突っ込んであった。クラスメイトらが何気ない会話の合間からチラチラと影山さんの方を見やり、伸びた視線の鋭く尖った先が何本も彼女に突き刺さってゆく中で、影山さんはうつ向いたまま、ひたすら痛みに耐えていて、見えない血がたくさん流れているように思われるほどだった。
「お千代ー。おっはよー」
そうした空気を知ってか知らずか──いや、たぶん知った上でガン無視しているんだ──佐藤と鈴木がいつものように声をかけてくる。反射的に「おはよう」と明るく応えてしまった私は、また自分が嫌になった。
「ねえねえ、これ見て。めっちゃウケるから」
そう言いながら佐藤は携帯で撮った動画を私に見せてきた。
動画は菊の花が大量に置かれた影山さんの机を映したところから始まっていた。トイレにでも行っているのか、影山さんは席にはおらず、佐藤が可笑しそうに菊の花を指差している姿と、撮影者である鈴木の含み笑いがカメラに入っている。
やがて教室に戻ってきた影山さんは自分の席の異常に気付くと、一瞬たじろぎ、花をひとつひとつ
カメラはその瞬間の影山さんの顔へズームし、彼女の泣きそうな顔を克明にとらえていた。
「ね? ウケるっしょ?」
佐藤も鈴木も、影山さんの気持ちなんてはばかることもなくゲラゲラと
私はなにが可笑しいのかさっぱり分からないまま、ははは、と乾いた笑いを返すことしか出来なかった。
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