7

「おっ、制服じゃん! スカートが致命的に似合ってないな」


「マジでうるさいよ……」


 にやにやとしながら囃し立てるこずえ。「えー、普通にかわいいと思うけどな」謎のフォローをするきりこに、今日はみづきも交えて合わせて四人で廊下の前に来ていた。僕一人だけがネット越しに。


 働き方改革が叫ばれ始めたはるか昔の慣習にならい、遠隔で仕事や通学を行うことをテレワークと呼ぶ。通学に限って言うならばテレスタディやテレスクールのように呼んでも良いようなものだが、あまり根付かなかったらしい。教科書に載っているようなその頃から働き方や学び方がだんだんと法律で整備され始めて、結果この学校――都立高にもその制度が導入されている。要はネット経由でVRアバターを操作して通学できるのだ。


 放課後の連絡通路は昨日と変わらず人気がなく、暗く影に沈んだ中で、遠い廊下の先だけが青白く光っている。みづきが興味津々という感じで廊下をのぞき込んでいるのを、僕ら三人は少し遠巻きに眺めながら話し合う。


「あーあ! 俺もなー、行ってみたいなー廊下」


 心底残念そう……な声を上げているが表情は明らかにふざけているこずえ。彼はこれまで一度もテレワークの申請をしたことがなく、そのため仮に一から申請をしたとすると、手続きと受理に数日かかってしまう。僕は以前に一度だけテレワークをしたことがあって、まだその申請が有効なため、アバターさえ準備できればすぐにこうしてテレワークが可能なのだった。


 ――アバターさえ。そう、以前使っていたアバターの準備に時間がかかると一応渋ったのだが、いつもVRチャットルームで纏ってるあの子がいるじゃん、と当然のように一蹴されてしまった。その結果、テレワークでは基本的に許可された地点からしか学内に入れないため、この廊下までの道中、あぁ悲しいかな趣味が暴露されつつの行軍になってしまった。一応放課後で往来がそれほど多くなかったのが唯一の救いではある……。


「はぁ……入りたくねぇ……」


「でも興味あるだろ? 廊下の先……」


 あるけどさぁ。自分が行くとなると話は別だ。怪奇現象や事件やらは、自分と関係がないところで顛末だけ知りたいし、今回については怪奇現象云々以前に、そもそもテレワークを本来の目的で利用していないために、見つかれば普通にお叱りが発生しうるわけで……。


 ――頭を振る。考えても仕方ない、見たいものは見たい。


 好奇心には誰しも抗えない。みづきがこちらに戻ってきて、「俺も行きたい……」彼はこずえと違い、心底うらやましそうな表情でこちらを見上げてきた。彼の目がこれほどキラキラ輝いている事態は過去にもなかなかあった覚えがないので、急に少し満更でもない気分になってきた。我ながらわかりやすい性格とは思う。


「なんかあったらすぐ眼鏡取るか電源落とすかしろよ」


「うん」


 *


 廊下の正面に立つと、そこは昨日以上にそこはもう廊下にしか見えなかった。今はVRの視界なのだから当然なのだが、やはりまるで壁になど見えず、ざらつくような影の中、吸い込まれるような気配が昨日以上に鮮明に感じられる。気のせいとは思うものの、どこか違う世界につながっていそうな感覚さえ覚える。


「じゃ、いくよ……」


 誰にともなく声をかける。まずは腕から――本当は指程度から試してみたいものの、アバターはそれほど正確に操作できるわけではないので、ひとまず腕から試してみることにした。手を持ち上げ、壁を押すようなイメージで、腕を境界に向けて伸ばしてみる。入った。境界に手を入れたまま、手を振ったり握ったり開いたりしてみる。抵抗はない。


「なんともないか?」


「なんともないよ。そっちからはどう見えてる?」


 普通に廊下に手が入ってるように見えるよ、とみづき。僕は手を引き抜くイメージで戻し、手のひらを目の前にかざしてみる。アバターのテクスチャにも特に変化はない。大丈夫そうだ。


「入ってみるね」


 そう言い終えると、僕は足を踏み出した。正確には僕が現実の足を動かすわけではない。僕は今自宅のソファに座っており、ジェスチャはある程度アバターに反映できるが、地点の移動はそうはいかないので、今度は前進の操作をするのみ。それでも今纏っているアバターの少女は足を持ち上げ、前に一歩踏み出した。境界を跨ぎ、壁の中へ――。


 我知らず、固唾を飲んでしまう。境界を跨いだ。


 地に足が着地する。振り返る。三人ともこちらを見ていた。こちらを見ている三人が、こちら側からちゃんと見える。


「入ったよー。どう見える?」


「壁の中、あえぇと、ちゃんと廊下に立ってるように見えるよ。眼鏡外すと壁だから壁の中にいる、っていうか……」今日に限って眼鏡をかけてきているきりこが、眼鏡を上げ下げする動作をしながら答える。


「そっちからはこっち見えてるか?」とこずえ。


「見えてる~」


「それなら特に問題なさそうだなー」こずえの言に、僕は頷きを返し、廊下の壁を触ってみる。アバターの手は普通に壁に阻まれて止まる。普通の場所の壁に触るときと変わりない。


「壁も普通みたい~。とりあえず先進んでみるね」


「おー」


 気を付けてねー、というきりこに小さく手を振って見せ、それから廊下の進行方向に向き直り、僕はそろそろと歩き出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る