8

 コツ、コツ、とアバターの靴底が床を叩く効果音だけが聞こえている。時折振り向くと、変わらずこちらを見つめ続ける三人がいて、振り向くたびにだんだんと小さくなっていく。僕が三人のいるほうに向かって手を振ると、みづきが手を振り返してくる。足元の影が深くなる。


 眼前には廊下の先が四角く切り取られて見えている。振り向くたびに小さくなる三人と対照的に、こちらは少しずつ大きくなっていく。ふと心細さが胸中をよぎった。焦りに似た、底冷えたような感覚。我知らず自分の体を抱きしめる。――眼鏡を外したくなってくる。背後からの赤い夕焼けの光が薄れ、徐々に青い光が強くなってきた。


 やがて、廊下の角から先が幾分見えるようになってくる。やはり突き当りはT字になっていて、右手、左手ともに折れ曲がった先に空間が続いているようだ。天井には蛍光灯――を模したオブジェクトがあって、今は光はない。廊下の終わりに突き当たる頃合いになり、壁の終端を過ぎて、僕はまず右を覗き込む。


 *


 夕暮れだ。


 真っ先にそう感じた。次いで、奥に向かってずっと伸びていく廊下を認めた。遠い。真っ直ぐに廊下は伸びていき、奥のほうは遠くてよく見えない。


 向かって左側の壁には窓ガラスが続き、そこから夕暮れ――日没後に空を青く満たす、あの淡い光が差し込んでいた。


 逆側を振り向くと、そちらも同じように廊下が伸びているようだった。右手に窓が並び、左手は――教室だろうか、扉が並んでいる。廊下の中ほどに左に折れ曲がる形で少し広めの空間が取られているのが見え、それ以外は先ほどとまるで変わらない廊下に見える。


 寒い。


 緊張からか、手足の先が冷えてきた。戻りたい。徐々に心細さが抑えきれなくなってくる。来たほうを振り返ると、ずっと遠くで三人がやはりまだこちらを見ている。左右に廊下があること、それから左手には階段があることを身振りで伝えようとして、そういえば、こちらと向こうのやり取りの仕方を決めていなかったことを思い出す。


 通話は繋がるのだろうか。


 のろのろと腕を持ち上げ、視界にアプリの一覧を呼び出し、通話のアイコンに触れた。こずえを選び、呼び出しマークを押下する。


 数コールののち、通話が繋がった。「こずえ? 聞こえる?」食い気味に声を上げる。少し声が震えてしまった。「聞こえるよ」と返ってくるいつもの声に、僕はほっと安堵する。


「大丈夫か? 戻ってくるか?」


「や、大丈夫……。こっちの様子なんだけど、突き当たりのね、両側に廊下が続いてるみたい。どっちも奥が遠くて見えないんだけど、えーと、右手側は、廊下があって、こずえたち側の方に教室がずっと並んでる。左手側も同じようなもんだけど、こっちは教室の間に空間っぽいのが見えるね」


「そっか、光って見えるのはなんだかわかった?」


「あぁ、えっとね、それは窓が奥側にバーって貼られてて、そこから夕方っぽい光が入ってきてる……」


「夕方? 青――じゃないのか?」


「あ、いや……夕方って言ってもさ、日が沈んだ後って青い感じになるじゃん」


「あぁ……」


 なんともわからない、といった風な相槌が返ってくる。「このまま電話繋げててもいい?」「うん」こずえの返事に、僕は通話アプリの表示を視界の隅に移動する。


「どうしよっか、もう戻ってもいいかな? もうちょっと奥まで行ってみたほうがいい?」


「えーと、そうだな……」こずえの声が途切れ、向こうで三人が話し合う声が聞こえた。数秒それが続き、それからまたこずえの声が戻ってくる


「みづきときりこはもう戻ったほうがいいんじゃないかって言ってるよ。俺もそう思う。……思うけど、せっかくだしちょっとだけ試してみてほしいこともある……」


「試してほしいこと?」


「うん。いや……」こずえが口籠る。「無理そうなら戻ってきて欲しい。あくまで俺が気になってるだけだから、あれなら後で俺がテレワーク申請して自分で行くから大丈夫」


 僕はなんとなしに左右を見やった。先程と変わらない様子に、特に危険はなさそうだ。そもそも現実の体自体は自宅にいるわけで、極論、何かあっても現実の自分に危険が及ぶわけではない……はずなので、まぁ……。


「内容によるかな……」


「まぁそうだよな……ええっと、気になるのは、窓があるなら、窓の外がどうなってるのか、あと視界が撮れるのかどうか。それから、そこのエリアの情報が見たいぐらい……。できそうだったらでいいから」


 そのくらいであれば問題なさそうだ。「わかった。ちょっと撮ってみるね」僕は両手をLの字にして四角い枠を作り、左右の廊下がうまく枠に納まるようにして視界を撮った。画像を開くと、特に問題なく撮れているようだ。続いてARコンテンツ配信システムの操作画面を開き、現在ドメインの情報を画面ショットに納め、先程撮った画像とともに三人に向けて共有する。


「とりあえず、右手側のほうの窓見てみるね」


「うん。気を付けて」


 こずえの返事を聞きながら、僕は窓の方に歩み寄っていく。

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朱け色の街 古根 @Hollyhock_H

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