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幾つかの円形のテーブルに、まばらな客たちが数人ずつ寄り集まって談笑している。緩いざわめきと、穏やかなピアノの音色。


『昼下がりのカフェテラス』――午後の斜めに差し込む日差しがテーブルの半分を照らし、もう半分に庇の形の影が落ちる。テラスの隅のほうにある席のひとつに腰を下ろし、対面には少女。


「………」


黒髪のショートボブに、赤色のカチューシャ、色白で端正な顔立ち。向かいに座る少女は、手に持ったフォークをゆらゆらと揺らしながら、目の前に置いたケーキを食べることもなく、物憂げに遠くのほうを眺めている。風が吹いて、少女の髪がさらさらとなびいた。


「……遅いね、二人とも」


みづき、きりこ、二人とも今日は委員会だったろうか。いつものようにここで落ち合うことにしたのだが、その後なかなか連絡がない。


「うーん、まぁ気長に待とうぜー」


少女――こずえはそう言葉を返すも、……あぁ、やはりまた心ここにあらずだ、と気づく。今僕たちは例の廊下の情報を改めて整理していた。


 エリア名『西講義棟117階・課外活動区画・北側連絡通路』。


 全校AR配信システムに登録されているということは、紛れもなく正規のエリアである。設備一覧にも、一応それっぽい設備が羅列されており、IDが割り振られているため、予約や借り出しの手続きは問題なく可能だということもあの場で確認した。仮想モニタ、スピーカーなど、設備によっては学内の個人用クラウドストレージからコンテンツを読み込んで流すこともでき――もちろん教師の承認ありきだが――その辺りは普通のリソースと相違ないようだった。配信元は西講義棟のARサーバだが、隣接しているエリアは今日訪れた連絡通路の一つのみなので、そのコンテンツ自体を読み込むためにはやはりあの場所に行くしかない。


「……とりあえず、ひとつ思い付いたよ」


また長い沈黙の後に、僕がそうこぼすと、美少女のアバターに身を包んだこずえは、フォークを揺らしていた手を止め、視線をこちらに戻す。漆黒の瞳に、テラスの脇に植えられた並木と木漏れ日が映り、……やはり流石に可愛らしい。いつも彼が纏う彼の自作アバター、『コズエ』ちゃんは、彼曰く美少女化した彼だとの事なのだが、彼の中では小学生か中学生ぐらいの設定なのだろうか。華奢な背格好に、白いセーラー服が似合っている。マイク越しの彼の声も今は自動補正され、しっかり美少女のものとして聞こえる。……にもかかわらずの彼の普段通りの口調に、なんというか謎の魅力が――それはともあれ。


要は、別に物理的に入らなくても良いのだ。そう、例えば「位置情報をずらす……とか」そういうことになるのだろうか。僕の言に、こずえも既に同じ結論に至っていたようで、別段驚く風もなく「まぁそうなるよなー」と同意する。


 位置情報をずらす。「そもそもARの位置情報って、どうやって同期してるんだったっけ……」そういえば、と僕が呟くと、こずえも「それなんだよな~」と腕を頭の後ろに回した。胸元の赤いタイが揺れる。――トラッキング、だったろうか。現実の自分の位置と、ARの仮想的な自分の位置が同期していないと、風景に重ねて表示されるARの映像が実際の視覚とずれてしまう。だから、ARを表示している間は、常に自分の、特に頭部の位置と向きをどこからか計測して識別端末に送って処理させている。要はそこを上手くやれば、たとえば、そう、僕が今考えているのは、視界だけ前方にずらしていく――つまり視界だけあの廊下に入っていくこともできるのではないか、ということで。


「今いるエリアを識別してるのは衛星の位置情報だなぁ。でも、エリアの中で頭部の位置をトラッキングしてるのは、確か各エリアのセンサーとやりとりしてやってるって話を聞いたことはある」


「じゃあ、そこから送られてくる位置情報をうまーくやれば……」


「暗号化されてるから無理だなー、それに、位置情報の詐称は違法だから、改竄してアプリに食わせると、それがサーバーに上がって、まぁ、うん……」


だめか。じゃあ「適当なボットか何かを遠隔操縦して……」


「ボットに録画機能を付けるのも違法改造だから無理だな」


「ARのデータをそのまま解析」


「違法だな」


「ボットが入れるならさ、テクスチャを鏡にしようぜ」


「あー、………」


彼……彼女は沈黙するが、まぁ、その表情から、答えはなんとなく察しがついてしまう。


「うーん」


……もう正直思い付かない。僕は大きく伸びをしながら天井――テラスの庇を振り仰いだ。こずえも再び沈黙し、しばらく無言の時が流れる。


風音、鳥の囀り、客のざわめき。遠くの方で車が往来する環境音に耳を澄ませる。


なんとなくぼーっとしてきて目を閉じると、それまで気にならなかった自室にいる感覚がにわかに蘇ってくる。テラスの硬い椅子ではなく、柔らかなソファに座っている感覚。空調の匂い。環境音の現実味が遠退いて、カフェテラスにいるアバターとしての僕ではなく、現実の僕に引き戻されていく。


人の感覚はずいぶんと視覚頼りなんだなぁ、空調で緩くめぐる風を感じながら、改めてそう思ってしまう。

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