第24話・闇
心の闇から徐々に回復したオータは、テレビ番組のセット制作会社に就職を果たした。業界用語で言うところの「大道具」というやつだ。自前の創意を生かし、バラエティ番組のスタジオセットに組み込まれる発泡スチロール製の彫像をつくったり、ゴールデンタイムで人気を博する「電撃イライラ棒」という電気仕掛けの複雑な迷路のような装置を組み上げたりして、面目を躍如させている。まさしく天職を得た感触だろう。発泡スチロールでつくった原型を型取りして、FRPというプラスチック製の作品に起こすこともできる。この立体造形が神懸かっている。イルカなどをつくらせると、まるで本物が中空を泳いでいるようなのだ。彫刻科を卒業したオレも舌を巻く造形力だ。なんという器用さと手際だろう。オータは、この技を発表活動にも生かそうと、新たな芸術作品の制作にも挑戦しはじめた。つまり、これはなんと説明すればいいのだろう・・・レリーフの高低差で三次元空間を大げさにデフォルメし、平面構成を超越して、額から飛び出すトリックアートのような・・・つまり「遠近感を混乱させる」「立体絵画」なのだ。のちに個展に出品することになる壁一面分ほどもある作品では、荒涼とした廃屋の街角を描いているのだが、発泡スチロールの厚み30センチほどの中に、起伏と奇妙な奥行きを入念に配置し、空間のゆがんだ迷宮にさまよい込んだような錯覚を覚えさせられる。凹凸を掘り込む手先の技術も見事なものだが、制作意図と効果に度肝を抜かされる。オータはついに、芸術家となったようだ。
一方、オレはというと、すっかりマンガを描くのがいやになり、バイト生活に身をやつしている。江古田の音大近くの小さな洋食店「ウッドペック」は、親分肌のマスターと、肝っ玉の据わったほがらかなママとのおしどりコンビの人柄が大人物で、居心地のよさで定評がある。上京以来、このふたりには、プライベートでもとてもよくしてもらった。その代わりに、バイト時間内にはこき使われる。ランチ時にホールで給仕をするのだが、すさまじい人気店なので、毎日、開店と同時にたちまち満席になる。そのホールの差配一切を任されている。金持ちの音大生は、昼間から1000円近くもするハンバーグステーキやチキンソテーを、ナイフとフォークを用いて食する。この店の評判のハンバーグは、もちろんその日の手ごねで、オーダーが入るとフライパンで焼き色をつけられ、オーブンでグリルされ、あっちっちの鉄板の上に寝かされて、お客さんの元に届くときにはジュージューとデミグラスソースを飛び散らせる暴れん坊だ。こんがりと焼けた表面にナイフを入れると、切り口から肉汁の滝が流れ落ち、こいつをお口いっぱいに頬張れば、天にも召されそうな・・・というほどの逸品なのだ。ただ、手でこねているのはホールで立ち働いているバイトのこのオレだとは、音大生には知るよしもない。昼どきに目一杯に動きまわり、へとへとになった2時過ぎになると、ようやくお楽しみのまかないが出る。こいつが超大盛りで、ありがたい。ハンバーグは出ないが、ラーメンでも、チャーハンでも、パスタでも、とにかくすさまじい盛りになっている。そして、驚くほどうまい。この店のおかげで、オレはなんとか生きながらえることができている。
ウッドペックの時給は600円で、目の回るような忙しさを考えれば、もう少々頂戴したいところだ。が、文句は言えない。なのでそれと同時進行に、あらゆる単発のバイトを掛け持ちする必要がある。国道端で車の通行量のカウントもするし、クソ都議会議員の選挙のポスター貼りもするし、酉の市のシーズンには大鳥神社で熊手売りの「シャシャシャン、シャン・・・」という例の手拍子のサクラもする。新宿副都心のホテル・センチュリーハイアットで結婚式などのパーティの給仕もやる。生きるためにはなんでもする。が、どうしたわけか、マンガを描くことはぱたりとなくなった。いちばん金になる作業なのに、まったく不思議なことだ。が、どうしても「描きたい!」とはならない。子供の頃、ひとりの時間にデスクに向かい、あれほど一心にふけっていた落書きのようなマンガでさえ、今は描けない。意欲が沸き立たないし、ペンを手に紙に向かうことさえできない。心というのは、なんともコントロールがきかないものなのだった。
平成史ですけど/マンガ家から陶芸家 もりを @forestfish
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