第4話・人気者
一日にして、人気者になっていた。校舎の廊下を歩くと、生徒たちが駆け寄って「センパイ!」と声を掛けてくる。「先生」ではなく、なぜか誰も彼もが、このオレを「センパイ」と呼ぶ。微妙な気分だ。お近づきになってくるのは、ワルい感じの生徒ばかりだ。いわゆる、成績が悪く、教師たちからうとまれ、親からも邪険にされ、夜の校舎の窓ガラスを壊してまわり、ぬすんだバイクで走り出す、支配からの卒業を望んでやまない手合いだ。オレはこれまでの人生において、その手の種族とはついぞつき合ったことがないので、戸惑うばかりだ。しかし彼らは、この新米教師を深く敬愛し、リーゼントをマネたソリコミ角刈り頭の下に、憧れの眼差しをくりくりと輝かす。コイツならわかってくれるかもしれねーぜオイラの心の傷を、というわけだ。なんというお門違いだろう。しかし、光栄ではある。
そこでオレは、やつらを取り立ててやることにした。美術の時間に、モデルとして起用するのだ。
「おい、今日の授業、モデルやってくれや」
「いいっすよ、センパイ」
「好きな格好してくれてえーから」
「やったっ」
彼らは嬉々として脱ぎはじめる。頼みもしないのに、パンイチにまでなってくれる。そして意気揚々と教卓によじのぼり、思い思いのポーズを取るのだ。その肉体の素晴らしさときたら、ラグビーで鍛えたオレも気後れがするほどだ。ケンカのためか、女のためか・・・とにかく、ここぞという場面のために、彼らは準備を怠らない。このワルたちは、ただただ自尊心と自己顕示のために、ここまで禁欲的に自らの肉体をいじめ抜くことができるのだ。彼らはだらしないわけでもなまけ者でもなく、自分の思いに正直なだけで、まったく生真面目なのだ。しかも、いったんポーズを取ったら、20分間、みじろぎもしない。たいした精神力ではないか。なんとなく、じんとくる。
そんな彼らからは、よく相談を持ちかけられる。
「ナマでやったら、女が妊娠しちまって・・・」
「マジ、親を刺そうと思うんだけど・・・」
「こんなとこさっさと中退して、職人やりてーんだよ・・・」
重すぎる・・・オレだって、まだ人生の先も知れない22歳のぺーぺーなのだ。どんなアドバイスをすればいいのか、さっぱりわからない。仕方なく、彼らを忠節の変人巣窟アパートに呼び、すね毛を突き合わせてビールの酌のやり取りをする。この年頃には、アルコールがいちばんなのだ。オレの高校時代もそうだった。酒で、心の問題のすべてを解決してきた。ひどい教師だが、こんなとき、酒以上の助けがあるだろうか?
夜は一転して、お行儀よろしく、中学の優等生たちの世話をしなければならない。塾講師とは言っても、町の小さな私塾だ。二階建ての物件を丸ごと借り上げた造りで、教室が三つばかりと、事務所が一室あり、教師は五人ばかりが在籍している。オレは一年坊の数学を教えるわけだが、これがどうにも難しい。授業の構成を組む前に、内容の理解から入らなければならない。テストテストでごまかしてばかりもいられない。がむしゃらに勉強するしかない。予習、復習を少しでも怠ると、授業の進行についていけなくなる(くり返すが、先生であるオレが、だ)。そうして、なんでも知っている先生、というテイでガキどもに接している。なかなかの苦痛だ。頭のいい生徒たちは、そんな田舎芝居はとっくに見透かしているにちがいないが、とにかくオレは、すごい大学を出た数学教師という役を演じなければならないのだった。
ところが、こちらでも奇跡が起きた。ある夏の夕刻だ。授業をはじめたところで、突然の暴風雨が襲来した。雷鳴が轟き、滝のような雨が打ちつけ、塾の建物が揺れるほどのものすごい夕立ちだ。子供たちは動揺し、ざわついてしまって、授業にならない。そこで、こう宣言した。
「30分後の7時45分に、この雨はピタリとやむであろう」
子供たちは、そんなバカな、ありえない、といぶかしむ。ぱっと見、一週間も降りつづこうかという勢いなのだから。ところが、本当にその時刻になると、猛烈な雨はうそのようにおさまってしまった。それはまるで、モーゼが海を開いて道をつくったような、奇跡の出来事だ。大人なら、夕立ちが30分程度でやむことは常識として知っているものだが、13のガキどもにはこれが魔法のように見えたようだ。天気を操る男の降臨だ。こうしてオレは、この場所でも「神」と崇められるようになった。
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