老いても子に従わずにトかしもしない
トケルとカタメは育休をとった担任の代わりに担任代行の女性教師・がくフーからボランティアの斡旋を受けた。
「土曜の午後にグループホームに行って。日曜の午後は特養に」
「えー。それじゃ斡旋じゃなくて命令じゃないですかー」
「カタメくん。はっきり言っておくわ。今日びボランティアやらない人間は失格者なのよ」
「ばあちゃんが生きてる時に散々お世話したんですけど」
「それは当たり前の話でしょ」
「え。じゃあ、がくフー先生もおばあさんのお世話してたんですか」
「同居じゃなかったもの、できるわけないじゃない」
「不公平です」
「世の中、そんなもんよ」
カタメは老人のいる場所へ行くのは気が重かった。自分の祖母は元気でまだまだ働けて、神社の石段も自分の足で登れるぐらいの内に適切な寿命で亡くなったけれども、最近のドーピングで生きているような年寄りたちの姿を見ると痛ましいを通り越して恐怖すら感じるのだ。だからトケルに訊いてみた。
「トケルさんはお年寄りには抵抗ないでしょ。ひいおばあちゃんも健在でスイカの栽培やってるぐらいだから」
「ううん。うちのひーばあちゃんとばあちゃんは物の道理も分かってるからいいけど、他所のお年寄りはいやだよ。だって、わがままだもん」
「わがまま?」
「墓守するわけでもお仏壇や神棚にお花や榊やお供え物するわけでもない。80過ぎても未だに自己実現とか言ってるし」
「うわ。なんかこんな辛辣なトケルさん、初めて見るよ」
「カタメくん。つまりわたしたちももっと年をとってきちんとできてるかはとても難しいってことだよ」
グループホームへはスーパーで駄菓子を買って行った。談話室への差し入れだ。
トケルもカタメもグループホームへは行ったことがあった。いずれも親戚の年寄りが入居していたからだ。カタメの感想は「談話室で社交する面倒さえなければ自室で気楽に過ごせるんじゃないかなあ」というもの。トケルの感想は「幼稚園みたい」というものだった。
今日訪れたそのグループホームの談話室は、ドロドロ。
「中江さん。あんた儂のプリン、食べただろう?」
「アタシが井出さんの手に触れたものを食べる訳がないでしょうが」
「どういう意味だ」
「そういう意味よ」
この辛辣なやりとりをヨボヨボの動きで掠れた声でするのだ。
カタメは嫌気がさしてきたがトケルはここでも天然を発揮する。
「井出さん。じゃあ、こう書いておいたらいいんじゃないですか? 『儂のプリン』とか」
「なんだと? ちゃんと書いてあったわい! 『儂のプリン』と!」
「『儂のプリン』なんて書いてなかったわよ! だから食べたのよ!」
トケルが困惑気味にけれども天然状態のままで仲裁を続ける。
「あ。食べたには食べたんですね? そうなんですか? 中江さん?」
「ああ・・・まあ・・・そう言えば『俺のプリン』、て書いてあったかしらね」
「ちゃんと『儂のプリン』って書いてあったのに食べちゃったんですか? 中江さん」
「『儂のプリン』なんて書いてなかったわよ! 『俺のプリン』て書いてあったわよ!」
「ええと・・・どう違うんですか?」
「ト、トケルさん・・・」
カタメがトケルを脇に呼び出す。
「トケルさん、『俺のプリン』なんだよ、中江さんが食べたのは」
「カタメくん。ごめん、言ってることが分かんないんだけど」
「『俺のプリン』ていう商品名なんだよ」
「あら。えっ。あら」
トケルがようやく自分が老人たちと同レベルの勘違いをして同レベルのやりとりをしていたことに気づいてほほほ、と苦笑いした。
トケルが締めようとした。
「『俺のプリン』を食べられたくなかったら『儂のプリン』て書いておいてくださいね」
大慌てでカタメがフォローする。
「『俺のプリン』だろうが『儂のプリン』だろうが、『井出』って書いておいてくださいね」
夜、家に帰ってカタメは母親に訊いてみた。
「母さん。グループホームとか入ってみたいって思う?」
「そうねえ。トケルさんとカタメがそうした方がラクだっていうんなら無理に同居じゃなくてもいいわよ」
「そうか・・・えっ。どうしてトケルさんの話が出るの!?」
「あらあ。だって、わたしは姑になるわけでしょう? 嫁の意向も聞かないとね」
「お母さん。わたしはできればお母さんとずっと一緒に暮らしたいです」
「あらあら、ありがとね。でも寿命も随分伸びちゃったからお金のある限りはお互い無理ないようにやりましょ」
「ちょ、ちょっと、2人とも。なんか、その、け、ケッ・・・コンみたいな話になっちゃってない?」
「あらカタメ。別に不思議じゃないでしょ?」
「そうだよカタメくん。恋愛の切ない思いはつまり『結婚したい』っていうお互いの願望だと思うよ、一般的に言って」
母親の宿願とトケルのやたら客観的でだからこそリアルなコメントに、もう寝る、と言ってカタメは自部屋へ行った。
翌日曜日。トケルとカタメは介護老人福祉施設、いわゆる特別養護老人ホームをボランティアとして慰問した。ここは常時介護が必要な高齢者が入居する。例えば認知症で徘徊がひどいなどの。
だがこの特養は一般的な特養よりも更に重度の介護が必要な老人たちが入っていた。
建物に入り慰問する老人のいる棟には金属性の自動扉。入る時はそのまま開いて介護スペースに入ったが、入ってしまうと扉のステップの前あたりにいても開くことはなかった。
「中からじゃ開かないよ。ここの入居者は全員老人性うつ病で自死衝動があるから」
女性スタッフがトケルとカタメに面倒臭そうに説明してそのまま奥へと歩いて行く。トケルとカタメが遅れないように早足で着いて行くと会議室のようなテーブルと椅子が置かれた部屋に大型の液晶テレビが一台あって、年寄りたちが10人ほど座って相撲中継を観ていた。まだ午後早い時間なので幕内でもない力士たちの淡々とした取り組みがBGMのように流れていた。
ひとりの老婆が椅子から立ち上がった。
「だめだよ佐伯さん」
女性スタッフが立ち上がった老婆に不機嫌な声で軽く叱責する。
老婆は耳に入っているのかいないのか分からない仕草でまだふらふらと立ち上がりかけている。
「座れ!」
「は、はいっ!」
元気な声で返事して、ずだっ、という感じで椅子に座ったのはトケルだった。
女性スタッフが、ぽかん、としている。
トケルは真顔で真面目な声でスタッフに言った。
「え。座りましたけど」
緊張とトケルの天然の繰り返しの中、なんとか慰問のスケジュールを終えたふたりはもう暗くなった道をバス停に向かって歩いていた。
「いやー。トケルさんの脱力感がなかったらいたたまれなかったよ。さすがトケルさん」
少しおどけるようにトケルを褒めたカタメの言葉に、けれどもトケルは何も答えず、しばらく沈黙の中、足音だけが規則正しく続いていた。
「トケルさん?」
もう一度声をかけると、トケルがカタメの背中から突然抱きついてきた。
今までにない、力で。
「ト、トケルさん!?」
「あんな所に入れないで」
「えっ」
「お願い。わたしがおばあちゃんになって認知症になっても、家に置いて? カタメくんの側にいさせて・・・」
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