クモとヤモリとトケル

 トケルとカタメは朝寝していた。

 カタメが友達になった小学生のアタリたちが海で日の出会をやることになり明け方から小学生たちの世話に行っていたのだ。

 小学生にもなっているのだから勝手に行けよとカタメは言ったが日の出を見てラジオ体操をした後に豚汁を作るという。火を使うので大人が必要なのだと言った。


「俺は大人じゃない。高校生だぞ」

「でも結婚してるよね?」


 と、先般の模擬結婚式で揚げ足を取られ、日の出会に行ってみれば、


「結婚生活はどう?」

「一緒に寝てるの?」

「子供は? まだ?」


 などと特に女子たちから意味不明な質問責めにあい、カタメは精神的に疲れ果て、トケルはヘラヘラとはしゃぎ疲れ果てた。

 帰ってくるなり2人してリビングのソファにばたっと倒れてそのまま寝入ったのだ。


 一応別々のソファで。


「カタメくん」

「ん?・・・わっ!」


 起こされて目を開けるとカタメの顔の真ん前に差し出されたトケルの手のひらに、ちょこん、とトカゲっぽい形をした小さな生き物が乗っかっていた。


「ト、トケルさん・・・なにそれ? イモリ?」

「ちがうよぉー。ヤモリだよぉ〜」

「ああ。ヤモリって家守ヤモリだから縁起がいいんだっけ? まだ居るんだなあ」

「ほら、まだ赤ちゃんだよ。かわい〜よねー。さてと」

「? なんでコーヒーカップに入れるの?」

「避難させるの」

「避難?」


 カタメが疑問符を浮かべるとカタメの母親が切迫感のあるセリフをほぼ自動的に喋っていた。


「今日こそ茶色っぽい黒で素早く走って触覚がほぼ体長と同じぐらいの長さの一般家庭に巣食うあの虫をバ◯サンで殲滅するのよ! さあ2人とも、早く出てって!」


 トケルがカタメに、ね? という感じで促す。


「でもトケルさん。ゴキ・・・」

「言わないで!」

「ええと・・・『茶色っぽい黒で素早く走って触覚がほぼ体長と同じぐらいの長さの一般家庭に巣食うあの虫』は殺してもよくてヤモリは殺しちゃダメな訳?」

「じゃあカタメくん。『茶色っぽい黒で素早く走って触覚がほぼ体長と同じぐらいの長さの一般家庭に巣食うあの虫』もヤモリも両方殺す?」

「難しい問題だ」


 ふたりはまだ暑い夏の日差しの下を散歩した。トケルがコーヒーカップを手に持ちながら。


「・・・なんでコーヒーカップ?」

「なんかオシャレだから」


 ヤモリが暑さで参らないように保冷剤をコーヒーカップの底に入れてひんやりとさせてやった。歩いていると面識のない街のひとたちからも声をかけられる。


「あら。コーヒーカップ? なにかのイベント?」

「いいえ。このコです」


 声をかけてきた老婆にトケルはカップを傾けてヤモリを示した。


「あら、かわいいわね」

「そうですよね? まだ赤ちゃんですよ」

「子供の頃、わたしの家にもいっぱいいたけどねー。最近はすっかり見なくなって」


 トケルとカタメは公園の木陰のベンチに腰掛けた。

 母親に連れられたまだ歩き始めて間もないぐらいの小さな男の子が、トトト、と近づいてきた。


「うあ?」

「ヤモリさんだよ」


 トケルが答えると男の子は人差し指を、つん、と立ててヤモリの頭をぐりんとつつこうとした。


「あ、ダメだよ!」


 思わず声を出したのはカタメだった。

 たったそれだけでも男の子は泣き出した。


「えーう!」

「ご、ごめん・・・怒ったつもりじゃないんだよ」

「ううん。あれじゃあ怒ってるのと同じだよ、カタメくん」


 男の子の母親が早歩きで側に来た。


「あらあらどうしたのかしら」

「ヤモリの赤ちゃんを指でつつこうとしたので」

「そう、ごめんなさいね・・・かわいいわね、このコ」

「はい! 我が家のヤモちゃんです」

「我が家の? ヤモちゃん?」

「カタメくん。放し飼いのペットということで」


 コンビニへ行けば(持って入るか?)店員からほほ笑まれ、痴話喧嘩をしているカップルの前ににゅっ、と突き出せば彼女が笑い出し、重篤な病を患う紳士は完治し、体重計を世の罪悪と看做すレディはダイエットに成功した・・・


「うーん。さすが家守ヤモリ。よく効くー」

「トケルさん。言ってることがちょっとだけおかしいよ」

「そう?」


 いつしか散歩はLSD(Long Slow Distance)の様相を示し、気がつくと隣町の神社まで来ていた。


「カタメくん、お参りしてこ?」

「うん」


 カタメが手水場で柄杓を手にしようとするとトケルが待って、と声をかけた。


「クモの赤ちゃんだよ」


 観ると手水場の屋根で日陰になっている水面の上の一筋だけ真夏の光が当たっている場所に、小さく、体も透き通るようなクモの子供が浮いていた。

 驚くほど軽いからなのだろう、それは水泳をするようなではなく、スケーティングするような感じで氷面を滑るような感覚だった。

 そのクモの子が風に吹かれる度にすーっと水面を移動する。

 カタメが素直な感想を言う。


「へえ・・・なんか、キレイだね」

「うん。かわいいよね」


 ただ、このままではいずれ流されて命の危機に陥るだろう。トケルは指につたわせて救出できないかな、と人差し指を水面ギリギリに近づけたりするが、どうしてもクモと指の間に水が割って入ったり、波立ったりしてうまくいかない。トケルの集中力が極限に達した。


 バシャ


「あ」


 いつの間にか手水場に来ていた参拝者が柄杓で水を掬った。

 その波でクモが石でできた水槽の淵まですー、と滑る。


 バシャ、バシャ


 また乱暴に水を掬う音がして水槽の淵に滝ができた。


 子グモは滝に呑まれた。


「トケルさん?」

「どうしよう・・・死んじゃった」

「う、うん。ちょっとかわいそうだけどね」

「ねえ、ほんとに死んじゃったよカタメくん」


 カタメが見ると、トケルは右目から涙をぼろっ、とこぼしていた。


「ト、トケルさん?」

「うん・・・」

「悲しいの?」

「うん。悲しい」

「でも、家じゃ母さんがバル◯ン焚いて別の虫を大量殺戮してるよ」

「・・・うーん。・・・ほんとだね・・・」


 おそらくそういう参拝の仕方はいけないことなのかもしれないが、カタメとトケルは神社でクモや『茶色っぽい黒で素早く走って触覚がほぼ体長と同じぐらいの長さの一般家庭に巣食うあの虫』の冥福を祈った。


「ただいまー」


 カタメとトケルがお土産のコンビニアイスを持って家に帰ると、母親はソファでうつ伏せになっていた。


「か、母さん! 大丈夫!?」

「ああ・・・カタメ・・・」


 母親はかろうじて起きる、という感じで上半身を起こした。言葉すくな気に事実を告げた。


「なぜかゴキ◯リはね、わざわざわたしの前に走り出してきて、それで死ぬのよ。死骸を何匹・・・いえ、何十匹と始末したわ・・・」


 もはやあの長ったらしい言い換えをする気力すら無くしているようだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る