トケルトラスター・トラクター

 カタメはその日から寝つきが悪くなった。

 睡眠障害ではない。

 嬉しすぎて眠れないのだ。


「結婚式・・・ふたりの・・・」


 親水公園のチャペルで小学生たちの夏休みの自由研究であるブライダル・プランナーの職業体験のために新郎新婦役を演じたカタメとトケル。

『式』の様子を最初から最後まで録画していたチャペル側の動画をカタメは入手していた。スマホに落として思い出す度に観ている。


 トケルのウエディングドレス。


 細い腰を更に細くまとめるそのフォルムと白のレースの手袋、美しいブーケ。


 そしてトケルは『間違えた』などと天然の極みのような一言を吐いたけれども、2人の唇が触れ合ったことは間違いのない事実だった。


 今夜も眠れないのかとアイス焙じ茶でも飲もうとキッチンへ行くとトケルがPCで動画を観ていた。


「あ、カタメくん、観て観て」


 なんの動画か、まさかトケルも結婚式の動画を観ているのなら嬉しいとカタメは思ったがトケルが観ていたのはロックバンドのMVだった。


「これね。ネロータちゃんから教えて貰ったバンド三種なんだけどね。最近はギターの名前を曲名に入れるのが流行ってるんだって」

「へえ。どんなの?」

「リッケンバッカー、テレキャスター、ストラトキャスター、とか。なんかかっこいいよね」

「ふーん。確かに」

「わたしも『ギター』風のニックネームでも考えてみようかな」

「ええ? トケルさんで十分インパクトあるよ」

「ううん。まだ、足りないよ、トケル感が」

「トケル感?」

「あらゆるモノを溶かしちゃう感が」


 そう言いながらその日はそこでおやすみ、と挨拶を交わし合いそれぞれの部屋でカタメはトケルから借りたイルカの抱きマクラを、トケルはペンギンの抱きマクラを抱えて眠ったのだが、朝になってトケルが興奮気味でカタメに語りかけてきた。


「カタメくん、できたよ!」

「え。何が」

「曲名っぽいヤツ! ほら、昨夜言ってた」

「ああ。ギターの名前っぽいヤツね」

「うん。あのね『トケルトラスター』」

「・・・・・・ん?」

「へへ。それっぽいでしょ。でもまだ足りないな」

「そ、そう・・・?」

「ん! 『トケルトラスター・トラクター』! どう!?」

「・・・意味は?」

「うーん。トラスターだから信頼する人みたいな感じ? トラクターはトラクターかな」

「意味が分からない」

「そんなもんだよカタメくん」


 折の良い時には色々と重なるもので、まさかのトラクター出現だった。


「いやー。ずっと実家の庭に設置したままになってたプレハブの『勉強部屋』をさ、こっちの家の庭に持ってくることにしたんだ。なんとかトラクターで引っ張って運べるからしばらくうるさくするけど勘弁ね」


 ざっくばらんなお隣さんからそういう挨拶を受けて本当にその日の午後にトラクターが牽引用の車両に部屋を乗せてやって来た。


「へえ・・・なんか、異世界に来た見たい」

「ほんとだね、カタメくん。現実離れした光景だよね」


 カタメは現実離れはトケルさんの大得意だよね、と言おうとしたがわざわざカドの立つ言い方をせずともトケルはは十分理解していた。


「わたしもこんな豪快なマシンが欲しいな」


 冗談とも思えないのがトケルだった。


「あれ? なんかあの部屋、傾いてない?」


 カタメがそう言うとトケルは即座に答えた。


「うんうん。いい具合に傾いてるね。わたしあの微妙な角度、好き」

「角度が好きって・・・でもトケルさん。ほんとになんかアブない感じだよ」


 カタメが言い終わらない内に、ガコン、という音がして部屋の四隅のひとつが車両から外れかかった。


「あ、危ない!」


 ちょうどトラクターと部屋が通り過ぎようとしていた道路のその脇を、インラインスケートでまさしく横切ろうとしていた小学生の女の子が通りかかる。


「ああ!」


 カタメが声を立てて駆け出そうとしたその脇を、ものすごい速力の風が駆け抜けた。


「ト、トケルさん!?」


 直前まで長閑にトラクターを褒め称えていたトケルがベスパのスロットルを全開にして女の子のところめがけて走っていた。


 ビィィィィィン!


 まるで改造してあるのではないかというぐらいの加速で崩れかかったプレハブに迫る。


「溶っけろぉぉぉお!」


 声に出しながらトケルのベスパが走る。


「ほい!」

「はい!」


 トケルが声をかけると女の子との息もピッタリで、トケルが後ろに突き出した右手を女の子は両手で掴みぐっと体幹に力を込めた。ベスパに牽引されるインラインスケート。


 ガラガラガラァァア!


 一瞬の差で崩れ落ちるプレハブ部屋の真横を2人はすり抜けた。


「トケルさん!」


 女子2人は意外なまでにごく普通に笑い合っていた。


「いやー。見事だったよ!」

「ありがとう、おねえさん」


 その直後、トケルがカタメに倒れこんできた。


「あー、こわかったー! カタメくん、ご褒美は?」

「え?」

「キスでもいいよ?」


 カタメは瞬時に悟った。

 今この場でそんなことできないし、軽々しくキスし合うようなそんな彼氏彼女のありようはカタメもそんなに望んではいなかった。


 けれどもチャペルでの『結婚式』の時のあのキスは。


『間違い』ではなかったとトケルは宣言したようなものだった。

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