モウ獣がwaterfallでトケル~!?

 蕎麦が目的だった。

 ところがその看板を目にしたために異世界にすっ飛ばされることになるとは。

ベスパにタンデムしてやってきた里山の峠道。


『虹彩の滝まで300m』


「カタメくん。滝だって」

「う・・・ん。でも、クマも出るって」


『クマ出没・注意!!』


「クマ〜♡」


 カタメはトケルの長閑な反応に若干イラっとした。けれども表情がかわいかったので不問にした。


「トケルさん。行きたいの?」

「行きたいか行きたくないかで言ったら・・・行きたい!」

「うーん。じゃあベスパをここに置いて歩くしかないね。クマよけの鈴は?」

「鈴の代わりにこれじゃダメかな?」


 トケルがベスパのキャリーから取り出したのは異様にごついスプレー缶だった。


「ト、トケルさん。それは?」

「クマ撃退用のスプレー」

「ど、どうして・・・」

「ほらあ。この間わたしがクマに襲われたんじゃないかって捜索隊まで出て迷惑かけたから、自衛すれば問題ないかなと」

「いや・・・そもそも遭遇する前提じゃなくってクマの生息場所を避けるのが普通じゃないかなあ」

「普通じゃつまんないよ」


 トケルのそのセリフはアニメや漫画の中で女の子が呟いたらカッコがつくセリフではあると思ったが、この場面でトケルが言う意味がカタメはわからなかった。しつこくトケルに言ってみる。


「トケルさん。かなり早い段階から普通じゃないよ」


 トケルがクマ撃退スプレーのロング缶をかざしながら滝のある小道へと2人で入って行った。

 さすがに「クマ出没・注意!!」と書かれた看板が、しかも不自然に斜めに傾いて立っている様子を見ればわざわざ入ってくる人間はいないだろう。だから本当に静かな空間だった。


 カタメは厚遇だとトケルへのアプローチを試みる。


「トケルさん。好きな人っているの?」

「うん。基本みんな好き」

「いや・・・そうじゃなくて、好きな男子とかは?」

「うーん、カタギリーくんもカタメくんもクラスの男子はみんな好きかなあ」

「いやそうじゃなくて」

「しっ!」


 トケルが鋭く声を出してカタメも思わず息をひそめる。


「カタメくん。音がするよ」

「う・・・・・・・ん。足音?」

「やだ。なんだか近づいてくるよ」


 思わずカタメもトケルも足を止める。トケルがスプレーを構える。


 カサササササササ


『ケン! ケン!』

「わあっ!」

「鳥!?」


 キジだった。

 カタメとトケルの前をトトトトと駆け抜けて行った。


「撃っちゃうところだった」

「いやいやトケルさん。スプレーでしょ? 撃つ、ってなに?」

「だってほらこれ見て? 武器でしょ、これは」


 改めてスプレーを見るカタメはハンディバズーカのような口径だとすら思った。


 とにかくトケルが常に臨戦態勢で歩行するおかげかクマに遭遇することなく目的の滝に到着した。


「わあ♡」


 トケルがトトト、と水場に駆け寄る。


 不思議な光景だった。


 5mほどの高さの滝が真っすぐに落ちてくる。

 そしてその滝の水源である筈の川の部分は茂る木の枝々にに隠れ、まるで水流が唐突に現れたような、水量もぐるっと腕の長さで抱きかかえられるぐらいのかわいらしい滝。


 そして滝壺は本当に真円に近い丸い、くるんとひとまわりできるくらいのコンパクトなものだった。


「カタメくん、この滝壺って小さな池って感じだけど、水はどこに流れてるのかな?」

「うーん。地下水脈みたいな感じで底からどこかに抜けてるんじゃないかな」

「あれだね。なんだか、砂時計の砂が、さーっ、て落ちてく感じみたいな」


 ふたりは滝壺の前の石に腰かけた。


「カタメくん、食べる?」

「うん」


 トケルがカタメにおやつのフィナンシェを渡す。

 滝の音がとても静寂だったのですぐに分かった。


「唸り声だ」


 いた。

 黒い塊が茂みの中から出てきた。


『ワウゥン!』

「・・・・クマ?」

「ちっこいね・・・」

「うん。犬みたい」

「犬じゃないの?」

「クマ顔の? でもどうしてこんな山の中に?」

「今どき野犬? 一応撃っとこうか?」

「トケルさん、それって連射できるの?」

「うーん説明書には噴射可能時間約7秒って書いてあったから一撃必殺みたいな感じかな」

「じゃ、じゃあ、あれがもし子グマでさ、親グマが出てきたらもう攻撃できないじゃない」

「ほんとだね」

「グォラア!」


 トケルがスプレーのボタンに指をかけた時、低いオクターブの咆哮のような唸り声のような音がしてもうひとつ塊が、ガサアっ、と出てきた。


 瞬間のふたりの心の声。


『え!? 親グマ!?』・・・カタメ

『わ! 無精!』・・・トケル


「こらこら! やめんかねっ!」


 トケルが恐怖というよりは嫌悪でもって突如現れた無精髭のクマのような男性をスプレーで撃とうとするとその男性はトケルとカタメの2人に反射で銃を向けた。


 トケルとカタメも反射で両手をあげる。


「あ、すまんすまん! 素人さんに銃口を向けるなどハンター失格じゃ」

「ええと。あなたは?」

「猟友会に入っとるハンターだわね。先祖はマタギだったが」


 男性は歳の頃還暦過ぎぐらいに見える。手にしているのはショットガン、いわゆる散弾銃だと説明してくれた。

 その人の家系は曽祖父の代までマタギとして生計を立てていたという。


「いやー。ここしばらくクマが出まくっとるからね。パトロールもかねて獲物を探しとったんだよ」

「クマを撃ったことってあるんですか?」

「あるよ。なかなか遭遇はできんけどね。熊のとか知らんかね? 下痢なんぞ一発で治るし精神を安定させる効果もあるぞね」

「あ・・・薬ですか?」

「そうさ。クマの肝臓から作るんだ。高いよ? ほんの爪程のかけらでも1万円とか平気でする。だからクマを撃ったら肉もそうだし内臓から何から全てが恵ぞね」

「へえ・・・」

「それよりもこの間は女の子がクマに襲われたんじゃないかって猟友会総出で出動して大変だったわいね」

「あ。それわたしです」

「なに!? それでいてお前さんは性懲りも無くまたこんな所をウロウロしとるのかね!」


 そのハンターは村瀬と名乗った。

 連れている子グマみたいな子犬は曽祖父のその前の代から猟犬として血統を保ってきた由緒ある犬の子孫なのだそうだ。

 全員で滝壺の前にあぐらをかいて座った。


「あの、おにぎりどうぞ」

「お? いいのかね? じゃあ遠慮なく」


 蕎麦だけでは足りないだろうとトケルが持参していたおにぎりを村瀬にも振る舞った。村瀬はかぶりつくとすぐに反応する。


「うん、美味い! ねえちゃん料理上手だな」

「えー。握っただけですよ」

「こういうシンプルな料理が一番ごまかしが効かんのよ。にいちゃん、アンタいい彼女持ったな」


 カタメは照れてしまったが面倒なので否定しなかった。

 トケルは子犬におにぎりを食べさせていてまったく関知していない。


「ところでクマでなく、あんぽんたんどもをパトロールする意味もあるんだわ」

「あんぽんたん?」

「にいちゃん、ねえちゃん。滝に来るまでに大木を見んかったかね」

「ああ。立派な杉が何本もありました」


 カタメがそう言うと村瀬は顔を苦み潰すようにして語った。


「御神木を売り飛ばそうとするバカ者がおるのよ」

「御神木?」

「おうよ。立派な御神木の幹をえぐって薬をちゅー、と流し込んでの。木が弱ったら『これはもう伐採しないといけませんね』って行政に言うて切り倒して国内だけでなく海外にも高値で売る・・・御神木ほどの木じゃからの、立派なんじゃよ」

「御神木って神さまが住んでるんですか?」

「ねえちゃん、よく分かってるのう」


 子犬が反応した。

 静かに唸る。


「あ。言ったそばからあのバカ者どもが」


 村瀬が吐き捨てる方向に本当にその御神木を売ろうと企む闇製材業者が2人、何人もで手を繋がないと円周できないような大木をドリルのような器具で穴を開けようとしていた。20mほど離れていて薄暗いのでこちらには気づいていない。


「撃ち殺してやろうかの」


 ショットガンを構える村瀬。あわててカタメが止める。


「そ、それはまずいでしょう」


 そうカタメが言った横で、


「えい」


 という無造作なトケルの声がした。


 ヒュゴオオオオオオオォォォ!


 肩幅に足を開いて立つトケルがまるで蚊に吹きかけるような気軽さでクマ撃退のバズーカのようなスプレーを闇業者どもに向けて撃った。


「ぐわあああああ!」

「あぎゃああああ!」


 スプレーの凄まじいガス圧を浴びて悶絶する闇業者。


「ト、トトトトトケルさん!?」

「おー。ねえちゃん、全部かけてやれ!」


 ばったりと倒れる闇業者ふたり。


「死、死んだ・・・?」

「そんなわけなかろう。さあ、警察呼ぼうか」


 村瀬が警察に電話した。

 面倒だからあとは自分が対応しておくと言い、カタメとトケルに早く行くようにと送り出してくれた。


 トケルとカタメはベスパで峠を超えた麓にある民家を改築した蕎麦屋で新そばをすすっていた。


「トケルさんも無茶なことを・・・」

「だって。村瀬さんによると御神木を切っちゃったら住んでる神さまが怒るんでしょ? そしたらその辺の集落が全滅するぐらいの怒りのパワーだって」

「まあ、そうだよね。そんなことになったら取り返しがつかないよね」

「それにねえ」


 トケルは蕎麦湯をこくこくと飲み干してからカタメに囁いた。


「撃ってみたかったの」


 にこ、とするトケルの表情にカタメはじとりと背中に冷たい汗を滲ませた。

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