TYHOON で ト・ケ・ル
「トケルさん、金槌取って!」
「うん! あ? あらららら?」
「わあっ! 危ない! 俺の頭に!」
「ご、ごめんごめん。風で煽られて」
「ところで鋸は!?」
「飛んでった」
ここはトケルのマンション。
エレベーターが止まった。
階段が浸水した。
玄関のドアに飛んできた陶器のプランターがぶつかって割れた。
「まいったねー。まさか台風がこんなに勢いづくとは」
「カタメくん、ごめんね。わたしが引き止めなければ普通に帰れてたのに」
「いいよいいよ。それにこの暴風雨じゃ帰った後もトケルさんが心配だし」
25年に一度、つまり四半世紀に一度というやけに詳細な設定の凶暴な台風が午後から速度を増し、トケルとカタメの街が暴風域に突入したのだ。
マンション屋上の給水タンクが豪雨で溢れて各階の階段が浸水し、そしてエレベーターは安全のために管理会社が運転をストップした。
なぜこんなことになったかというと。
たまには若者らしくゲームでもしようということで2人でスヌブラをやっていた。が、一向にカタメに勝てないトケルは意外にも負けず嫌いな側面を見せ、カタメに何度も再戦を申し込んだ。
そしてプランターの割れる音でようやく台風の状況に気づけたのだ。
「ちょっとでもおさまらないかな」
「カタメくん、無理じゃない?」
「でも、帰らないと・・・」
「泊まってけば」
「・・・・・・・・・・・・・えっ」
「どうしたの?」
「と、泊まるって・・・つまりそれって」
「? 何かまずい?」
「い、いやいや! あの、俺、男だけど」
「え。そうだよね」
「・・・・・・・・」
「変なの。ねえ、カタメくん、とっておきのアンチョビがあるんだ。パスタでも作ろっか?」
トケルは台風の来襲を見越し食料備蓄は万全だった。冷蔵庫には一週間はやりくりできるだけの食材が保管されている。
「へえ・・・トケルさんは毎日自炊?」
「うーん。週4ぐらいかな。今は夏休みだから時間あるけど前の学校の時はお父さんと2人暮らしでね。結局わたしが調理担当みたいになって学校の課題もやりながらだと大変だったな」
「すごいね。じゃあ大体なんでも作れる?」
「スマホでレシピ見ながらならね。あと、名も無き料理を作るのは得意かな」
「名も無き料理?」
「パスタに筑前煮の残りをかけてカレーパウダーとチーズをまぶしてオーブンで焼いたりとか」
カタメは一応母親にLINEを入れておいた。
カタメ:トケルさんちに泊まる
母 :頑張るのよっ!(o^^o)
「どういう親だ・・・」
アンチョビソースで和えたパスタと冷蔵庫に残っていた煮豆にホールトマトとソーセージを混ぜて即席のスープも2人で作った。
そしてテーブルに向かい合うのではなく、隣同士に並んで食べようとトケルが提案した。
「なんで?」
「『家族ゲーム』っていう映画がずっと昔にあってね。家族全員が長いテーブルに横一列に並んで晩御飯を食べるの。それがなんだかかっこよくて」
なにも今やらなくていいのにとカタメは思ったが、隣同士で食べるのは意外といいシチュエーションだった。
トケルの横顔が、とても可憐なのだ。
鼻のライン、顎のライン。
それからほんの少しだけ人よりも長い首筋。
それから話しかける時に一回一回首を傾けてトケルが顔の正面を笑顔で見せてくれるのが、なんだかとてつもない幸せのようにカタメは思えた。
「カタメくん、おいしいね」
「自画自賛?」
「そうだよ。そんなの当たり前! 褒めれば褒めるほど料理はおいしくなる!」
食事の後片付けを終え、順番にお風呂に入ってそろそろ寝る準備を始める頃になった。
もともとトケルが家族と暮らしていたマンションなので部屋は別れて用意できる。カタメは空いている部屋を借りようと思っていたところ、トケルがこんな言葉を言った。
「抱きたい?」
「・・・・・・・・え?」
「抱きたいでしょ?」
「えっ。いや。ええと」
トケルの思いもかけない問いの答えをカタメは思考をフル回転させて考えた。
本能と理性と相談しながら。
行為のことだけでなく、これからのトケルとの関係性も含め、あり得ない集中力で深く深く、思考した。
もう一度トケルが訊いてきた。
「別に必要ない?」
「だ・・・抱きたい・・・です」
「そうだよね。はい」
トケルはカタメにそれを手渡した。
「・・・なにこれ」
「ペンギンだけど」
中ぐらいの長さの、抱きマクラ。
「ほら今流行りの冷んやり素材だからさ。よく眠れるよー。わたしはイルカ」
トケルはやっぱり同じタイプの、つぶらな目のイルカの抱きマクラを、ぽふっ、と抱きしめてニコニコしていた。
台風情報をチェックした後で別々の部屋で別々の抱きマクラを抱えながら別々に眠るふたり。
・・・・・・・・
「カタメくんカタメくん」
「あ。トケルさん・・・えっ!? ふ、服は?」
「蒸し暑いから抜いじゃった」
「は、早く着なよ。むむむ向こう向いてるから・・・」
「カタメくんも脱いだら?」
「え・・・」
「涼しーよ♡」
・・・・・・・・
「カタメくん! カタメくん!」
「うー、トケルさん、うなじが綺麗だね・・・」
「カタメくん? 夢遊病?」
「うわ! ご、ごめん! 寝ぼけてた!」
「ねえ、風がものすごいんだけど」
トケルが言ったとおり風圧だけでガラスが割れそうなほどの暴風だった。
トケルがあまりにも気軽な感じで言った。
「もしこの台風で街が全滅しちゃってわたしとカタメくんの2人きりになったらどうする?」
「え・・・」
そんなことあり得ないと思いながら、そういう終末の風景に期待していることをカタメは自覚していた。カタメは本当に他意なく本音をつぶやいた。
「ふたりで家族作っていくしかないよね」
「わ」
トケルが動きを止めた。
そして大きな声で言い放った。
「いいね! カタメくん! じゃあ、子供何人欲しい?」
「え・・・・さ、3人・・・」
「わ。リアル! じゃあコンビニは? 要る? 要らない?」
「え・・・要る、かな・・・」
「うん。じゃあ病院は?」
「要る、よね。多分」
「消防署は?」
「そりゃあ、火事になったら困るから要るね」
「警察は?」
「うーん。要らない、かな」
「どうして?」
「だってトケルさんと俺の2人きりなら犯罪なんか起きないでしょ」
「えー。わかんないよ?」
「えっ?」
「カタメくんに多額の保険金をかけて殺害、とか」
「じゃあ保険会社も要るじゃない」
カタメはようやく気付いた。
風で振動する壁に体育すわりで寄りかかるトケルの、パジャマ代わりのショートパンツから伸びた真っ直ぐに近い曲線のふくらはぎが小刻みに震えているのに。
怖いのだ。
風が。
たわいない、けれども少し踏み込んだ感じの男女の軽いトークを振り向けてくるのは、風や暗闇やお化けを怖がる普通の女の子としてのトケルなのだと。
カタメはかなり躊躇したが思い切って言ってみた。
「トケルさん。もし落ち着かないのなら、俺にくっついてもいいよ」
トケルは唇を少し開いたなんだかぼーっとした表情でしばらくカタメを見つめ、それから、つつつ、とカタメが壁に寄りかかっているその隣に来て、体育すわりをしなおした。
ぴとっ、とカタメの左隣に座る。
右肩と二の腕と太ももとふくらはぎと、それから足をカタメの左側にくっつけて。
「カタメくん」
「は、はい」
「イルカさんより落ち着くかも」
これで何も起こらないのがカタメとトケルという2人だった。
「うわー! 台風いっか!」
「トケルさん、台風に『いいね』してどうするの」
「台風一過!」
一夜開けた街は飛ばされてきたマフィア映画の看板や招き猫・信楽焼のタヌキ等で雑然とはしているけれども、空はスコーンとした青空で雲も夏の雲で、朝から既に暑かった。
そういうことのないまるで単なるコメディみたいな夜だったとしても、カタメはトケルのココロに数センチ入り込んだ気持ちになっていた。
決して何もない一夜ではなかった。
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