カフェでトケル
一応自分たちが高校生であるということを忘れているわけではない。
夏休みの午後。
涼しい喫茶店で勉強でもしようかというどちらからともない提案でトケルとカタメは集合していた。
「トケルさん・・・暑いよね」
「うん。暑いね」
「もう一回頼んでみようか?」
「うん」
すみませーん、とカタメがマスターに声をかける。
「あの・・・1℃だけでも下げていただけませんか?」
「すみませんね。あちらのお客様、エアコンが苦手だそうでして。お年を召しておられるものですから」
日差しが差し込む窓際の席で合コンのような雰囲気で集っている男女グループの年齢をカタメは推定してみたが見た目からは不詳という結果しか出せなかった。
トケルが気休めにスマホのアプリを確認する。
「35℃」
「うえっ」
実はさっきまではもっとお客がいた。かなり強行にクレームするひともいたのだが実年齢不詳グループが、
「うん?僕らだってお金は払ってるんだよ? それに体調に気を使わなくてはいけない側に合わせるのが当然だろう?」
それを言われてしまうとどの理屈もかないっこないのでアイスコーヒーを飲み終わらない内に大半の客が早々に店を出て行った。
「ほほ。この方がお店の回転も早くていいでしょ?」
女子も女子とてマスターに無理矢理な相槌を求めている。
「我慢大会だね」
「トケルさん、ごめんね。俺が知ってる店っていったらここぐらいしかなくって」
「ううん。とてもいいお店だよ? わたし気に入ったな。暑い以外は」
「ごめん」
ノートに腕の汗を滲ませるような状態で問題そのものというよりは体温と闘っているような感覚になりかけていた時、
「どうぞ」
とマスターがガラスの器を2つ、トケルとカタメの前に置いた。カタメがマスターに問いかける。
「えと。かき氷なんて頼んでませんよ?」
「サービスです。お嫌でなければどうぞ召し上がってください」
「わ。いいんですか? ありがとうございますー」
トケルがぱあっ、と女子高生の顔になってかき氷の解説を始める。
「カタメくん、見て見てこの高さ! まるでタワーみたいに盛り上げたふわふわの氷の上にまずは抹茶! これはきっとほんとの抹茶の粉を使ってるよ? んで、マスターが煮解いてくださった和三盆のシロップ! これを自分でかけるっていうのがいかにも純喫茶店のかき氷らしいよね。氷の脇にはバニラアイス。うわ〜密度濃そう〜。そして再度氷の頂上に目を戻すと削ったチョコがまぶしてある。この意外性の組み合わせがマスターのセンスの良さだよねー。じゃ、カタメくん、いただきましょ♡」
ふたりがスプーンで食べようとすると老成合コンテーブルから鋭い声が上がった。
「おいおいマスター!」
「はい」
マスターが男性に呼ばわれて席に駆けつける。
「かき氷なんてメニューにないだろうが」
「はい。あちらのお若いお二方、少し暑そうにしておられたものですから、たまたま私用のかき氷の機械がありましたので」
「差別するのか、客を」
「え? そんなつもりは・・・」
女性も口をそろえる。
「差別はよくないわよねー。わたしたちにもくださいな」
「いえ・・・ウチも商売ですので・・・」
「ほう? 商売なんだったらあの子らからかき氷のカネを取るべきじゃないのかい?」
男性がそう言うのを聞いてトケルは氷をつつこうとしていたスプーンを引っ込め、俯いてモジモジし始めた。
カタメは、すっ、と立ってマスターの隣に歩み寄る。
「いいですよ、マスター。値段をつけてください。お支払いしますから」
そう言ってカタメはトケルの方も振り返る。
「トケルさんの分は僕が払うよ。不快な思いをさせて申し訳なかったね」
「ちょっと君。不快って誰のことかね?」
そう男性が語気を荒げたところで、カラン、とドアベルが鳴ってお客が入ってきた。
フードをかけたベビーカーを押す若い母親だった。
入った瞬間、『あら?』という顔をする。空気のぬるさにすぐに気づいたようだ。戸惑った様子だったが一番近いテーブルに腰掛けて横にベビーカーを止めた。
賢い母親だった。
瞬時に場の状況を把握したようだ。
マスターが慌ててお冷やを持って注文を取りに行く。
「いらっしゃいませ」
「すみません。
「それは大変でしたね。今お持ちいたします」
母親がベビーカーのフードを開ける。
男の子のようだ。
生後半年も経っているだろうか、夏の涼しげな白いベビー服に、可愛らしい小さな手足をうねるようにしながらそれでもまだなんとか眠りについているようだ。
ただ、汗がじっとりと滑らかな肌に浮かんでいた。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
マスターは団扇だけでなく、冷たく絞ったガーゼタオルも持って来ていた。
にっこりと母親は笑いタオルで赤ん坊の肌をぽんぽんとはたくように拭き、それから団扇でゆっくりとあおいだ。
「かわいそうに。あれじゃあ温風を送ってるようなもんだ」
カタメがそう言うと老女子が世間知らずとでも若い者たちを罵るように言った。
「ふん。昔はあんなまだ首のすわらない赤ん坊を外に連れ出すなんて考えもつかなかったわ」
女子の声にそれでも母親はにっこりと答えた。
「そうですね。今日は3ヶ月検診だったものですから。首が座らないので車の運転も無理でバスで行ってきました」
「ふ、ふん! お姑と一緒に暮らしてれば抱いて車に乗ってもらえるものを!」
「そうですね。同居してるんですけどわたしが病院に行く間、上の子を見てもらっているものですから。上もまだ3歳ですので」
赤ん坊がむずかり出した。
さすがに背中に熱を持って暑いようだ。オレンジジュースを飲みかけの母親が抱き上げて赤ん坊の背中をトントンしてやる。だが店内全体が暑いのだ。赤ん坊は辛そうに手足をぐるぐると動かす。かといって炎天下をまた歩いて別の店を探すということもできないだろう。
トケルが母親の隣に立った。
「あの、ジュース飲んでください。わたしが抱っこしますので」
「あら・・・いいんですか?」
「はい。将来の練習です」
そう言いながら母親から赤ん坊を受け取るトケルを見て、自分との『将来』などという暗喩があろうはずもないのにカタメはドキドキした。
トケルの抱き方はとても要領を得ていた。母親が褒める。
「わあ。上手ですね? 身近に小さな子が?」
「はい。マンションの管理人さんのお孫さんがまだ半年の赤ちゃんで。時々抱っこさせてもらってます」
そうなのか、とカタメは新たなトケルの情報になんだか嬉しくなる。
そしてトケルはほんの軽く、赤ん坊の頰に触れるか触れないかのタッチでキスをした。
そして誰にも聞こえないようにつぶやいた。
「溶けて・・・」
母親が軽く驚く。
「あら? あんなにむずかってたのに、涼しい顔して寝ちゃったわ?」
「ふ、ふ。赤ちゃんはまだ穢れがなくて心も涼しいからでしょうね」
ずっとトケルの立ち居振る舞いを見ていた老男子女子たちがテーブルをこそこそと立ち上がった。
「マスター、お会計お願いします・・・」
「はい。ありがとうございました。またお越しください」
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