トケルがピンチ?(ピンチがトケル?)

 人生で本当にピンチと呼ぶべき状況というのは実はそれほど多くはない。大半が『お前はダメな奴なんだ!』とどこかの誰かが根拠もなく不安にさせたり、『うえーい、 いじめてやる!』などといじめる側の一方的な行為のそれであって、そういう場合は誹謗中傷したりいじめたりする輩たちに対し、


「くだらんこと言うな! するな!」


 と良識ある大人たちが一喝すれば消し去るはずのものを誰もしないのでその状態が続いているということだろう。


 けれども今日のトケルのそれは人為的なものではなく、まさしくピンチだった。


トケル:え? クマ!?


 カタメに届いたそのLINEを最後にトケルからの連絡が途絶えた。


 そもそもは今朝、トケルからカタメに電話でお誘いがあったのだ。


『カタメくん。ベスパでツーリング行かない?』

『え? これから?』

『そう。県境の峠にあるお茶屋さんまで。水まんじゅうなんてどう?』

『あー。あの林道の頂上にある茶屋だね。ごめん。行きたいけど今日は塾で模試を受ける日なんだ。明日じゃダメ?』

『明日からしばらく雨みたいだから。じゃ、ひとりで行ってくるね』

『うん。俺も残念だけど。あ、最近あの辺でクマの目撃情報あるから気をつけてね』

『はーい、了解でーす』


 LINEが届いてから何度電話しても電源が入っていない状態で繋がらない。カタメは母親に話してすぐに警察に通報した。


「スクーターだから音も出てるしクマの方がびっくりして避けていくだろうと思ってたのに・・・無理にでも止めるか模試をサボって一緒に行ってれば・・・」


 カタメは目を閉じて何度も悔やんでいたが警察のひとたちは冷静に状況を教えてくれた。


「今警察と地元の猟友会の方と20人体制で山を捜索中です。茶屋には溶解ようかいさんと思われるお客は午前中に来たようですがそれからもう3時間ほど経過しています」

「あの、俺も行っていいですか?」

「ダメです。一般の方を捜索に加える訳にはいきません。お気持ちは察しますがご自宅で待機してください」


 警察のひとは当然他意なくそう言ったのだが、『一般人』と括られたカタメは自分はトケルのために今まで何をしてあげられたのかと情けない思いになってリビングで俯いていた。


「カタメ。溶解さんなら大丈夫よ。しっかりした感じだからきっと何か別のトラブルでまさかクマに襲われたりなんか・・・」

「母さん、いい加減なこと言わないでよ! だってLINEで『クマ!?』って言ってんだよ!」

「カタメ・・・」

「ああ、こんなことなら雰囲気で溶かされたりせずに強引にでも告白しておくんだった」

「やっぱりアンタ・・・」


 カタメと母親が沈み込んでいるとインターフォンが鳴った。

 警察のひとかしらと母親がモニターを覗いて大きな声を出した。


「よ、溶解さん!?」

「えっ!?」


 母親の声を聞いて玄関にダッシュするカタメ。転びそうになりながら着くとそこに立っていたのは間違いなくトケルだった。

 トケルが何か口を開きかけたけれどもカタメはそのまま走り込んで、トケルを力一杯抱きしめた。


「トケルさんトケルさん!!」

「ちょっとちょっとカタメくん!?」


 生きて帰って来れてトケル自身が感激で泣き出すのではないかと思っていたカタメは意外と冷静なトケルにやや違和感を覚えるけれどもトケルと再び会えた喜びの方が大きい。より一層抱きしめる腕に力を込めた。


「カタメくん痛いし、その・・・すごく恥ずかしい・・・」


 言われて、どういう状況であろうと夏の薄着の女の子の肌を抱きしめていたことへの無礼にカタメは気づいてはっ、とトケルから体を離す。


「カタメくん、どうしたの? これってどういうリアクション?」

「え、だってLINEで『クマ!?』って・・・」

「そうそう! スマホの電池切れちゃって画像の送信できなかったけど、ほら、これ!」


 トケルは撮影用に持っていっていたらしいデジタルカメラのモニターをカタメに見せる。


「ほら、見て! クマゼミ! まさかこんな地方にいるなんてわたしも思わないからさー、興奮しちゃって!」


 トケルが見せたのは木に止まっているセミの写真だった。カタメが静かに告げる。


「ちがう」

「え」


 ふたりの間に、取り返しのつかないような空気が流れた。


「なにがちがうの」

「それはクマゼミじゃない。ただのでっかいアブラゼミ」


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