海と雲とアイスとトケル

「えへへ。来ちゃった」


 カタメがドアを開けると本当にトケルが立っていた。例によって突然LINEで連絡が入りいきなりカタメの自宅までやってきたトケル。


「いつもカタメくんにお世話になってます」


 そう言って玄関で腰をきちんと折り曲げて挨拶するトケルにカタメの母親も好印象を持った。


「あらあら。溶解ようかいさん。こちらこそカタメがいつもお世話になってますー」

「母さん、いいからもう奥に行っててよ」

「なによ。いいじゃない。今日は2人でどこか行くの?」

「はい。カタメくんをお誘いしにきました。ねえ、カタメくん」

「は、はい」

「海、行かない?」


 カタメの母親はよく心得たもので息子には1%でも結婚の確率がある女子を早々に確保しておきたかった。なので息子の恋路には極めて協力的に振る舞った。


「あらー。ちょうど紅茶を淹れたのよー。アイスティーにして保冷ボトルに入れてあげるから持って行きなさいな」

「わ。お母さん、ありがとうございますー」

「あらやだ。『お母さん』だなんて。ほらカタメ。頑張るのよ」

「うっさいなー」

「ん? なにを頑張るの? カタメくん泳ぐの苦手?」


 トケルの天然応答はそれとして2人は水色ベスパで海に向かった。海沿いの道路をトケルがハンドルを握りカタメがバックシートでまたもトケルのなびく髪の香りにドキドキしている。


「カタメくん。どこの浜に行く?」

「うーん。サファイア海岸かな」

「わ。そんなお洒落な海水浴場があるんだ」

「いや。海の家の名前をつけただけだよ」


 海の家『サファイア』は名前に合致せず、イカ焼きそばの美味しい店だった。

 着いたのは朝の9:00だったので焼きそばはお昼の楽しみとして2人は海の家の更衣室で水着に着替えた。


「おまたせー」


 トケルの水着は夏のフルーツがプリントされたワンピースだった。シルエットは落ち着いたデザインだし露出もそんなに多くはないので目のやり場に困るというほどではなかったが、布地のベースが白なのでとても眩しいという印象をカタメは受けた。そして紺のパレオを巻いていたのでいたずらに視線を下に向けることもなくカタメは少しだけほっとしていた。


 ただ、そもそも好きな女の子の初めて見る水着姿だ。

 決して高くはない身長の、けれどもトケルの伸びた四肢や身体のパーツはサイズのバランスがきちんと取れているので実際よりも背が高く見える。

 カタメのナチュラル・ラップが披露された。


「トケトケトケトケルさん。おおおおお沖まで泳いでみよっか」

「うーん。それよりもあそこはどう?」


 トケルが指差したのは砂浜脇の内港と外港の境目にある防波堤だった。そしてその先には小さな灯台がある。


「OK? じゃ、行こっ」


 トケルはカタメの手を握って歩き出した。どうやらトケルは他人や物体を『溶かす』時になんらかのスキンシップや接触をすることから男子と手を繋ぐことに対しては抵抗感を持っていないようだ。

 自分以外の男子の手を握ることにも抵抗ないんだろうかとカタメは少しだけ胸がちくちくした。


「わあ。結構高いねー」

「うん。ほんとだ」


 ふたりはテトラポットを伝って防波堤にたどり着いた。上から海面を見ると横から見ていた以上に高さが感じられ、5mぐらいはあると思われる。


「ふうむ。灯台はごく機能的なやつだね」

「トケルさん。灯台が好きなの?」

「中学生の時に住んでた街の山の上に灯台があって。その山から見下ろした海がとっても綺麗だったんだ」

「ふーん。どう? この防波堤から見下ろす海は」

「・・・山の上の方が高いんだけど、今はこの高さがリアル過ぎてちょっとクラクラするかな」

「ふーん。怖いんだ?」

「なっ・・・わたしはこれぐらいの高さ、へーきだよ」

「どうかな・・・トケルさん、強がってるんじゃないの?」

「そ、そういうカタメくんこそ、やっぱり泳げないんじゃないの?」

「失礼な! 俺は泳ぎは得意だよ!なんなら飛び込んで泳いでみようか?」

「わっ。危ないよ、カタメくん」


 カタメは飛び込むつもりはなかった。助走して飛び込む真似をするだけのつもりだった。ただ、その時に突風が吹いた。


「わわ・・・」

「カタメくん!」


 ドボォっ!


 カタメが崩れたバランスでお尻から落ちていく様子は本当にスローモーションのようだとトケルは思わず見とれていた。ただ、大きな音と水しぶきを上げて落ちた後、カタメが30秒近く浮上して来ないのでトケルは意を決した。


 防波堤の狭いコンクリートの上を目一杯ギリギリまで助走する。


「たあ!」


 カタメの着水地点と交錯しないように思い切り遠くまで飛んだ。


 シュパッ!


 一応女の子の着水なのでおまけして可憐な感じの擬音での表現となった。

 それで水深が浅い可能性もあるので足から入水した瞬間、膝を抱えるように折りたたんだ。それでも海底の砂につま先が軽く触れる感覚があった。


『カタメくんは・・・?』


 水中でくるんと後ろを振り返るとカタメが見つかった。

 トケルの目に入ってきたのは、カタメのお尻。

 お尻から着水したせいでカタメの水着はお尻や・・・その前の辺り・・・などに食い込んで水着の布がお尻の間にくるんと巻き込まれていてお相撲取りのマワシのような状態になっていた。水着の端を持ってカタメが直そうと足掻いていた。


『プハハハハ!』


 トケルはその様子を見て思わず水中で爆笑してしまい、ゴボゴボと口の中の空気を全部吐き出してしまった。


「わっ! 空気空気!」


 大慌てで水を掻き海上に浮上する。

 カタメもようやく水着が直せたので後を追って浮上した。


「ぷはっ!」


 2人して顔を出した瞬間に呼吸を何度もする。


「カ、カタメくん! パ、パンツがっ・・・!」


 そう言ってまた笑い出すトケル。カタメは不満そうにトケルに抗議する。


「トケルさん、そんなに笑わないでよ。海水いっぱい飲んじゃったよ」

「大丈夫?」

「しょっぱくて、喉が焼けそうだ」


 カタメの不平を聞きながらトケルは顔を水平線の方に向けた。


「カ、カタメくん。あれ!」


 カタメもトケルの視線の先を見る。


「タンカーだ!」


 タンカーが一隻、防波堤の横まで航行してきていた。小型の内航タンカーだが、隣にある石油備蓄施設のタンクに恐らくは積んできた灯油かなにかの石油製品を荷揚げするために防波堤内のトケルとカタメがいる場所まで入ってきて岸壁に横着ける段取りのようだ。


「に、逃げよう! トケルさん!」

「うん!」


 ゆっくりのように見えて意外とタンカーはスピードがあった。まごまごしているとタンカーの起こす波でテトラポットなんかに自分たちが打ち付けられる危険がある。


 トケルはまっすぐな綺麗なフォームで華麗にクロールで砂浜を目指した。

 だがカタメはずっと平泳ぎのままだ。


「カタメくん! 速く泳がないと船が来ちゃうよ!」

「俺、平泳ぎしかできないんだ!」

「うーん、もう! カタメくん! わたしの足首、握って!」

「え、ええっ!?」

「左足首、握って! わたしが両腕と右足でクロールで全力出すから、カタメくんは右手と両足・全力平泳ぎ!」

「で、でもっ・・・」

「いいからやるの!」


 カタメは小声で失礼します、と無意味なつぶやきをしてトケルの左足首を握った。


『ほ、細っ!』


 トケルの足首はきゅっと握ってもカタメの手のひらがまだ余るぐらいの細さだった。極めてスリムで柔らかいだけでなく、何か足首の筋肉の細やかな動きを感じる度にカタメの鼓動がどんどん速くなった。


 そして泳ぎ始めると目の前に見えるその光景にカタメはどうすればいいか分からなくなった。


 水面近いカタメの視線の先には、ポニーテールのうなじからそれに続くゆるやかな背中の曲線、細い腰、きゅんと締まったお尻、そこから伸びる直線に近い淡い曲線を描くスリムな太腿からふくらはぎ、今掴んでいる足首はもちろんのこと、滑らかな足の裏、それから形のよい足の指。


 ついでにワンピースの水着の足の付け根あたりの、見てはいけない空間。


 カタメは決してよこしまな気持ちが勝つ訳ではなくなんとか目を逸らそうと努力していたのだがトケルは視線を感じたのだろう。


「カタメくんのエッチ! 全速前進!」


 トケルが掛け声をかけると2人は互いのエンジンをフルスロットルにして、死に物狂いで泳ぎ続けた。


「あー、死ぬかと思ったー」

「ふふ。でも楽しかった」


 2人はまるでオリンピックの選考レースを終えた選手のように髪もびしょ濡れの荒い息遣いで砂浜を歩き・・・多分トケルの容姿も相まって・・・注目の的になっていた。


 カタメが海水を飲んで喉が焼けるようなのでまずはソフトクリームを食べようと、トケルが買いに行ってくれている。

 待っている間カタメは濃紺の水平線の上に広がる青空と、もくもくと浮かぶ入道雲を見上げて感慨にふけった。


『ほんとに一緒に海だもんな』


 トケルが転校してきてから1ヶ月も経たない。なのにこうして好きな女の子と一緒に海にいる。当然ながら水着で。


「カタメくん」


 トケルに呼びかけられて何の気なしに振り返る。


「えい」


 注釈もなにもなくトケルがカタメの口にソフトクリームを突っ込んだ。


「むぐ」

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