侯爵令嬢アリアが殺したもの

双樹 沙羅

侯爵令嬢アリアが殺したもの

 少しばかり体の弱いわたくしは、日課としてお庭を歩きます。幼い頃からの日課は、わたくしの体を随分と強くしてくれて、最近では滅多に風邪もひかなくなりました。

 そろそろ戻ろうかと思った時、足音が近付いてきたので少しわたくしは驚きました。ここは邸の奥まった場所にあるお庭で、お客様がご案内されることはありません。使用人たちも、わたくしの日課の間は近付きませんし……。

 何かあってメイドが呼びに来たのでしょうか。

「あ」

 木の陰から現れた方は、わたくしを見て声を出されました。

 どなたでしょう……焦げ茶色の髪と濃い緑の瞳。お召し物は上質に見えますが……この国の上流階級には、銀髪に薄水色の瞳のわたくしのように色素の薄い者が多いですから、珍しいと言えば珍しい色彩の方です。

「申し訳ございません、この邸のお嬢様でしょうか」

「はい」

 舞踏会に出るような物ではないとはいえ、きちんとしたドレスを着ていますから、わたくしが「メイドです」と嘘をついてもすぐにばれてしまうでしょうし、嘘をつく必要もないので素直に認めました。

「私はウィウォルフと申します。お招きいただいたのですが……案内係の方とはぐれてしまいまして」

「アリアと申します。それは、当家の使用人が失礼を致しました。わたくしでよろしければ、ご案内致します」

「ありがとうございます、アリア様」

 ウィウォルフ様がにっこりと笑われました。


 とくん。


 あら、どうしたのでしょう。なんだか、胸の辺りが少し温かくて、少し苦しい。

 心臓の病はないはずなのだけれど。

 それにしても、ウィウォルフ様……どこかでお聞きした名前の気がします。

 お姉様か、わたくしの婚約者候補でしょうか、それとも夜会で噂話でも聞いたのでしょうか。

 我がレクストン侯爵家はお姉様とわたくししか子供がおりませんので、お父様の次はお姉様が女侯爵となられます。勿論、お姉様の次の代も必要ですから、他家からお婿様を取ることになります。念の為に、わたくしも他家には嫁がずに、お婿様をお迎えしてレクストン侯爵家の血を残すことになっています。

 ですから、何人かの方にお会いしたり、恋文や肖像画を頂いたりしております。

 でも、その方々とウィウォルフ様は、大きく違っていました。髪や目の色だけではありません。わたくしと結婚して、レクストンの財や地位を手に入れようとする人たちの、わたくしを値踏みするような目とは、全然違います。明るい表情と、澄んだ目。元からなのか日に焼けているのか、今までお会いした方々よりも色の濃い肌も何だか健康的で素敵に思えます。


 ……素敵?


 わたくし、今までに男の方を素敵と思ったことがあったでしょうか?

 もしかして、これが話に聞く『初恋』というものなのでしょうか?

 もうすぐ邸の玄関につこうかという場所で、向こうから誰かが走ってきました。

 わたくしと同じ銀髪を肩の辺りで切り揃え、わたくしより少しだけ色の濃い水色の瞳のその女性は、わたくしのお姉様。動きやすいからと、公式の場以外では男性の衣装のお姉様は、今日は綺麗なドレス姿。でもきっと、スカートに隠れて見えない靴は踵の低い物でしょう。お姉様は背が高くていらっしゃるから、わたくしのように踵の高い靴を履かなくてもスラリとお美しいのです。

「ウィウォルフ、何処に行っていた?」

 ウィウォルフ様をお招きしたのは、お姉様なのでしょうか。てっきり、お父様だと思っていました。

「お姉様、案内係からはぐれてしまわれたそうです。ウィウォルフ様は、悪くありませんわ」

「そう。でも、ちょうど良い。大切なアリアには、お父様からではなく、私から知らせたかったからな」

 お姉様は男性のような言葉を使われます。王立学校に通っていた間に、周りに男性が多かったので移ってしまわれたようです。

「アリア、そちらはウィウォルフ殿

 ああ、聞いたことのあるお名前のはずです。この国の、王子殿下なのですから。王位継承権は五位ですけれど、殿下のお母様のご身分が低い――確か流れの歌姫――ので、仮に四位までの方に何かあっても、ウィウォルフ殿下を飛ばして六位の王女殿下に王位が行くと言われています。

 きっと、珍しい濃い色彩は、お母様譲りなのでしょうね……国王陛下は淡い金髪に淡い紫の瞳をしていらっしゃるから。

「そして、婿だ」

「え……?」


 わたくしの初恋は、気づいてすぐに許されない想いになってしまいました。


 三人で客間に移動して、待っていたお父様とお母様に、お姉様は改めてウィウォルフ様をご紹介されました。

 貴族の娘はだいたいはわたくしのように家庭教師を招いて教養を身につけるのですが、お姉様のように将来爵位を継がれる方は、王立学校へ入学されることもあります。将来の人脈を作るとか、家庭教師では教えないような政治について学ぶためとか、人によって理由は違うようですが。

 その王立学校で出会われて、お二人は恋に落ちたのだそうです。

 けれど、いくら王位を継ぐ望みが薄いとはいえ、ウィウォルフ様は殿です。

 お姉様がお嫁にいくのならばともかく、ウィウォルフ様を臣下の婿にするのは国王陛下がなかなかお許しを下さらなかったそうです。そうですわね、レクストン侯爵家を継ぎ、侯爵になるのはあくまでお姉様。いくら夫婦でも、『婿』は『侯爵』の下の身分になります。噂では陛下は他の王子殿下たちよりもウィウォルフ様を可愛がっていらっしゃるそうですから、王族のままでいさせて差し上げたかったのでしょう。

 その陛下から、お許しをもぎ取ったのですから、我が姉ながら凄い方だと思います。

「わたくしに、お義兄にい様が出来ますのね。楽しみですわ」

 わたくしは微笑みます。

「まだ、婚約のお許しが出ただけだ。結婚は当分先だな」

「そうなのですか?」

「王女が臣下に嫁ぐことは珍しくないが、王子が臣下の婿になることは前例がなくてな。王族籍からウィウォルフを抜いてレクストン侯爵の籍に入れれば良いのか、臣籍降下させて新たな貴族籍を作ってから貴族同士の婚姻にするのか。王女が降嫁する時のように持参金を持たせるのか否か。その他にも沢山話し合ってから、だな。早くても一年半……いや二年はかかるだろうな」

 どう考えても『厄介事』を引き起こしているのに、それでも婚約のお許しは出ているのですから、やはり凄いことです。

 それだけ、お二人の愛が強いのでしょう。

「だからアリア、約束を果たしておくれ」

「約束?」

 ウィウォルフ様が興味深そうなお顔をされました。

「はい。セシアお姉様の婚礼のベールは、わたくしが紅薔薇の刺繍をすると幼い頃に約束を致しました」

 他の国では婚礼の衣装は白一色なのだそうですが、この国では花嫁のベールにだけ色を使います。白いベールに、色糸で刺繍をして彩るのです。

 幼い頃の無邪気な約束……少し大きくなってから、貴族の花嫁のベールのサイズを知り、とても一人で刺繍するのは無理だと知ってから、お姉様とわたくしは落ち込みました。

 でも、結婚式まで時間があるのならば、頑張ればわたくし一人でも出来ます。わたくしも結婚相手は探さなければなりませんが、この国の慣習として、お姉様の結婚式が終わるまでは妹のわたくしは結婚しないのですから、多少のお勉強の時間以外は暇になったのですから。

「薔薇の花園のようなベールをお作りしますわ」

 美しいお姉様を、更に美しく飾り立てる最高のベールを作る。それが、わたくしに出来る最大の祝福なのです。



 その夜。

 わたくしは薬師から小さな瓶をもらいました。

 時々、呼吸が苦しい時に飲む薬。

 この薬は、量を間違えると心臓が止まってしまう、とても怖い薬です。

 勿論、薬師が渡してくれた瓶は『薬』を越える量ではなく、一瓶飲み干しても呼吸が楽になるだけです。

 だから、これはただの儀式。

 わたくしの、けじめとでも呼びましょうか。

 わたくしは瓶の中身を飲み干しました。

 この量で心臓は止まりません。ですが、心臓を止める薬を薄めた薬ならば、心臓の一部を止められたのだと、わたくしは勝手に思い込むことにしました。

 そう。

 今、わたくしは心臓の……『心の一部』を殺しました。

 ウィウォルフ様にときめいた心。

 素敵だと思った心。

 わたくしの初恋を殺しました。

 ええ、もう、わたくしは大丈夫。

 わたくしにとって、あの方はでしかありません。

 にこやかに、晴れやかに、わたくしはお二人を祝えます。

 だって、わたくしは

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侯爵令嬢アリアが殺したもの 双樹 沙羅 @sala_f

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