学園生活

3章 1

 目が覚めて秋山玲がまず最初に確認したのは自分がどこにいるかということ。


 水無月留美の夢の世界へとおじゃまをし続ける秋山だが、その夢のなかでどういう状況下に置かれるかの選択肢は秋山にはない。

 前回のように荒れ果てた廃墟の中、身の危険もあるかもしれない。


「ここはどこだろう」

 見回してとりあえず身の危険を感じるような場所ではないことを確認して、落ち着いて今度はじっくりとあたりを見回す。そこは部屋だった。

 白塗りの壁にいま自分が座っているのはベッド。壁に立てかけてある姿鏡と机、それにクローゼットの他はなにもなく殺風景な部屋。

 カーテンを左右に開けると朝日が部屋の中に舞い込んできて、光を手で遮りながら窓の外に目をやると遠くに学校らしき建物が見える。


「なるほど、ここは学校の寮かなにかで」

 学校らしき建物といま自分がお世話になっている建物と、距離を考えても同じ敷地内の寮ではないかと結論付ける。

「寮制の学校、ね」

 自分の置かれている状況を把握して窓から離れる。

「まずは学校に行けばいいのかな?」


 窓の外へ視線をおくりながらクローゼットを開けてパジャマに手をかけて上着を脱いで、下着も脱ごうとして手を止める。

 体感したことのない感触が手のひらにあった。

 柔らかい感触。


「……ん?」

 首を傾げて自分の体を見つめる。周りに気を使いすぎて自分のことから目を離しすぎていた。ちゃんと見れば自分が着ていたパジャマのフリルにも気がついたはずだろうし、あるべきものがない感覚にも気づけたはずだ。

「あ、あれ。これってもしかして……」

 下着もシャツのたぐいではなく、胸部だけを覆うもので色も可愛らしい薄いピンク色。

「あぁ、そういうことですか」


 ほんの一瞬でも叫びたい気持ちを飲み込む。

 ため息を吐いてその格好のままで机まで移動して散乱しているプリント類をガサゴソと摘んでは捨てて、目的のプリントを見つけて書かれていた文字を目で追って、納得した。

「私立グラシア女学校。小中高一環の女子だけの学校。だからボクも」

 またため息。苦笑交じりにプリントを床へ落とした。

「だからボクも女の子というわけですか」


「ごきげんよう」

 本当にこんな挨拶をするんだなと、感心しつつ秋山も

「ごきげんよう」

 頭を軽く下げながら挨拶を返す。


 思った以上に時間がかかってしまったので、本当は走って登校したかったがいまの性別でははしたないと思い、なるべく早歩きで校舎へと向かう。当たり前だが女の子の着替えなど初体験で、いちいち自分の体に赤面してしまっては、落ち着かせるのに時間を要してしまった。さらには制服も手間がかかり、男の子の時はそこまで気にしなかった身だしなみにも時間が取られ、校舎に近づく頃にはそれでもなんとか遅れた分を取り戻せた。


 学校まで行く道ここから自分のクラスへと行く道、それらの記憶は着替えながらだんだんと頭の中に入り込んでいた。

 中等部の校舎の玄関で靴を履き替えて、すれ違う生徒と挨拶を交わしながら階段を一段一段登っていく。

 自分が秋山玲という女の子だった。

 その記憶はすでにインプットされているが違和感は生じてしまう。

 丈の長いスカートなのにスースーするせいか、どうしても階段を登る際には背後が気になってしまい、スカートのおしりの部分を押さえながら2階へと上がっていく。当たり前だが女子中学校なので、廊下や教室には女の子の姿しかない。その事実を押し付けられて何とか鼓動を抑えつつ

「おはよう」

 見慣れているはずの同学年の少女たちに挨拶をしつつ、教室へと向かう。あいているドアから教室へと入り、自分の席は後方の窓際の席。やはりここでも挨拶をかわしつつ席へと向かって行って、一人の少女と目が合った。


「あっ、おはようございます玲さん」

 わざわざ椅子から立ち上がって少女は、秋山へと軽くお辞儀する。

 なんと答えたらいいのか、秋山は悩んだが結局自分の席に手荷物を置いて、彼女の席へと向かう。

「その格好もすごく似合っていますね」

 輝くような笑顔がまぶしくて、なにか文句の一言でも言いたかった気持ちが吹き飛ばされてしまった。

「それを褒め言葉をして受け取っていいか悩むところで」

 そこから小声で

「ボクは本来男の子ですので」

「はい、それはわかっていますよ。男の娘ですよね」

 耳にする分には間違っていないはずなのに、彼女の言葉にどこか違和感を覚えるが決定的な箇所が見つからない。

「でもお世辞じゃなくいまの玲さんは可愛らしい女の子ですよ。

 ちょっと嫉妬してしまうほどに」

 そこまで言われても秋山は苦笑を漏らすことしかできなかった。


「ところで水無月さんは」

「留美です」

「えっ?」

 首を傾げて聞き返す。

「この学園では同級生ならお互いを名前で呼び合うことが義務付けられているって、忘れちゃいましたか?」

「はい?」

 上ずった声を上げながら思い出してみる。

「親しくあること。これがこの学園のモットーなのですよ? そのためにお互いを名前で呼び合うこと。まぁ中には特別な呼び方で呼び合う生徒もいますけど、苗字で呼んでしまうのはNGですので気をつけてください」

「は、はい」

 口元をひきつらせながら頷く玲。

「わかりましたか玲さん」

 強調するようにもう一度。頷く玲にさらにもう一度

「わかりましたか、玲さん」

 ようやくここで彼女の意図することを理解して、しかしそれでも頬を染めて口ごもる。

 玲の葛藤を眺める留美は嬉しそう。

「わ、わかりました……留美さん」

 まるで花が満開に咲き誇ったように留美の顔が明るくなった。

「はい。それでいいんですよ」

 玲の腕を握って上下にブンブンと振る。


「それにしても」

 腕を握ったまま玲の姿を上から下まで眺めて

「さっきも言いましたけどここまで女の子が似合うとは思わなかったですね」

 思いっきりの笑顔。

「もう少し違和感があるんじゃないかって思っていたんですよ、私は。

 でもここまで自然というか……本当は最初から女の子だったんじゃないですか」

 ジッと顔を覗き込む。間近から見つめられて顔を逸らして

「そ、それはないですよ、ボクは正真正銘」

 一応声を小さくして

「男です」

「でもここでは女の子ですからね」


 ダメ押しのような言葉になにも言い返せない。それだけに限らない。なぜか先程から玲は留美の言葉に押される一方。女の子になったり女子中学校にいたり周りは当たり前だけど女の子しかいなかったり、そんな状況に押され気味で弱っているから、というわけでもなかった。それとは別の理由。

 流されるように玲に腕を掴まれたまままだ見つめられたまま、彼女から腕を離して離れていくのをただ見ていた。ぼーっとしていた。そのまま時間だけが過ぎていてもおかしくはなかったが、朝のホームルームが始まろうとして教室内が騒がしくなって、思い出したように玲も自分の席へと戻っていった。少しして女性の先生がはいってきてホームルームが始まる。そこで先生から転校生のお知らせが、あるわけもなく、ごく普通の学園生活が始まっていく。

「あぁそうか」

 授業と授業の間の小休止。玲はポツリと呟いた。


「この世界は壊れていないんだ」

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