2章 3

 どれだけ歩くのか少しだけ不安になりかけた頃、先を歩く一行がようやく足を止めたのがホテルと書かれた建物の前。


「へぇ、しっかり残っている建物もあるんだ」

 偶然見つけた建物がホテルだったのか、それとも複数の人間が寝泊まりできる場所を探していて見つけたのか。建物自体は比較的そのまま立っている地域だったが、その中でも辿りついたホテルは外装はほとんど剥げ落ちているだけで、見た感じ崩壊する恐れはない程度にしか壊れていない。

「ここが私たちの今のアジトです。ここを拠点になんとか生き延びているんです」

「ここだけで?」

 見上げるホテルは大きいが、秋山の記憶の中にある一般的なホテルの大きさだというだけで、どう考えても何百人も滞在できる大きさではない。

「いくつか同じような建物で生き延びている集団があるとは聞いてますけど、そんなには多くないはずですよ。

 さぁ行きましょう」


 ホテルの中に入っていく一行について、二人も建物の中に入っていく。

 中には、帰りを待っていたであろう子供や女性が男性たちの帰りを祝福し、しかし子供は食料のお土産がなかったことに不満を漏らす。

「最近また奴らの行動が活発になってきた気がする」

「それはこちらも思っていた。明日にでも他の連中にも聞いて回ってみるが、嫌な前兆かもしれないぞ」

 ホテルのロビーのイスに座り込んで話しあう男連中。離れた位置で座った水無月のすぐ隣に座った秋山はそっと小声で訊ねる。

「奴らってのは……あの蟻みたいな巨大な昆虫?」

 彼の言葉に彼女は目を見開いて

「アレに……出会ったの?」

 そのリアクションの意味がよくわからないまま「うん」とつぶやくと

「良かった……。殺されないで」

 と物騒な感想を口にする。


「あの虫たちはある日突然あらわれて、人の生活を怯え始めたの。

 あっという間に人は追いやられて、この状況に」

「突然変異とか?」

「さぁ。詳しいことは私にもわからない。それを調べる学者ももういないんですよ」

「そっか……」


 雰囲気的にそれ以上訊ねても答えが帰ってきそうにはなかったので言葉を区切る。ロビーで話し合っていた男性連中は席を立って階段を上がっていく。女性や子供もそれに続く。外も暗くなってきた。もう寝るのだろうと予想して秋山も立ち上がろうとして、ふと気づいた。案内もなにもされなかったが、自分はどこに眠ればいいんだろうと。


 目が覚めて見知らぬ天井が。

 細かいヒビが入った天井。水無月に部屋を案内された際、予想よりは綺麗だったがヒビが入って天井を見つめ、落ちてこないかと心配になったが一度寝てしまえば気にはならない。薄いタオルをはねのけて、決して良くはないが地面よりはいいであろう寝心地のベッドから起き上がる。


 静かだった。窓はあるが板で内側から打ち付けてあって外の様子は分からない。日が昇っているのは確かだろうと、部屋のドアを開けて廊下へと出る。部屋を出ても建物全体が静寂に包まれていて、それは一階のロビーまで降りてきても変わらない。まるで昨日出会ったすべての人が幻だったかのように、静けさがすべてを占拠していた。

 太陽が上がり始めた頃だとホテルを出て空を見上げて気がつく。まだ暗いが明るくなりはじめの頃、ふと、彼はホテルを出て歩き出した。行く宛はない。そもそも遠出するつもりもなかった。少しだけのつもりで足が前へ前へと進む。もしかしたらこの世界の、この廃墟の町並みを見て回りたかったのかもしれない。


 今は廃墟になっていてもここは人があふれた日本の首都。

「でも、その首都を廃墟にって考える人って、あまりいないんじゃないかな」

 廃墟のビルを見上げながら進む秋山。

「みんな、今を生きているからね。今じゃない未来でもないもっとその先を、こんなふうに考えちゃうのは、違うよね」

 人の声、それも悲鳴が聞こえてきて足を止める。


 即座に何処かに身を隠しながら悲鳴が聞こえてきた方角へと足を進める。やがて聞こえてくる複数の人の声、それと金切り声。あの巨大なアリのような虫と人が同じ場所にいる。少しだけ引き返しそうになって、やっぱり帰ろうと決意した時には遅かった。痛みからくる悲鳴に視界からくる精神的な衝撃。負の感情が交じり合った場所に秋山は出会ってしまった。人の命がいとも簡単に奪われていく。まるで路傍に転がる小石のように、人の体が転がっている。ここから早く逃げるんだと体の全細胞が叫んでいるのに、それを確かに耳に入れているのに、秋山が実際に動き出したのはさらに5人ほど人が転がった頃だった。

 背中を向けて気づかれないように慎重に歩き出す秋山の背後で増援だろうか、複数の雄叫びと銃声が響き渡った。

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