1章 6

 活気づく日曜日。人のあふれる校舎。彩られた校門。学園祭が始まった。


 本日はもちろん学生だけでなく、いろんな人が中学校へとやってきている。懐かしの母校を楽しむものもいれば、生徒の親が息子あるいは娘の活躍を見に訪れたり、お祭りの騒ぎを聞いてやってきた人もいる。校庭では運動部の出し物が行われて、校舎に入れば各クラスの出し物が各教室で開かれていた。制服私服が行き交う廊下を神無月は相良と一緒に歩いていた。


 クラスの喫茶店は午前午後でローテーションを決めていて、二人は午前中は自由行動を割り当てられていた。

「どこもいろいろ凝ったことしてんのねー」


 占いの館やお化け屋敷など、定番の出し物からこの町の歴史をパネルにまとめた教室や、クラスの全員で練習した飴細工を飾っている教室など、個性にあふれた教室が並んでいた。


「私たちもお店の内容、もっと変わったものにしたほうが良かったかな? こうやって見て回っていると、負けている感じがするよ」

 たったいま廊下ですれ違った、お化け屋敷のお化けの仮装をして歩きまわりつつ、お化け屋敷の宣伝のプラカードを下げた傘お化けを振り返る。

 なかなか本格的な仮装のため、すれ違った人たちはみな振り返ってじっと見つめていた。


「じゃあ今から教室戻って、エプロンつけて歩きまわる?

 あっ、今のみたいに宣伝用のプラカードは必要だよね。っと」

 前方から幼稚園くらいの男の子が走ってきたので、直線コースだった神無月の手を引っ張って引き寄せる。

「ん、ありがとう」

 背丈の差から見上げる形で相良にお礼を言う。

「いっそのことこのまま手をつないで周る?」

「それはさすがに恥ずかしいよ」

「いいじゃんいいじゃん」

 笑顔で言うが、神無月の恥ずかしそうな様子に強要はしない。手を離して

「そうだ。体育館行ってみない? 確かなんとかってお笑いの人が来ているんだよね?」

「なんとかって……。名前覚えていないの? えっと……」

 そう言っておきながら神無月自身、固有名詞が出てこない。

「確かパンフに」

 制服のポケットに折ってしまってあったパンフレットを取り出して開いてみる。

「あったあった、この人たちだ」

 場所ごとに分かれて書かれている一覧表の体育館のプログラムに書かれていた名前は

「理恵子……この人たち知ってる?」

「ううん」

 名前からお笑いトリオであることは分かったが、コンビ名に2人共見覚えはなかった。


「……どうする? いまから行けば間に合うけど、行ってみる?」

 問いかけからしてあまり乗り気ではない。問われた相良も眉間にシワを寄せて

「体育館って寒いんだよねー」

「うん、たしかに寒いよね」

「午後のバンドの人たちのなら見ているうちにこっちも熱くなりそうだけど、その……なんだろう」

 横から神無月のパンフを眺めて

「面白いのかな、この人たちのコントって」

 彼女の言葉の裏の意味に気がついて、そっとパンフレットを折りたたんでしまった。

「どうしよっか」

 降り出し戻る。しかし廊下で立ち止まることもできないので、2人共行き先が決まらないまま歩きまわり続ける。上級生のクラスを見て回って下級生のクラスを見てそれから一旦校庭へと出て、運動部の派手な動きを目に焼き付けてから結局体育館へと足を運んだ。

 そして体育館をあとにした。


「う~~~ん」

 渋い顔の相良。

「留美の笑いのツボがあたしにはわかりません」

「えー、な、なんで?」

 必死に笑い声を抑えていた親友の非難の声にも首を振る。

「面白かったよあの人たち。他の人も笑っていたよ?」

「あれはね、乾いた笑いっていうんだよ。それでその乾いた笑いってのは面白いから漏れるものじゃないのよ。なんていうか、呆れからくるものなの。面白くなかったし」

 きっぱりと言い放った。

「なんていうのかな。ひとりよがりなお笑いっていうのかな。自分たちはお笑いをしているつもりなのかもしれないけど、それが観客に伝わってこないんだよねー。それに」

 さらに言葉を続けようとして、隣に立つ少女の表情が曇りだしていることに気がついて、口を閉じた。ほんのちょっとの無音。先に口を開けたのは沈黙に耐えられなくなった相良。

「でも伸びしろはあるんじゃないかな?

 だってまだ出たばっかりの新人さんなんでしょ?

 だったら期待はしていいと思うよ」

 ほんのちょっとだけ明るくなった神無月の顔にほっと胸を撫で下ろす。

「さて、そろそろ教室戻ったほうがいいかな。いろいろ準備も必要だし」

「うん、そうだね」


 十分文化祭を満喫した二人を待っていたのは、お昼を過ぎたあたりからの喫茶店の混雑だった。

「これ持って行ってー!」

 コーヒーとパンケーキのセットをトレイに乗せて、女子の言葉にウェイターの男子が恐る恐るトレイを持ち上げてお客のところまで運んでいく。

「こっちの料理遅れているってクレーム来ているよー」

「えぇ! ちょ、もうちょっと待ってもらってー」


 てんやわんやで、これなら午前中はもうちょっとゆっくりとしているんだったと後悔するが、遅かった。

「3番テーブルさん、プリンの追加注文です!」

 この調子が16時頃まで続いた。午前中入っていたクラスメイトたちも結局ほとんど休む時間を与えられず後方支援に駆り出され、文句の言葉は絶えなかったがいなくなるわけにもいかずに、なんとか大きな失敗も無いまま一日が終わっていく。


 教室の片付けは、最小限だけは済ませて大きなところは明日行われる。締めの挨拶も終わってクラスメイトたちは解散していく。

 みんながみんな疲れた顔をしていた。それは神無月も例外ではない。

「お疲れさま理恵子」

 人一倍動いていた相良は校舎を出たところの段差に腰を下ろして真っ白に燃え尽きていた。

「……」

 モゴモゴとなにかしゃべっているようだが、覇気もなく神無月の耳まで届かない。

「さて、私たちもそろそろ帰ろうっか?」

「…………うん」

 ようやく相良の声が聞こえた。ゆっくりとだが確実に立ち上がる相良の横で、制服のポケットや通学カバンの中をゴソゴソしている神無月。

 しまったと口にしておでこに触れる。

「ごめん理恵子。教室にちょっと忘れ物してきたみたい。

 取りに行ってきたんだけど、待っててくれる?」

「ん? うん、いいよそのくらい」

「ありがと! 座ってて待ってて。すぐに戻ってくるからさ」

「んー。ここでまた座っちゃうと、今度こそお尻に根が生えそうだから、立って待ってる」

 そう言ってくれる友人に感謝しつつ、神無月はもう一度上履きをはいて校舎の中を進みだした。


 夕暮れの教室は、外からの赤みを増した日の光りに照らされて、いつもとは違うイルミネーションが施されていた。

 この時間、いつもならまだ教室に残っている生徒がいることは珍しくない。しかし今日は学園祭が行われた日。全員が全員疲れていて、この教室だけでなくあたりには一人も生徒がいなくて、いつも以上に静寂に包まれていた。

 誰かが教室に近づく音すらよく響く。

 だから、教室のドアを開けるまで、神無月は誰も居ないものだと思っていた。

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