第11話 深淵を覗いたとき
叶多そらは暗い瞳でこちらを見下ろす。そこにあるのは暗くて冷たくて果てのない闇だった。
「どうして叶多……あんたが俺を好きってどういう意味だ」
「ばれたのに私から言わせるつもり? がっかりだなあ」
いつもの柔らかい雰囲気は消えていた。残っているのは笑顔が張り付いたままのいびつな表情だった。
「そうやって逃げるのはお母さんのときと変わらないんだね」
「母さんのことはやめろ」
母が亡くなったときから優しくしてくれたのはただの善意でなく好意があったからなのか。俺は言葉につまる。
「滝川、なに黙りこんで……。らしくない」
「部長、珍しくいいこと言いますね」
新聞部の成宮と後輩の玻名城が俺の味方をしてくれる。らしくないのはわかっている。だけどそれ以上に衝撃が大きかった。
「叶多、あんたのやっていることは自分自身の破滅も呼ぶんだぞ。わかっているのか」
「わかっていてやっているつもり」
彼女の真剣な瞳を見たら俺は逃げてばかりもいられないと実感する。
「でも妬けるよね。せっかく私のものになりそうだったのに。そこにいる双子に邪魔されるとは思わなかったよ」
「むう。嫌な感じっ」
「いい気分は……しない……」
運命の女神のアイと死神のセイは先程までのほほんとしていたのが嘘のように臨戦態勢をとっていた。
「涼、忠告よっ。この人の背後には天界の人間が関わっているわ」
「油断したら……ダメ……」
天界の人間? どういうことだ。
「だってさっきからこの人、消えかかっているもの」
「呪いの……ちから……」
双子は必死に忠告する。この先判断を誤ってはならないと。
天界の人間がどうして叶多を選んだのだろう。俺に近い人間だったという理由ならば責は自分にある。叶多の呪いを解くには早くしなければ手遅れになる。
「涼くん、私のこと捨てて双子を選ぶの? 許さない……」
叶多は俺ににじりより首もとに手を当てる。そのままゆっくりとちからを込めて首を絞められる。女子の腕力ではありえないほどの握力。確かに呪いの力としか言いようがない。
「涼に手を出さないでっ」
「今……助ける……」
アイとセイが叶多の腕に触れる。その瞬間すさまじい勢いで吹き飛ばされる。
「アイ、セイっ。二人とも大丈夫か」
「心配している暇があるなら自分のこと考えなよ」
叶多は顔を寄せて互いの頬が触れる。その後唇が重なった。柔らかな感覚に一瞬何事かと思ったがそれはキスだった。
「ねえ、涼くん。私こんなに涼くんのことが好きなんだよ」
涙をポロポロとこぼす姿に一瞬胸が痛んだが。
「ごめん。今の叶多の気持ちは嬉しい。だけどこんな形では受け入れられない」
「どうしてよっ」
その一言にヒステリックに喚き散らす。尋常でない腕力で俺を投げ飛ばすと、彼女のブレザーが破れた。
「叶多……その腕……」
傷だらけの腕は見ていられなくて目を背けたくなる。だがこれが現実だ。
叶多はずっと苦しんでいた。だけど俺は気づかなかった。
これが残酷な真実だった。
「軽蔑した? これが私。汚くて惨めでしょ」
「自分のこと蔑むなよ」
その言葉に一瞬叶多が正気に戻る。彼女は救われたかった。それが答えなのかもしれない。
「これは昔からの癖なの。こうしていると落ち着く。だから何度も繰り返すの。親に止められても教師に気づかれても平気だった。だけどダメだな。涼くんだけには知られたくなかったのに……」
悲しげな表情でそう呟くと一歩二歩と遠ざかっていく。
「この力があれば涼くんは私のものって約束したから信じてたのに。私ってバカだよね」
こんなことしても人の心なんて思い通りにならない。彼女はそれを痛感したのだろう。どさりとその場に座り込む。
「ごめん。涼くん。勝手に巻き込んでごめんなさい」
「謝るなよ」
でもと叶多は俺を見上げる。自分のせいだと責任を感じているのだろう。でもそれは俺も同じだ。
「呪いの壺の力は知ってる。俺の命が長くないことも」
それに叶多を巻き込んでしまったのは俺としてもふがいない結果になってしまった。
今更ながら厳しい現実を思い知らされる。
「え? 」
その言葉に叶多の血の気が引く。俺がこの事を知っているとは思わなかったのだろう。彼女は自分の唇を噛み締めて呟く。
「涼くん……私のせいだ……」
「誰のせいでもねえよ」
叶多が正気に戻ったと思った瞬間。彼女の瞳に狂気が宿る。
「ねえ。どうせ死ぬのなら一緒がいいよ。だから一緒に死のう」
ゆっくりとたちあがってこちらへと飛びかかる。みぞおちを殴られ正直死ぬほど痛い。
だけど諦めるわけにはいかない。だから精一杯の力を込めて叫ぶ。
「叶多っ。自分に嘘つくんじゃねえよ」
そしてよろよろと何度だって立ち上がる。
「涼っ。もう死んじゃうからやめて」
「涼……。危ないから……」
アイとセイが声をかけてくる。二人して心配してくれるのがかわいいやらおかしいやらでこの異常な状況でも笑えてきた。
「滝川、死ぬなよっ」
「部長、先輩」
成宮と玻名城も俺を応援してくる。ついさっきまで隠れていたのに。
「成宮、らしくなかったよな俺」
だけど俺も男を見せなければ。
「叶多、あんたには感謝している。中学のときは同じ小学校出身ってことで気にかけてくれた。母さんが亡くなって学校を休みがちになった俺を見放さず毎日声かけてくれて、昔は言えなかったけど今言っても遅くないかな」
その一言に叶多は俺の顔をまっすぐと見据える。先程までの狂気じみた表情は消えどこか弱々しくすら感じた。
「叶多、今までありがとう。遅くなったけどこの言葉受け取ってくれるかな」
それが決してプロポーズの言葉ではないことを。お互いが知っていた。
だけど叶多は涙を溢れさせて何度もうなずく。
「ひっく。うん、涼くん。ありがとう」
彼女の背後にあった壺が割れる音がする。
まただ。
あの呪いの壺は消えてしまった。
叶多そらの呪いは解けた。だが現実に戻された俺たちは天界の敵という大きな壁にぶち当たるのだった。
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