銀狼王(もふい)

『貴女に噛み付いたりはしない』


 魔王さまにしがみついて、ぎゅうっと目を閉じていると、どこからか低い男性の声が聞こえてきた。


「……?」


 一体誰が話してるんだろう?


『かわいそうに。魂が傷ついているのだな。このようにボロボロになってしまった女神族の子は、見たことがない』


 静かな、落ち着いた声だった。

 どでかい狼も、襲ってくる気配はない。

 わたしは恐る恐る目を開けた。


『はじめまして、女神の御子』


「っ!」


 こ、この狼、しゃべっとる……!


 狼はゆっくりと頭を垂れた。

 まるで挨拶をしているみたい。

 しばらくしてから顔をあげて、魔王さまを見る。


『久しぶりだな、オズワルド』


「ああ。なかなか来れなくてすまなかった」


『いいさ。ようやく女神族の子どもが見つかったのだ。お前は何よりも、その子どもを優先すべきだろう』


 がるる、と狼は笑った(ように思えた)。


『その子の名前は?』


 魔王さまはわたしをちらと見て言った。


「プレセアと言う。体は五歳程度だが、中身は十五歳だ」


『そうか』


 ぶるぶるふるえていると、魔王さまに頭を撫でられた。


「怖いのか?」


 こくこくと頷く。


「に、人間界には、こんなにおっきい狼、いないよ……」


 あと、昔野犬に追いかけられて、お尻をかじられたことを思い出してしまった。別に犬がキライなわけじゃないけど、これはなかなか怖い……。


「……すまない。俺が思っていたよりも、びっくりしたんだな」


『心が健康な女神族の子と、プレセアとは、どうやら私に対する所感も違うようだ』


 狼はぽつりとそう言うと、ゆっくりと顔を近づけてきた。

 うおおおおお!

 近づかないで食べないで!!!!!


「ッ!」


 ぎゅ、と目をつぶる。

 けれど痛みは何もこなかった。

 そのかわり、やわらかい感触が頬に触れる。


 ふわ……


 ふわふわと頬ずりをされた。


「……?」


 目を開ければ、大きなアイスブルーの瞳が。


『けして姫を傷つけはしない。私は貴女を守る立場にあるからだ』


「た、食べないの……?」


『もちろんだ』


 おそるおそる、手を伸ばす。

 狼の真っ白な毛に手が埋もれた。


「ふわぁ」


 あったかくて、もっふぁもふぁだった。


『私の名は銀狼王オスフェル。貴女に仕える銀狼の王。この大陸を象徴する生き物の一種だ』


「……わたし、プレセア。あの、もっと触ってもいい?」


『いいぞ』


 さらさらふわふわしていて、気持ちいい。

 顔に抱きつくと、がうがうと笑うようにオスフェルは笑った。


『狼は誰よりも忠誠心が高い。王と女神の子を守る。それが我ら銀狼族の誇りだ』


 魔王さまは、わたしを地面に下ろした。


『おいで』


 オスフェルにそう言われ、魔王さまを見上げると大丈夫、と背中を押される。

 恐る恐るオスフェルの胸元へ行くと、ぼふっと抱きついてみた。


 す、す、すごい……!


 あったかくて、おひさまの匂いがする。

 あと、なんだろう。

 この安心する感じは……。


『可哀想に。姫の魂は傷ついている。それゆえ、威光も弱いのだろう』


「おわっ」


 べろっと頬を舐められた。


「傷……?」


『姫を守れなかったのは、私たちの罪だ。王はその全ての罪を一人で背負った』


 なんの話だ、とオスフェルを見上げれば、彼は心なしか悲しそうな顔をしていた。


『貴女が存在するから、この大陸も存続することができる』


「?」


『もう少したてば、その本質も理解できるだろう』


「ふわぁ」


 オスフェルにくいっと服を引っ張られ、ごろりと横になった彼のお腹に埋もれた。ペロペロと顔を舐められて、くすぐったい。


『貴女は神の子。愛されるために生まれてきた存在。よく覚えておきなさい。あなたはこの世界で、最も大切な女性だ』


 とろけそうなほど触り心地のよい毛に埋もれて、わたしはほっと安堵した。

 この気持ちは、魔王さまのそばにいるときとよく似ている。

 すごく、大切にしてくれていると思った。

 自分の子供みたいに、愛してくれている。


『どうか姫の傷が癒えますように』


 魔王さまもすぐそばに立って、オスフェルの首を撫でていた。

 心なしか、顔が緩んでいる気がする。

 そういえばオスフェルのこと、もふもふで可愛いって言ってたけど、魔王さま、こういうの好きなんだな、きっと。


 わたしたちはオスフェルのあったかい体に埋もれて、しばらく癒やされていたのだった。


 ◆


 しばらくオスフェルに埋もれていると、目の前にぬっと背の高い男の人が現れた。

 魔王さまかと思って顔を上げれば


「え!? 誰!?」


 全然知らない男の人だった。

 白いローブのようなものに、同じく銀色の長い髪を三つ編みにして流している。ぎょっとしてオスフェルに抱きつく。


「私だ」


「誰!?」


「オスフェルだ」


 男の人は、確かにオスフェルと同じ声をしていた。

 けれどオスフェルはここにいるし……。

 後ろのもふもふを確認してから、三つ編みの男を見上げる。


「霊体化しただけだ」


「霊体化……?」


「肉体と魂を少しの間、分離させた。魂には形がないから、好きなように形をいじることができる」


「お、オスフェル、死んじゃったの!?」


 慌てて後ろのオスフェルの心臓に耳をあてる。

 うーん、動いてるみたいだ。


「そうじゃない。肉体はしばらく眠りにつくだけだ。人里へようがあるときに使う術だ」


 そう言って、オスフェルは笑った。

 魔王さまに落ち着け、と言われる。

 確かに、オスフェル(もふもふ)は生きてるし、目の前の男性はオスフェルと同じ声をしている。

 

 なるほど。

 幻獣は霊体化という、便利な技があるのか。

 びっくりしちゃったよ。


「あれ?」


 ちょっと待てよ。

 わたし、なんか最近、そういう現象を目にしたような気が……。


「どうした?」


 魔王さまが私を見て、首をかしげた。


「なんかわたし、大事なこと忘れてる気が……」


 なんだっけ。

 でも忘れるくらいだから、大切なことじゃないのかなぁ。

 

「ところで二人とも……」


 オスフェルが何かを言いかけた時。

 


「突撃ですの!!!」



 なんか聞き覚えのある、独特な語尾の掛け声が聞こえてきた。

 それと同時に、目の前を白いものが駆け抜けてきた。



 ドゥムッッ



「うっ……!」



 わたしはお腹に衝撃を感じて、ひっくりがえってしまった。



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