ブランシェット邸にて


「まあまあまあ! なんて愛らしい!」


 心地の良い揺れに身を任せていたら、ふいに知らない女の人の声が聞こえてきた。なんだろう、なんかざわざわしてる……。


「初めての汽車で、はしゃぎすぎて眠ってしまったようだ」


「この時間帯は、お昼寝の時間なんですよ」


 魔王さまとティアナの声が聞こえてくる。

 わたし、なんでか魔王さまに抱っこされているみたいだ。


 眠い……。


 まだ眠くて、魔王さまに頬を押し付ける。

 ……あれ、っていうか、わたし何やってたんだっけ?


「ん……?」


 重いまぶたをゆっくりと持ち上げる。

 目を開けると、知らない顔がわたしを覗き込んでいた。

 頭に犬の耳がひっついたきれいな女性が、ぱちぱちと目を瞬かせる。

 わたしと目があった瞬間、もともと笑顔だった顔が、さらに破顔した。


「あら、目が覚めたみたいだわ!」


「っ!?」


 え!?

 なにここ!?

 どこ!?

 なんで知らない人たちに囲まれてんの!?


 注射か!?

 注射なのか!?!?


「やっ! 注射いや!!!」


「……寝ぼけているみたいだ」


 わたしの周りには、なぜか見知らぬ人たちがたくさんいた。

 おまけにいつの間にか、見たことのない、大きなお屋敷の玄関ホールのような場所にいるではないか。


「ふふっ、注射ですって! ……あらま! 今度は泣いてしまったわね」


 じわじわと涙腺が緩む。

 知らない人を見て、パニックを起こしたのだろうか。


「う……」


 ぐずぐずと鼻を鳴らして、魔王さまに頬を押し付ける。

 ああ、うっとおしい。

 眠いときは自分の感情をうまくコントロールできない。


「ごめんなさいね。知らない人に囲まれて、怖かったのね」


「母さんが大きな声を出すからだよ」


「シェイラもオリオンも、静かに。プレセア姫を用意した部屋にお連れしないと」


 若い男性の声や、二人を咎める壮年の男性の声も聞こえてくる。


「お部屋を用意していますから、そちらで姫を寝かせましょうか」


「頼む」


 ようわからんが、グズグズ泣いているうちに、いつの間にかわたしはふわふわとしたベッドに連れて行かれ、毛布をかけられていた。

 なんだかすごく疲れているみたい。


「ティアナ」


「はいはい」


 見知らぬベッドが落ち着かなかったのか、ティアナ、ティアナと名を呼ぶ。

 頭を撫でられて、うとうとしているうちに、落ち着いてきた。

 次第に意識がはっきりとしてくる。


 そうだ。

 わたし、汽車に乗って、旅行中なのだった。

 でもベッドにいるってことは……もう目的地についたってことなのかな?


 目をこしこしこすりながら尋ねる。

 

「ここ、どこ?」


 そばにいたティアナが答えてくれた。


「ここはブランシェット公爵邸ですよ。プレセア様が眠っている間に、つきました」


「え!? うそ!」


 あー、もったいないことしちゃった!

 汽車の旅の途中で爆睡してしまったわたしは、そのまま魔王様とティアナとともによって、ブランシェット邸まで連れてこられたようだった。


「もともと途中から魔王様の転移魔法で移動する予定だったので、そんなに変わらないと思いますよ」


 ブランシェット邸と王都はかなりの距離がある。

 もともと機関車では、一日かかるような距離だったので、途中で転移魔法を使ったらしい。


 目をぱちぱちさせていると、廊下から談笑する声が聞こえてくる。


「プレセア様、起きてご挨拶をしましょうか。美味しいものを用意して、皆さんお待ちですよ」


 ティアナはそう言って微笑んだ。


 ◆


 魔王さまの足にしがみついて、きょろきょろとせわしなくあたりを見る。


「遠くから、ようこそおいでくださいました」


 ブランシェット公爵を筆頭に、公爵に仕えるものたちが頭を垂れ、跪く。


「我々一同、魔王陛下と伴侶様の帰還を心よりお待ち申し上げておりました」


 え!? 

 わたしも!?

 びくっと震えると、魔王さまが公爵に言った。


「固くならなくてもいい。顔を上げろ」


「仰せのままに、我らが唯一の魔王陛下」


 硬い態度をとっていた公爵の雰囲気が、一気に和らいだ。

 にっこりと笑顔を浮かべて、わたしを見る。

 公爵はチョコレート色の髪をした、優しそうな男性だった。頭には犬の耳がニョッキリと生えている。

 ここの家の人たちは、ほとんど犬耳が生えている。地域によって住む魔族の種類もかわるというから、このあたりには獣人族の人々が多いのだろう。


「プレセア姫、ようこそおいでくださいました。私の名はユーイン・ブランシェットと申します。このブランシェット領で、幻獣、及び神獣様のお世話をまかされております」


 わ、わたしに喋りかけてる……。

 公爵はすごく偉い立場にある人なのか、服装もきっちりとしている。

 若干ドキドキして、うんとかすんとか、変な返事しか出てこなかった。


「少し緊張しているみたいだ」


 魔王さまの足にしがみついていると、頭を撫でられた。

 ちら、と上を見上げると、大丈夫だから、と言われる。


「お初目にかかります」


 もじもじしていると、今度は金髪の美しい女性が話しかけてきた。

 ちょっとティアナと雰囲気が似ている。

 なんだかすごく優しそう。


「ユーイン・ブランシェットが妻、シェイラと申します、プレセア姫。先ほどは騒がしくしてしまい、申し訳ございませんでした」


 あ、この人、さっきグズグズ泣いているわたしの顔を覗き込んできた人だ。

 なんか……なんか、目がハートマークになっているような気がした。


「ありがとう。よろしくね」


 だんだん慣れてきて、魔王さまの足からそろっと出る。


「あああ……姫様の声……なんと愛らしい!」


 ブランシェット夫人は、ほう、とため息を漏らした。

 ……大丈夫か、この人。

 ちょっと不安になるな……。


「母さん、姫様引いてるよ。もう十五になられるのだから、赤ちゃん言葉を使ったりするのはやめてくれよ」


 呆れたように言ったのは、同じく金髪の大型ワンコみたいなお兄さんだった。

 ニコニコ笑う様が、まさに愛想がいいデカワンコ。

 ……んん?

 このお兄さん、なんか見覚えあるな……。


「あ、気づきました?」


 デカワンコは、嬉しそうにしっぽをぶんぶん振った。


「俺、オリオンって言います。魔王陛下の城で、杖騎士やってます!」


 そう言って、誇らしげに上着の胸に縫い付けられている紋章を見せた。

 二本の杖が交差する紋章は、主に魔法を使って魔王さまを守る「杖騎士」をあらわすものだった。


「あっ!ほんとだ!」


 そういえばこの人、確かにお城で何度か見かけたことがある。

 

「姫様が俺の実家にくるというので、有給使って戻ってきました!」


「え!? なんで?」


「なんでってそりゃあ、姫様ともっと仲良くなれるチャンスじゃないですか!」


 え……。

 か、変わってるな。

 わたしだったら、仕事が休みの日まで仕事関係の人になんか会いたくないけど……。


「オリオン、無礼だぞ」


 公爵にオリオンはたしなめられていたけれど、ぺろっと舌を出しただけだ。


「息子の無礼をお許しください、プレセア姫」


「ううん、全然」


 そう言って笑うと、公爵はほっとしたような顔になった。


「本当はもうひとり娘がいるのですが、まだ帰っていないので先に晩餐にしましょうか」


「あの子ったら、今日は早く帰ってきなさいって言ったのに」


 ブランシェット夫人は困ったように頬に手を当てた。

 ブランシェット夫妻には、どうやらもうひとり、娘がいるらしい。

 

「さあ、姫様のために、今日は料理人たちが腕をふるいましたのよ!」


 夫人に手を繋がれて、わたしたちは晩餐を共にすることになった。


 


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る