プレセアのお披露目会について
「それでは、プレセア様のお披露目会の日程についてはまだ未定、ということで、よろしいですか?」
「ああ、そうしてくれ。具体的な日程の決定は、まだ避けたい」
西の大陸の魔王・オズワルドの執務室。
昼間の淡い光を背に浴びながら、オズワルドは机に肘を置いて、ペラペラと書類をめくっていた。
艷やかな黒髪が、目元に巻かれた黒い帯の上にはらりと落ちる。
式布、と呼ばれるその布で目元を隠す様は、人間からすれば、目隠しをして視界を遮っているように見えるだろう。
しかしこの布は、不自由な視力を補うための魔道具だ。
プレセアを救うために、己が光を女神に差し出したオズワルドは、目が見えなくなってしまった。
けれどプレセアが、自身の魔力を空っぽにしてまで、オズワルドのために魔力を込めて式布を完成させたのだ。
失明している事実は変わりないが、布をつけている限りは平時と同じ状態でいられる。
さて。
そんなオズワルドが眺める書類の束は、すべてがプレセアに拝謁したいという申し出の嘆願書だった。
プレセアがこの大陸に帰還したことを告知してからというもの、ありとあらゆる魔族たちが、プレセアを一目見ようと王都へおしかけてきた。
けれど当然、プレセアを直接魔族たちに紹介したことはない。
まだ(体が)幼いプレセアに、負担を強いるわけにはいかない。
それに、もしもプレセアに害を為そうとするものがいては困るからだ。
「……ですが陛下、時間の問題ですよ。各地の魔族たちも、待ちきれないようです。プレセア様に会えるのを、皆とても楽しみにしていらっしゃる」
机の前に立つのは、茶色い髪をした柔和そうな青年だった。
魔王を補佐する秘書官の一人で、名をエリクという。
どんなに忙しない時でも、ゆったりとしている様が気に入って、オズワルドはエリクをそばに置いていた。
「そうだな、よくわかっている。どのみち、数カ月後には行うつもりだ。しないわけじゃない」
「それはもちろんにございます」
「だが今すぐにではない。プレセアはまだ、『女神の威光』に目覚めていないから」
魔王は書類に視線を落としながら、呟いた。
──『女神の威光』。
それは、魔王族と女神族のみが持つ、特別な能力だ。
端的に言えば、魔族たちを己に惹きつけ、従わせる力、といったところだろうか。
その昔、魔界は争いの耐えぬ、混沌とした世界だった。
荒れ果てた世界を嘆いた創生の女神は、東西南北それぞれの大陸から魔族を一人ずつ選出し、自らの血とエネルギーを分け与えた。
魔族は女神によって生み出された存在であり、女神を敬うという本能がある。
したがって、魔族たちは地上の神である魔王を自らの主を定め、従い、争いをやめるようになった。
女神の威光とは、魔族を従える魅力のようなもの。
その魅力を魔族たちが感じ取れば、彼らは必ず魔王とその伴侶に付き従う。
だから西の大陸では、魔王は政治にはあまり関わらないが、そのかわり大陸の隅々にまで威光が行き渡るように、公務として各地方を訪れるのだ。
魔王の威光が届かぬ場所では、良からぬことを企む者も出てくる。
そういう魔族を出さないためにも、強い威光の力が必要なのだった。
「私どもは、すっかりプレセア様にメロメロですけどね」
エリクは苦笑した。
「あの御方にお仕えしたくて、たまりません。どうしようもなく庇護欲を掻き立てられてしまう」
「……長く生きている魔族は敏感で、プレセアの弱い威光も感じられるだろう。だが、確実に人を従わせるだけの威光がプレセアにはまだない」
オズワルドの威光は完璧だ。
どんなに離れていても、その威光を魔族たちは感じることができる。
けれどプレセアは、まだ威光が弱い。
歳を重ねた大人といわれる魔族たちは、その弱々しい威光を感じ取れるが、そうでない魔族もいる。
「特に若い魔族たちだ。伴侶の威光を一度も感じたことがないから、プレセアにどんな感情を抱くか不安だ」
オズワルドが、プレセアを一人で外に出さない理由がそれだった。
オズワルドの父と母は、もうずいぶん昔に亡くなっている。オズワルドはすぐに即位したため、魔王不在の期間などはなかったが、伴侶の不在期間が長かった。
その間に生まれた魔族たちは、前王妃の威光も感じたことがないから、伴侶の威光が感じにくいのだ。
特に、魔王の花嫁になろうと、何度も『ニセモノ』が出てきた事件もあり、若い魔族たちは警戒している節がある。
魔王の隣に立つもの。
たった一人のその女性に抱く感情があるとすれば、それは──。
「……そうですね。まだまだ、姫様を外へ出すのは不安です」
エリクも眉を下げた。
「とはいえ、威光が発揮できていないほうが、身の安全に関わるが」
話が一周して、もとの場所に戻ってきた。
「何も考えていないわけじゃない」
魔王はため息をつく。
「プレセアは魔界で育った期間が短いから能力が開花していないだけだから、少し刺激を与えてやれば、勝手に覚醒するだろう」
「……といいますと?」
「プレセアを、公務のついでに魔界の各地へ連れて行こうと思っている」
「プレセア姫を?」
エリクはぱあっと微笑んだ。
「それは姫様もきっと、お喜びになられますね。いつも城の外へ抜け出そうとして大変ですから」
城の者たちは、いたずらっ子なプレセアに手を焼かされていた。
目を離すとすぐにいなくなってしまう。
魔王城の敷地は広大とはいえ、確かにずっとここにいるのも飽きるのだろう。
かといって、一人で外へ飛び出されるのも困るのだ。
「確かに公務であれば、赴く土地も厳選できますし。プレセア様がお喜びになりそうな場所を、探してみましょう」
公務はいくらでもある。
魔王は政治に関わらない。
しなければならないのは、魔王の威光を大陸に届けるための国事行為や公務だ。
各大臣や、州の代表者からからの願い出を受け(もちろん取捨選択をするわけだが)、この広い西の大陸の様々な場所に赴く。
だから本当は、この王都の城にいるのは、年の半分もない。
ほとんど城を空けている状態なのだ。
けれど今は事情が違う。
守るべき女神族の子どもがいるため、子育て期間として、どんなに遅くとも午後六時には必ず城に帰らなければならず、必要に応じて休暇をとり、ふれあいの時間を取らなければならない。
幼い女神族がいる時期は、ほとんど女神族の子供を中心として、スケジュールが組まれる。
全ては、女神族の子どもを健やかに育てるための配慮なのだった。
「プレセアも良い気晴らしになるだろう。少しずつ、威光を開花させていけばいい」
外に出かけたり、城でのんびりしたり。
魔王さま、魔王さまとヒヨコのようにひっついてくるプレセアと一緒にいられるのなら、大変かもしれないが、それも悪くはないと思った。
「それに、プレセア様と触れあえば、すぐにわかるはずですよ。彼女に仕える喜びが、どれほどのものなのか」
エリクはうんうんと頷いた。
「どこがいいかなぁ。あまり突然訪れるのもあれですから……あ、そうですよ、ブランシェット公爵邸などはいかがでしょう?」
エリクはぴ、と指を立てた。
「神獣の管理を任されているブランシェット家の者以外、あのあたりにはあまり人がいませんし。自然いっぱいで、小旅行にはちょうどいいかもしれません。あ、そうだ、魔導機関車になんかのせてあげれば、姫様もお喜びになられるのでは?」
ブランシェット公も奥方も、とても穏やかな人なので、とエリクは付け足した。
「神獣たちと触れ合うのは、まだ早いでしょうか?」
「いいや、そんなことはないだろう。ただ……」
オズワルドはふと、口を噤んだ。
少し気になることがあるようだ。
「……ただ?」
オズワルドが口を開きかけたところで、リリリ、と机の上にあった魔導通話機が鳴った。
「……失礼」
オズワルドは受話器をとった。
応答した旨を伝えると同時に、通話口から、何か叫び声のようなものが聞こえてくる。
何やら早口で向こう側が話したあと、エリクにまで聞こえるような怒声が、通話機から響き渡った。
『魔王さまのアホーーーっっ!!!!』
オズワルドは無表情で受話器を置いた。
「……」
「……」
しばしの沈黙。
「……この書類を片付けておいてくれると助かる」
「御意に」
立ち上がると、ため息を吐いた。
「……甘い物で機嫌をとる作戦は失敗だった」
「今日は予防接種の日でしたか」
ぽん、とエリクが手を叩いた。
「プレセアの注射嫌いも筋金入りだ」
「まだ小さいですからね。人間界では、そのような技術はないのですか」
「ああ。注射針を作る技術がない。血管の中に液剤を入れる行為が信じられないと言っていた」
子どもはみんな嫌いでしょう、とエリクは苦笑いした。
「彼女の中身は十五だ」
「いえいえ。十五なんて、まだまだ子どもです。甘えたいざかりで、一番かわいい年頃ではありませんか」
魔族の寿命は長い。
十五歳なぞ、まだまだ子どもだ。
おまけにプレセアの見た目が小さいものだから、どうしても皆、どろどろに甘やかしてしまいそうになるのだ。
城の管理を任されている厳しい顔をした家令でさえ、孫娘を見るよりもひどい顔になってしまう。
「行ってこよう。そのためにわざわざ、今日は王都に滞在している」
「お願いいたします」
オズワルドは、自らの伴侶に予防接種を受けさせるため、仕事を中断した。
プレセアは今のところ、魔王の伴侶……候補ということになっている。
(将来、プレセアが別の魔王を選ぶ可能性もあるからだ)
けれどオズワルドとプレセアは、信じられないほどに歳が離れている。
だから今のオズワルドは、ほとんど父親代わりなのだった。
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