解呪
魔王さまの伴侶があらわれたということ。
その報せはすぐに大陸全土に知らされた。
というかもう、すでに噂になっていたのだろう。
魔王さまのそばに小さな女の子がいつもいるって。
その子は人間界で育てられ、こちらへやってくる際、時空の歪みで小さくなってしまったということになっている。
けど、本当はそうじゃない。
わたしが小さくなっちゃったのは、わたしが運命を変える代償を払ったからだ。それは十年という歳月だった。わたしは再び、ここから十年かけて、十五才という体に戻っていかなければいけない。
魔王さまが目を見えなくなったという事実は、いったんはふせられている。
目の病気で、一時的に式布を使っているということになった。
大陸民を不安にさせるわけにもいかないから、という理由だった。
「ティアラ、ごはんおかわり!」
「プレセアさま、ほらもう、口についてますよ」
ティアラにごしごしと口元を拭われる。
わたしはといえば、いつもと変わらない生活を送っていた。
いっぱいご飯を食べて、お昼寝をして、あとはお城を走り回って遊んでいる。
やることないんだもんね。
しばらくは体を回復させるために、自由にしていろと魔王さまに言われている。
と言っても、最初は大変だった。
みんなわたしに護衛をわんさかつけようとするわ、部屋に縛りつけようとするわ……。
わたしが脱走した事件を知っているので、みんな警戒しちゃってるんだろう。
あとわたしが誰かに攫われるんじゃないかとか。
でも大丈夫だ。
むしろ逆に不安。
誘拐犯とか来たら、逆に殺してしまいそう。
魔法の力を持て余してる感じがするんだもん。
ということで、たくさんの護衛は、必要なくなった。
わたしがそういうのが嫌いだからというのもあるが、飛び回って城を飛び出したりして、結局誰もわたしについてこれなかったというのが大きいだろう。
普通、魔法の力を持ってしても、飛ぶのは難しいことなんだって。
わたしはどうやら、はじめっからおかしかったらしい。
「姫さまーーー!!!」
といつもわたしを追いかけてくる近衛兵の人を振り回して、最近は遊んでいるのだった。
◆
そして、しばらくしたある日。
ついにその日はやってきた。
「……かなり痛むと思うが、覚悟はいいいか?」
「うん、大丈夫だよ」
ベッドで横になるわたしの服の胸元を、魔王さまがくつろげる。
そして胸に手をかざした。
──解呪。
わたしの中に埋め込まれた呪印を、解くのだ。
それには健やかな体と精神が必要で、魔王さまはもう、わたしがそれを手にしていると判断した。
だからいよいよ、それを行うことになった。
「負けるなよ、プレセア」
「うん」
魔王さまの手から光が溢れ出す。
「……っ」
心臓を握りつぶされたみたいに、胸が苦しくなって、息がしづらくなった。
「あ、あ……!」
体が痛い。
サークレットをつけたときみたい。
「まおうさま、いたい……!」
魔王さまの手を握る。
「くるしい、よ……」
「すまないプレセア……俺がそばにいる。どうか耐えてくれ」
魔王さまも苦しそうだった。
わたしの意識は、すっと闇に落ちていく。
◆
そこは、真っ暗な空間だった。
わたしはいつの間にか、その空間の中を、一人立っていた。
すると暗闇から光が溢れ出し、まるで走馬灯のように、今までにあった過去を映し始める。
孤児院で育ったこと。
神殿へ預けられ、辛い思いをしたこと。
ひまりとの出会い。
苦しいシーンが、いっぱい。
見ていて胸が痛くなった。
我ながら、ひどい人生送ってるなあ。
──復讐をしたいんでしょう?
ふと、闇の中に声が響いた。
──あんなのじゃ、甘っちょろい。エルダー殿下なんて、死んでないのよ。
甘い声だ。
──力を貸してあげる。もう一度、復讐しよう?
わたしの周りを、甘ったるい香りが取り囲んだ。
けれどわたしはため息をついて、それを振り払う。
「邪魔。あんたの力なんか、いらない」
──どうして? あなたは甘いところがあるから、わたしが復讐を手伝ってあげると言っているのに。
「もういいんだってば、そんなことは」
──……嘘つき。憎いはずでしょう、あなたにひどいことをしてきた人たちが。
「そりゃあ、まあ、そうだけど」
──じゃあなんで?
「あんた、バカじゃないの?」
わたしはため息を吐いた。
「わたしが、そんな無駄なことに時間を割くと思ってんの?」
沈黙が落ちる。
「わたし、やろうと思えばあいつら全員殺せる。でも別に、そんなことやらない。時間の無駄だから」
わたしはもう知っている。
幸福の在り処を。
ほしかったものが、どこにあったのかを。
「わたし、苦しいのよりも楽しいのが好きだからさ。あんなやつらのためにもう一秒だって時間を使いたくないよ」
そんなことよりも、わたしは魔王さまのそばで、幸せに暮らしたいもん。
いったい復讐なんて、なんでそんなことにわたしの大切な時間を使わなきゃいけないわけ?
それにすでに一度、みんなぶっ殺してるから、これ以上はいいわ。
殿下なんか、まだ回復してないみたいだし。
──ひまりは? ひまりのことは? あの嘘つき女。
「……あの子のことは、魔王さまから聞いた。ずっと気づかなかったけど……わたしも、ひどいこと、言っちゃったから」
思い出したのだ。
初めてひまりと会った日のことを。
あの子はわたしに助けを求めていた。
あの子を初めて見たとき、わたしはかわいそうって思った。
そして……そう思っただけ。
わたし、関係ないって、思ってた。
わたしも結構さいてーだったよ。
「今はまだ、面と向かいあう勇気はないけど……いつか、話してみたい。もう一度」
あの子は、お父さんもお母さんも、友達も、何もかもを置いて、この世界に来てしまった。
魔王さまによると、わたしの運命を変えるために、巻き込まれたのだとか。
別の世界でひまりは死んで、偶然その魂がこっちに来ちゃったみたいだけど……。
ひまりは、自分の意志で、あの世界へ来たと言っていた。
このまま死ぬか、生き続けるか。
生きたいって、願ったんだって。
だけどさ、もとをただせば、わたしのせいだもん。
わたしも最低だった。
だから彼女を責める気には、なれない。
「残念だけど、もうおしまい」
わたしはため息をはいて、闇を見上げる。
「わたしは、わたし。あなたなんかに、乗っ取られたりしない」
そう。
わたしはプレセア。
もう誰に使われることもない、自由なプレセア。
魔王さまの、プレセア。
「籠の中の鳥だってね、鍵の開け方覚えて、出ていっちゃうんだからさ」
「……」
暗い影の中から、すうっと一人の少女が出てくる。
それは、わたしだった。
十五歳の、辛くて、寂しくて、悲しい思いを抱えたわたしだった。
「一緒に帰ろ。魔王さまのとこ。みんな待ってるから」
彼女はぽろりと涙をこぼした。
わたしはわたしを抱きしめる。
「大丈夫。これからは、魔王さまが一緒だから」
どんなに辛いことがあっても、魔王さまが一緒なら、大丈夫。
彼の存在を知っているのなら、わたしはなんだって乗り切れそうな気がする。
──……うん。
「もうひとりのわたし」はこくりと頷いたあと、光の粒子となって、わたし自身の中に入っていった。
ぽう、と胸の中があったかくなったような気がする。
これでもう、ほんとにおしまいだ。
誰かを憎む気持ちも、つらい過去も、全部受け入れて、わたしは大人になっていく。
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