神さま、お願い


 誰もいない神殿の会衆席に座って、ぼんやりと女神像を見上げる。

 時刻は夕方で、神殿の中は紅茶色の淡い光で満たされていた。

 魔王さまのもとを離れて、もう何日ここに通っただろう。

 改宗したばっかでこんなに通い詰める熱心な信徒は、他にいないような気がする。


 目を閉じていると、神殿の扉が開く音がした。

 コツコツと杖を付く音が、祈祷場に響く。

 けれどわたしは、そちらを振り返る気力もない。


「……えらく熱心だなぁ、小さな信徒さんよ」


 その男はぼすんとわたしの隣に腰をおろした。

 聞き覚えのある声に、見覚えがある姿。

 それはわたしに杖をくれた、魔道具屋のじいちゃんだった。


「……別に」


 一日中ずっと黙っていたせいか、声がかすれている。


「……わたし、行くとこないから、ここにいるだけ」


「城でいい暮らしをしてるんじゃなかったのかい」


「……あの場所には、もういられないの」


 心臓をぎゅうっと掴まれているみたいに、胸が傷んだ。

 わたしはあれから、魔王さまのもとを離れた。

 たとえ伴侶だったとしても、離れて暮らしてもいい。

 魔王さまがそう言ったから。

 今はこの神殿にお世話になっている。


「……そうだ、これ、返すよ」


 耳元のイヤリングを手にとって、じいちゃんに差し出した。


「わたしには、危なすぎる」


 時間がたつにつれて、思い出してきたのだ。

 人間界で力を暴走させてしまったときのことを。

 あのとき、この杖は剣に変化した。

 そしてわたしは、その剣で、エルダー殿下の腹をぶっ刺したらしい。

 まあそりゃあ、恨みつらみ溜まってたもんね……。


 なんて、軽い考えで許されることではないのだ。

 生きてるとはいえ、もう一回あの顔を見たらまた同じことをしそうで怖い。


「子どもには大きすぎる力だったよ」


 けれどじいちゃんは、それを受け取ろうとしなかった。


「いらないの。もう一度同じことをしてしまいそうで、怖いから」


「……その怖さを忘れなかったらいいんじゃ。それにそいつは、長年使い手が現れなかった。せっかく見つかった主人から引き離されるなんて、可哀想だ」


「……まるで人間みたいに言うのね」


「ああ。わしが作った魔道具は、一つ一つ、どんな素材で作ったか、製造技法から制作期間まで、全部覚えておる」


「……」


「たとえわしの手を離れ、遠くに行ってしまったとしても、だ」


 じいちゃんはそういったあと、なにかを思い出すように、黙り込んだ。

 しばし、神殿の中に沈黙が落ちる。

 ここの神殿はいい。

 誰も何も余計なことをせず、ただそれぞれに、祈りを捧げるだけだから。


 おもむろに、じいちゃんは口を開いた。


「……年老いた男の懺悔を聞いてくれるか」


「ヤダ」


「聞かんかい」


 おじいちゃんは問答無用で、勝手に懺悔というものを始めた。


「昔、それはそれは腕の立つ魔道具師がいた」


 魔道具師はあるとき、時の魔王陛下から、ある魔道具を作るようにたのまれた。

 その魔道具とは、白魔法の威力を増幅させるためのものだった。

 白魔力は、選ばれたごく一部の者しか持たない、貴重なエネルギーだ。

 怪我を治癒したり、結界を張ったりと、黒魔力ではできない高度な技をなすことができる。


 白魔力を潜在的に持つ者自体も少ないが、さらに白魔法を行使できる者となると、数が限られてくる。

 したがって、魔王は白魔力を潜在的に持つ者の力を伸ばそうと、魔道具師に魔道具を依頼したのだ。


 魔法の効果を高める魔道具は多くある。

 けれどそれが潜在的な白魔力の底上げをするなると、話は別だ。

 そもそも白魔法に関する魔道具自体、作るのが難しいのだ。

 その魔道具づくりは難航を極めた。


 けれど魔道具師は、魔王の注文どおり、その魔道具を作り上げた。

 それは額に嵌めることで、白魔力の量を底上げする、額飾りサークレットだった。

 試みは成功したかに思えた。


 しかし魔道具は、すぐに廃品と鳴ってしまった。

 なぜならそのサークレットは、白魔力を底上げする代わりに、黒魔力と反発しあって、体に激痛をもたらすものだったからだ。

 魔族たちは必ず、大なり小なり黒魔力を持って生まれてくる。

 そのためそのサークレットの持ち主は、たびたび体調不良を訴えるようになり、すぐに危険物として封じられることになってしまった。

 


「……十五年前。何者かが、わしのアトリエに忍び込んだ」


「……」


「そうしてわしが隠していたサークレットを盗んでいったのじゃ」


 そうだったのか。

 それじゃあ、あのサークレットは、やっぱり……。


「魔道具は、人の暮らしを豊かにするためのものだ。しかしそれを、まるで拷問器具のように扱う輩がおった」


 そのサークレットには、嵌めたものの魔力を押さえ込み、居場所を探知できなくする副次効果があったのだという。


「……プレセアよ、本当に、申し訳なかった」


「……いいよ、別に。じいちゃんのせいじゃないもん」


 この人、どこまで知ってんだろ。

 魔王さまに、全部聞いたのかな。

 まあ、なんでもいいや。

 わたしはふるふると首を振って、伝えた。


「盗んだ人が悪い。どこかできっと、王家のサークレットはすり替えられてたんだね」


 もう終わった話だ。

 わたしはあのサークレットから開放されたのだから、もういいのだ。

 多分あのサークレットは、人間たちならうまく扱えるだろう。

 なぜなら、人間たちの中には、白魔力しか持たない「聖女」と呼ばれる存在がいるのだから。


「……もう何もかも、どうでもいいの。わたしほんとに、今は、何も考えてないからさ」


「本当か?」


「……本当だよ。魔王さまのことも、お城のことも、もういいんだ。わたしはあの場所へは戻らないから」


 おじいちゃんはため息をついて言った。




「それならどうして、そんなに泣いてるんだ?」


 


 あれ……。

 駄目だな、またわたし泣いてるのか。

 ほっぺを拭うと、ぐしゃぐしゃに濡れていた。

 枯れない涙なんかないっていうけど、涙って案外枯れないもんだ。

 拭っても拭っても、ポロポロとこぼれ落ちる。

 もー目が痛くてたまんない。

 うさちゃんもびっくりの赤い目だろう。


「毎日毎日、ここで泣きながら祈っている子どもがいると、噂されているぞ」


「……」


「お前、もういいんじゃないか。どうして城へ帰らないんじゃ」


 嗚咽を漏らさないよう、わたしは唇を噛み締めた。


 魔王さまの目が見えなくなってから。

 わたしは彼のもとを離れた。

 この神殿で祈っていれば、いつか女神さまに会えると思ったから。

 だって女神さまは、わたしのお母さんなんでしょ?

 だったら一度くらい、わたしの話聞いてくれるかもって思ったから。


 神さま、お願い。

 どうか魔王様の目をもとに戻してください。

 わたしの命と引き換えにしたっていい。


 魔王さまは自分のせいでわたしが戦いに巻き込まれ、自分の力が足りなかったせいで、わたしを見つけ出せずにいたのだと、悔やんでいた。

 そしてその事実を知って、わたしが魔王さまを嫌うのではないかと。

 おまけに伴侶だからといって魔王さまに縛り付けるのも良くないと、わたしの心と体は常に自由であれと、わたしをしがらみから開放した。



 そんな魔王さまを、誰が嫌いになんかなると思うっていうの?


 

 わたしは自分が、どれだけ魔王さまに愛されていたのか、分かる。

 わたしを十五年間探し続け、想い、最終的に神さままで動かした人を。

 運命まで変えてしまった人を。


 どうして愛せずにいられないと思うの?


 どうか魔王さまの目を、返してほしい。

 魔王さまには、もっといっぱい見なきゃいけないものがある。

 わたしなんかよりも守らなきゃいけないものがある。


 運命なんていうけれど、ひょっとしたら視力なんかを引き換えにしなくたって、わたしは魔王様のもとにやってこれたかも知れないじゃん。

 いいよ、わたしは、あと何年待ったって。

 あなたに出会えると分かっているのなら、あの拷問のような時間も耐えられる。


「わたし……もう、戻れないよ」


「なんでじゃ?」


「わたしなんかのせいで、魔王さま、目、見えなくなっちゃった……」


 魔王さまを見るたびに苦しくなる。

 みんな、口では言わないけど、わたしのせいだって、思ってるよ。

 苦しい。

 わたしは魔王さまの顔を、みんなの顔を見ることができない。

 申し訳ない。

 わたしなんかのために、魔王さまを全盲にさせてしまったことが。


「わたしなんか……わたしなんかのために……っ」


 こんな自分が嫌だ。

 結局、逃げてる自分が。

 真実に、向き合えない自分が。


 弱っちくて、なんにもできない自分が。


「そんなこというな」


 泣いていると、じいちゃんは首を横にふった。


「オズワルドは、お前さんの命と引き換えに視力を失うのなら、それは安いもんだと思っておるだろう」


 じいちゃんは、語る。


「魔王には伴侶が必要だ。前の魔王は、穏健派だったのに、自らの妻を白ノ血族に殺されて、殲滅戦なんてものを行ったんだ」


「……!」


「魔王はそれほど伴侶を愛する。自分の判断を狂わせてしまうほどに」


「わたし、なんかが……」


「だから、そんなふうに言うな。視力を失くしても、お前を助けたいと思った。オズワルドはそれほどお前に価値を見出しているからじゃ。だったら、素直にオズワルドの気持ちを汲んでやれ」


「……」


 わたしはぐす、と鼻をすすった。

 なんだろう。

 ちょっとだけ、胸が軽くなった。


 隣りに座っていたじいちゃんが、立ち上がる。


「オズワルドがお前に、お前がオズワルドに償うというのなら、わしもまたお前たちに償わねばならん」


「……?」


「さあ、泣くな、チビよ。さっさと立ち上がれ。聖女はやめにしたんだろ?」


「……うん。もう聖女はやめた」


「それなら祈ってばかりじゃ始まらん。行動せにゃ」


 おじいちゃんはニヤッと笑って、言った。


「提案がある」



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