運命を変えた代償は



 ──十五年前。


 エルシュトラ神を奉る大神殿のもとに、一つの御告げがくだった。


 それは、東の大陸にて、魔王の伴侶が誕生したという御告げだった。


 東の大陸は喜びに包まれた。

 白ノ血族によって、前魔王とその妻は亡くなってしまった。

 現魔王であるオズワルドは、それから家族もなく、一人きりでこの大陸を支えてきたのだ。

 ようやく現魔王であるオズワルドにも伴侶ができるのだと、そして次代の王が誕生するのだと、皆が喜んだ。


 けれどその御告げが成就されることはなかった。

 いくら御告げの特徴の赤子を探しても、見つからなかったのだ。

 女神の力を授かった赤子は、女神によって魔界に送り込まれる。

 それは赤子の姿のときもあるし、逆に成人した大人の姿であることもあった。

 御告げによると、今回の伴侶は、生まれたばかりの赤ん坊のはずだった。

 だから自分ひとりで移動したりすることなど、できないはずだったのだ。

 大陸を上げて探して回ったが、とうとう姫が見つかることはなかった。


 この事件に、大陸は悲しみに包まれた。

 いったい魔王の伴侶はどこへ行ってしまったのか。

 どこかで引き取られて、育てられているのか。

 後者であれば、ふさわしい年齢になれば、自然と己の本能で、魔王のもとへやってくる。魔王もまた、どんな場所へいても、伴侶を迎えにいくだろう。


 魔王の伴侶の件は、仕方なく様子見となった。

 もちろん、伴侶の捜索が欠かされた日は一度としてない。魔王がそれを許さなかったから。

 常に魔王の伴侶のことは、大陸中で話題となっていた。

 我こそが魔王の伴侶だと名乗りあげる者もいたが、そんな者は一度魔王が会えば嘘であると分かってしまう。

 嘘つきはもちろん罰されたし、魔王自身も伴侶だと名乗るものと出会うたびに、傷ついた。それが本当の伴侶であればよかったと一番感じているのは、魔王自身だったのだから。


 けれど魔王は、分かっていた。

 おそらく伴侶が、何者かによって、ここではないどこかへ連れ去られたのではないかということを。

 ……おそらく、白ノ血族の生き残りが、黒ノ血族殲滅のために、赤子をさらったのだということを。

 

 魔王には、伴侶を感知するための能力のようなものが備わっている。

 その本能が告げるのだ。


 伴侶は生きている、と。


 魔王は苦悩した。

 探しても探しても、見つからない。

 魔界にいるのなら、絶対に見つけられるはずなのに。


 魔王はとうとう、人間界にも捜索に乗り出した。

 けれどやはりそこでも、気配を探ることはできなかったのだ。


 生きているのは分かるのに、どこかにいるのかが分からない。

 十五年間、魔王は毎日毎日、伴侶を探し続けた。

 それは魔王を苦しめる呪いのようなものだった。


 だからこそ、余計に分かるのだ。

 これは誘拐なのだと。

 伴侶は苦しんでいると。


 魔王は伴侶を取り戻すため、女神に祈り続けた。

 そしてとうとう、そのときがやってきた。


 女神は魔王を哀れに思い、たった一度だけ、運命を変更することを許可した。

 代償と引き換えに、魔王とその伴侶の運命を変えたのだ。


 そうして魔王のもとへやってきたのが、プレセアだった。


 ◆


「そん、な……」


 言葉が出なかった。

 思考がうまく働かない。


 突然自分の出生の謎が解き明かされても、簡単に受け入れることなんて、できるわけがなかった。


「俺のせいで、お前は十五年間も苦しむ羽目になった」


 魔王さまは、苦しそうな声でつぶやいた。

 その手には、珍しく力が込められている。


「俺に力がなかったから、お前を救い出してやることができなかった」


 魔王さまは静かに言った。


「すまなかった。謝って解決できることではないと、よく分かっている。だが俺には、お前にこうして謝ることしか、できることがない」


「……わたし、は」


 部屋に沈黙が落ちる。


 魔王さまの戦いに、わたしは巻き込まれた。

 幼い頃に攫われて、人間界へ渡り、そこで苦痛の日々を強いられることになった。

 そして魔王さまの仮説が正しいなら、もしかして、院長先生は……。


 これ以上考えたくなくて、わたしの思考はストップした。


「……これからは、俺がお前を守る。何不自由なく生活できるように、サポートする。だが……たとえ魔王の伴侶として生まれ落ちようと、心も体も自由でいる権利がある」


 だから、と魔王さまは悲しそうに言った。


「……俺のそばに、いなくてもいい」


 ずきん。

 その言葉で、胸が激しく傷んだ。

 突き放されたみたいだと思ったから。

 魔王さまはわたしの首に手を伸ばした。


「お前は自由だ」


 首輪を撫でられた。

 けれどそれを外されることはない。


「この首輪もとってやりたいが、今はそうするわけにはいかない」


「……」


「これには、お前の中に刻まれた『呪印』の効果を防ぐ力があるからだ」


 ──呪印。


 わたしが聖痕だと思っていたそれは、呪印と呼ばれる強力な魔法で刻まれた、呪いの証なのだという。

 これがある限り、わたしの精神は安定しない。

 心の闇に囚われ、あのとき……人間界で皆殺しにしてしまったときのように、力を暴走させてしまう可能性があるらしい。


「この呪印は強力だ。この首輪をもってしても、一部、呪印の効果を抑えることができなかった」


 人間界へとつながってしまったし、力を暴走させもした。

 けれど首輪がなかったら、おそらくもっと早くに人間界の奴らに見つかってしまった可能性もある。

 そしてこの首輪のおかげで、わたしの精神は守られていたのだ。

 

「……俺よりも強い魔力の持ち主が、お前にこれを刻み込んだ。だから完全に抑えることは難しいのだろう」


 恐れていたことが現実になりそうで、わたしはひく、と喉をひきつらせた。


 この印を、刻んだのは──。


 ずっと黙り込んでいるわたしを心配したのだろう。

 魔王さまはわたしに手を伸ばしたけれど、びく、とふるえて、手を引っ込めた。


「……俺のそばにいなくてもいい。だがどうか、解呪だけは受けてほしい」


 解呪、というものは、この呪印をなくすための魔法らしい。

 魔王さまはずっとこの方法を勉強していた。

 解呪には魔王さまの力と、わたしに健やかな肉体と精神があることが、必須条件だったらしい。


 だからあれほど、魔王さまはわたしの体を必死に回復させようとしていたのだ。


「魔王さまは……」


「……ん」


「わたしのこと、嫌いになっちゃったの……?」


 そう問えば、魔王さまはぎょっとした顔になった。


「なぜ。そんなことは一言も言っていない」


「だって、そばにいなくてもいいって……」


「……俺のせいで、お前は苦しんだんだ。俺のことが嫌になっても、おかしくない」


 魔王さまは苦しそうな表情で、そう言った。


「だから最初は、できるだけお前に近づかないように、ペットだなんてことを言ったんだ。一定の距離を設けないと、お前にどんなに嫌われようと、きっと二度と手放したくないと思ってしまうから」


 だが失敗だった、と魔王さま続けた。


「ペットは家族だ。ひょっとすると、誰よりも一番近くにいる存在なのかもしれない……。俺はお前に惹かれすぎた。もう二度と手放すのは嫌だと思っている」


「……!」


「だがお前の幸せのためなら、この身を引き裂かれる思いだが、甘んじて受け入れよう。お前がどこか別の場所で暮らすということも、そこで別の誰かを好きになるということも」


 だんだんと、わたしの体はふるえてきた。

 魔王さまの視線は、真っ直ぐにわたしを見ている。


「何度でも言う。俺はお前を愛している。この世界の何よりも」


「……っ」


「俺はずるい大人だな、プレセア。こうやって優しいお前の心をひっかいて、傷跡を残して、お前をそばに止めようとするんだ」


 わたしはとうとうこらえきれなくなって、涙を流した。


「ねえ、嘘」


「……嘘じゃない」


「嘘って言ってよ」


 魔王さま、嘘つかないのは、よく分かっている。

 優しい人だってことも、わたしは知ってる。

 だからこそ、その事実はあまりにも辛かった。



「魔王さま、さっきから、どこ見てるの」



 魔王さまの目、おかしい。

 私を見てる。

 視線もあってるけど、なんだか何も映していないみたい。




「ねえ!! わたしを見てよ!!」


 


 運命を変えた代償。

 魔王さまが女神さまに差し出したもの。


「……俺はお前を愛している。その証拠と償いが、これだ」


「嫌だ! そんなのは嫌!!」


 わたしは魔王さまに飛びついて、泣きじゃくった。


「俺は、代償に、光を……」


「ひどい、ひどいよ……」


 神さまは、なんてむごいことをしたのだろう。


「わたしのために、なんでそんなことをしたの!」


「……お前に、償いたかった」


「あんた、魔王さまなんでしょ!? もっとちゃんと考えてよ! わたしなんかより、大切なもの、いっぱいあるのに……ッ」


「……」


 心がぐしゃぐしゃになった。

 悲しい。

 辛い。

 苦しい。


 この気持ちを、なんて表せばいいのだろう。


「……わたしなんかの、ために」


「何度でも言う。俺は、お前を愛していると」


 魔王さまに頭を撫でられた。


「世界は暗くなると思っていた。でもそうじゃなかった」


 魔王さまは、笑った。


「愛しいお前が、俺の光なんだ、プレセア」



 ──わたしを助けに来てくれたときから。


 あのときから、そうだったんだ。



 魔王さまは、わたしの運命を変えることと引き換えに、両目の視力を失ってしまった。


 

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