聖女ひまり


「よくお似合いですよ、ヒマリさま」


 女官がにこやかに告げる。

 ひまりは閉じていた目を開けて、自身の前にある、バラの彫り込みがされた美しい姿見に映る自分を見た。


「わあ、すごい……」


 身にまとうのは、溶け出したバターのような、あたたかみのある黄色いドレス。

 各所にレースがふんだんにあしらわれ、胸元には大きなリボンが結ばれている。まだどこか幼さを残す少女に、そのドレスはとても似合っていた。


「かわいい。でもこんな日本人顏にドレスなんて、似合ってるのかな」


 不安そうにひまりがそう言うと、そばにいた女官が微笑んだ。


「何をおっしゃるのやら。ひまりさまはお美しいので、どんなドレスだって、似合いますよ」


 ひまりは日本人特有の顔立ちの薄さを気にしてはいたものの、それが幻想的な雰囲気を醸しているのだと、周りには絶賛されていた。

 

「私にはもったいないくらいかわいいドレスだと思うけど……」


 ひまりのつぶやきを否定する声が後ろから聞こえてきた。


「そんなことはない。今の貴女は、世界で一番素敵だよ」


「っエル!」


 ヒマリがぱっと振り返ると、エルダーがにっこりと笑って、そこに立っていた。

 いつもならエルダー殿下、と呼ぶところだが、今はプライベートな時間。

 ヒマリはエルダーの愛称を叫ぶと、吸い込まれるように、エルダーの元へかけてゆく。

 エルダーはおっと、とヒマリを受け止めた。


「びっくりした! お仕事じゃなかったんですか?」


「貴女に逢いたくて、少し抜け出してきた」


 エルダーの甘い言葉に、ひまりは頬を赤くする。


「私も会いたかったです」


 エルダーはひまりをソファへ誘った。

 周りにいた侍女たちが、素早く場を整える。


「体の調子はどうだい?」


「もうすっかりよくなりました!」


 ヒマリはにっこりと笑って言った。


「スタンピードも乗り越えましたし……しばらくは大丈夫なんですよね?」


「……ああ、おそらく」


 少しだけ、エルダーは顔を曇らせた。


「だが、やはりひまりにも、助けがいた方がいいだろう?」


「それ、は……」


 ひまりは目を伏せる。


「プレセアのことだが、考えてくれただろうか」


 ──プレセア。あの、お人形みたいな女の子。


 ひまりはぎゅ、と拳を握った。

 ひまりのために仕立てられたスカートに、シワがいく。


「……日本では、二人も妻を持つことはありえませんでした」


「ああ」


「本当は嫌です。エルに他の奥さんがいるなんて」


 ひまりは悲しそうに首を振る。

 けれど顔を上げて、エルダーを見た。


「でも……仕方ないです。私だけのエルではないのだから」


「ヒマリ……」


「二番目の妻を受け入れます。わたしもプレセアさんと、仲良くしようと思います」


 エルダーは満足したように頷いた。


「ありがとう、ヒマリ。君は素晴らしい女性だ」


「……エルのことが、大好きだから」


 ひまりはエルダーに抱きついた。


「だが安心してくれ。妻と銘打ってはいるが、ヒマリのようにいい暮らしはさせないよ。彼女には神殿で暮らしてもらうし、第一身分がもとから違うんだ。わたしたちの隣に並ぶなんてことは、ありえない」


「ほんとう?」


「ああ。こんな風に、贈り物をすることもない」


 よく似合っているよ、とひまりの手をとって、甲に口付けを落とす。

 黄色いドレスは、エルダーからのプレゼントだったのだ。


「よく似合ってる」


「……ありがとう」


 ひまりは頬を染めた。

 こんなことは、日本にいては、体験できないことだと思った。

 ここへきてから、初めての体験ばかりだ。

 聖女と崇められることも、高価はプレゼントをもらうことも。

 すごくキラキラして、素敵なことばかり。


 ただ一つひっかかるのは、プレセアのことだけ。


「プレセアはヒマリの侍女だと思えばいい」


 けれどそれも、エルダーは不安を打ち消してくれる。


「……そうですね。スタンピードのときは、私の力をもってしても、苦しかった。これからは、二人で協力しなきゃ」


「急激に瘴気濃度が高まっているんだ。仕方がない」


 ひまりはこくりと頷いた。


「プレセアは近いうちに、ここへ来るだろう」


「エル……そういえば、どうやってプレセアさんをここへ呼んだんですか?」


「なに、簡単な魔法を使って、あいつの頭に呼びかけた」


「魔法……」


 ひまりは眉をひそめる。


「魔法って、悪いものなんですね? 魔物の力を使うから……」


「ああ、その通りだ。だからプレセアの『首輪』として、汚れた力を刻み込んだ。あいつはもともと、汚れた力を溜め込んだ存在でもあるからな」


「……それなのに、どうして聖女に?」


「分からん。その当時、神殿が光り輝いて、お告げが降りたんだ。西の孤児院にいる金色の髪の子供が、この国を救う聖女となる、と」


 ひまりは首をかしげた。


「でも……わたしのときも、そうだったんですよね?」


「ああ、あのときのことは私もよく覚えている。まばゆい光の中、ここへやってきた君を」


 眩しい光を見るような目で、エルダーはひまりを見た。


「私は、そのときのことはよく覚えてないんです」


 ひまりは少し寂しそうに言う。


「もとの世界にいたころ、わたしにとって、確かに何かがあったような気がして……でも、気づいたらこの世界にいた」


「空間を渡った際の記憶がないんだな」


「はい。家族のことも、友人のことも思い出すと、やっぱり寂しくなっちゃいます」


「ひまり……」


「でもいいの。今は、エルがそばにいてくれるから」


「ああ。ひまりのことは、私が責任を持って、大切にするよ」


 二人は見つめたった後、軽く口付けを交わした。


「そういえば……プレセアさんは帰ってくるって言ってましたけど……どうして?」


「ああ……簡単なことさ」


 エルダーは笑った。


「プレセアの……魔力持ちの子どもを隠していた罪で、孤児院を併設していた神殿の神官は捕まっていたんだ。今までもそうだったんだが……言うことを聞かないときは、その神官がどうなってもいいのかと、脅してやっていた」


「まあ」


「だが、実はもう、彼はとっくに死んでいるんだ。風邪をこじらせて、ある日あっさり逝ってしまったようだよ」


 エルダーは笑う。


「プレセアは神殿で大切に守られて、育てられてきた。だからこのことを、知らないんだ」


「じゃあ、嘘でおびき寄せたってこと?」


「ああ……まあ、そうなるな。だがプレセアは罪人なのだから、仕方がない」


 エルダーは首を振った。

 ひまりは表情を曇らせている。


「神官の死に伴って、彼の孤児院もなくなってしまったよ」


「!」


「プレセアは気づいてないだろうけどね」


「エル、ひどいわ。プレセアさんが可哀想……」


「なに、彼女はそれよりもひどいことをした」


 エルダーは当然だ、とでも言うように、鼻を鳴らした。


「仕方のないことさ。君を傷つけたような女なんだから」


「わ、私……」


 ひまりはエルダーに何かを言おうとした。

 けれどそのとき、部屋にエルダーの秘書官が飛び込んできた。


「殿下! プレセアさまが戻ってきたようです!」


「なに! 本当か!」


 エルダーの顔が輝く。

 立ち上がると、急いで秘書官の後へ続く。


「あ……エル……」


 寂しそうに、ひまりは手を伸ばす。

 けれどその手は、エルダーには届かなかった。


「……ヒマリさま、大丈夫ですよ」


 しばらくエルダーのいなくなったドアを見つめていると、女官にそっと肩に手をかけられた。


「うん」


「エルダーさまの御心は、ヒマリさまにあります。あのプレセア悪魔なんかに、ヒマリさまが負けるはずございません」


 女官も、侍女も、多くのものがひまりの味方だった。

 ひまりは胸でぎゅ、と手を握った後、目を見開いて、つぶやく。


「このサークレットは、わたしのものなんだから」


 そっと右手でサークレットに触れる。

 サークレットは、太陽の光を浴びて、きらりと輝いていた。


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