わたしと本物の聖女さま
ろくなごはんももらえず、わたしはぐぎゅう〜と鳴るお腹をごまかすように、壁に凭れて眠っていた。
ウトウトしていると、遠くから足音が聞こえてくる音がした。
「ヒマリさま、危険です。今なら間に合いますから、戻りましょう」
「大丈夫だよ、それに可哀想じゃない……」
牢屋に似合わない、かわいい声。
ほんの少し甘みを帯びたその声で、意識が覚醒した。
鉄格子の向こうに、お姫さまみたいに綺麗な女の子の姿と、おそらく女官と思われる女性の姿が見えた。女官は必死に少女に戻るよう説得していたけれど、少女はまったく聞いていないようだった。
「ちゃんとお話をしておかないとって、思って……」
少女は女官を諌めるようにそう言った。
「しかし……」
「聖女の命令よ。お願い、少しの時間でいいの。二人にしてくれない?」
あんなに鎖でぐるぐるなんだから、大丈夫、と少女は言った。
「……分かりました」
女官は不満そうな顔をして、少女のそばから離れた。
「……プレセアさん、起きてる?」
少女──ひまりちゃんはそう言って、恐る恐るわたしに話しかけてきた。
わたしが顔を上げると、ハッと息を呑む。
「本当に子供になってる……」
「……」
「可哀想……魔界でひどいことをされて、こんなことになってしまったんでしょう?」
どう話がねじ曲がったら、そんなことになるんだ。
「違うよ。わたしは魔界で何もされてないよ。むしろあっちでの生活ほうが、幸せだった」
そう返答すれば、ひまりちゃんはひゅ、と息をのんだ。
まるでわたしが話すとは思わなかった、というように。
あれ……そういえばわたし、彼女とまともに話をしたのは、初めてだったかもしれない。
何度か会う機会はあったけれど、わたしは自分のことにいっぱいいっぱいで、話をする余裕なんてなかったのだ。
「嘘……エルが、プレセアさんは魔界でひどい目にあったようだって……」
「そんなわけないよ」
そう返事をすると、彼女は怯えたような目をした。
わたしがまともに返事をすることが、珍しかったのだろう。
そういえば、ほんっと、昔のわたしはしゃべらなかったもんなぁ。
「……プレセアさん、ここにいたら、安全ですからね」
ひまりちゃんは、暗い目でそう言った。
いや安全って……むしろ危険なんじゃ……。
「エルダー殿下の妻として、仲良くしましょう?」
ね?
とかわいい笑顔でそう言われて、なんだか薄ら寒くなってしまった。
「……わたし、あの人の側室にはなりたくない。聖女だって、もう辞めるよ」
「……え?」
「わたし、それを言いに、ここへ来たんだよ」
ひまりちゃんはきょとんとしたあと、まるで可哀想な人を見るような目で、わたしを見つめた。
「……やっぱり、殿下の言ったとおりだわ」
ぽつぽつと呟く。
「プレセアさんて、少しおかしいっていうか、嘘つきなんだ……」
誰が嘘つきだよ。
エルダー殿下のやつ、ひまりちゃんに一体何を吹き込んだんだ。
ひまりちゃんはにっこり笑うと、わたしに言った。
「プレセアさん……いいえ、これからはプレセアと呼ばせてもらうね。だってわたしのほうが、立場的には上だから」
エルダー殿下の正妻だからってこと?
「でもわたし、プレセアとは仲良くしたいと思ってるの。いがみ合うなんて、なんだかよくないよ」
「……わたしのこと、嘘で処刑したのに、仲良くしたいの?」
そう聞くと、彼女はぎくりとした。
「そ、それは……」
「わたし、ひまりちゃんに嫌われてるんだと思ってた。本当は、違うの?」
意地悪な質問だなぁと思う。
でも、わたしの本心でもある。
気になるのだ。
ひまりちゃんの気持ちが。
わたし、多分、この人の気に障ることを、過去にしでかしてしまった気がするから。
ひまりちゃんはわたしを見たあと、少しだけ眉を潜めた。
「……わたしは、プレセアの、聖女に対する姿勢が、ふさわしくないって思ったの」
「……」
「聖女は国民を守る母親のようなもの。それなのにあなたは、『そんなものになりたくない』って言ったよね?」
そういえば、言ったような気もする。
というか、わたし、毎日言ってたわ。
「嘘をついてしまったことは、本当にごめんなさい。本当はあのとき、殿下に言って、プレセアを聖女の任から開放するだけのつもりだったの。でもエルが、あなたを処刑してしまった」
「……」
あの人は、いつもわたしを解雇するチャンスを狙っていたからね。
「だけどわたし、あのときの自分は間違ってないって思ってる。だってあなたは、聖女としてふさわしくない」
「……それなら、なんでわたしを放っておいてくれなかったの?」
よくわかってんじゃん。
わたしが聖女にふさわしくないってことは。
ひまりちゃんは悔しそうな顔をして言った。
「だって……わたし一人の力だけじゃ、この先不安だったの」
「なんで? わたしより、聖力強かったじゃん」
「この先、もっともっと強いスタンピードが来てしまったら……わたしだけじゃ支えきれないかもしれない」
なるほど。それで二人で支えようねってわけか。
「それに交代で結界を張れたら、お互いに負担が軽くなるかなって……」
ずっと結界を貼り続けているのは、しんどいし……とひまりちゃんは言った。
「だから、プレセアは聖女じゃなくて、わたしを支える形で、殿下の二番目の妻としていてほしいの。この国の人たちのためにも」
「……」
「あと、このサークレットは渡さないから。これは、聖女になる覚悟のある人しか、つけちゃいけないんだと思う」
……どうもありがとう。
それを聞いて心底安心したよ。
やっぱりわたしには、あの男と結婚するなんてことは、考えられなかった。
それよりも真っ先に浮かぶのは、魔王さまのこと。
わたしは、彼のそばにいたい。
魔王さまのところに帰るって、決めてるから。
だってもう、分かってるんだ。
魔王さまはきっと、わたしが聖女だったとしても。
本当は十五歳だったとしても。
わたしを受け入れてくれるって。
信じてるから。
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