魔王さまの本名は
「ねえ……ここ、なに……?」
魔王さまと手をつないで街をぶらぶらしていたら、魔王さまは突然、わたしを抱っこして、転移魔法を使った。
行き先は街から少し離れた、山の麓。
目を開けると、目の前には、白くて長い階段があった。
上を見上げると、荘厳な石造りの神殿が。
あまりにも立派で、わたしはポカンと口を開けてしまったのだった。
「エルシュトラ教──魔界の女神を奉る神殿の総本山だ」
「エルシュトラ教……」
「お前たち人間は、確かセフィナタ神を信仰しているんだったな」
セフィナタとエルシュトラ。
この二柱の神は、人間界と魔界を生み出した、夫婦神と言われている。
けれどわたしたち人間は、エルシュトラを決して神として信仰してはいけない。
なぜならわたしたちは、セフィナタ神を唯一の絶対神として崇めなければならず、エルシュトラは欲望に落ちぶれた女悪魔だと教えられてきたからだ。
「……」
わたしは神殿を見て、戸惑っていた。
魔界の人々は、エルシュトラ神を信仰しているのか。
だったらわたし、なんだかここにいちゃいけないような……。
「神殿の中を見せようと思ったんだが、行きたくないか?」
魔王さまはわたしを見て、首をかしげた。
「わたし……」
本来なら敵対する関係にあるはずの宗教の総本山に入るなんて、あまりよくないことなのかもしれない。
けれど、どうしてだろう。
わたしはこの場所が、嫌いじゃなかった。
むしろ、この場の空気は清涼で、とても心地よかった。
まるであの神殿の中へ呼ばれているみたい。
わたしは魔王さまに返事もせず、ふらふらと歩き出した。
「こら」
手を掴まれて、ハッと我にかえる。
「階段は危ない」
そう言って、魔王さまはわたしを抱っこした。
◆
「きれい……」
神殿の中には、誰もいなかった。
今日は閉殿の日にあたり、本来なら関係者以外立ち入り禁止なのだという。
しかし魔王さま特権で特別に祈りの間へ入れてもらったのだ。
祈りの間は、非常に美しい空間だった。
天井近くまではめ込まれた精緻なステンドグラスから、日の光がこぼれ落ちている。その光を浴びて輝くのは、女神の彫像だった。
人間界ではセフィナタ神を信仰しているため、エルシュトラは醜く描かれることが多かった。
しかしここにある女神の彫像は、とても美しくて、崇高なもののように見えた。
魔界の人々が崇める神とはなんなのだろう。
わたしたち人間の崇める神とは、何が違うのだろう。
ふとそんなことを考える。
「珍しいか」
会衆席に、尊大な態度で腰をかけていた魔王さまが、そう聞いてきた。
おいおい、いいのか魔王さまよ。
神様の前なんだぞ。
態度がでかすぎるんじゃないのよ。
「お前こそ、なぜそんなことをしている?」
「……え?」
まるでわたしの心を読んだかのように、魔王さまは面倒そうに言った。
「なぜ膝をついているのかと聞いている」
「あっ……」
ぎょっとして、わたしは慌てて立ち上がった。
気づかないうちに、つい癖で、膝をついて神に祈る体勢をとろうとしていたのだ。
十年も祈り続けてきた癖が、染み付いてしまっているのだろう。
「に、人間界では、こうやってみんな祈るから……」
適当な言い訳をする。
聖女だってばれたらどうしよう。
心臓がばくばくしたけれど、結局魔王さまはそれ以上深く追求してはこなかった。
「お前たちの世界と魔界とは、どれだけ世界創造の神話が違うのだろうな」
「……魔界には、どんな神話があるの?」
恐る恐るそう聞くと、魔王さまは目をつぶって、説明してくれた。
──いわく。
その昔、二柱の創生神が、仲良く手を取り合って二つの世界をお創りになった。
力は弱いが、協力し合うことで絶大な力を生み出す人間の住む『人間界』。
一人一人が強く、魔力と言われるエネルギーを生まれながらにして持つ魔族の住む『魔界』。
その昔、女神によって創生されたこの魔界は、個々の力を競い合って殺し合いが勃発する、争いの絶えないひどい世界だった。
魔界はひどく荒れ果てた世界で、力を持たない弱い種族は、人間界に逃げ込むしかなかった。
けれど人間界では、魔族に対する差別が激しかった。人間は同じ人間同士なら仲良くすることができるが、ひとたび自分たちとは違う種族が現れると、それを脅威として認定し、仲間とは認めなかったのである。
また、人間は魔力持ちも異質なものとして、決して受け入れなかった。
あるとき、女神は荒れ果てた世界に嘆き、北、南、西、東、合わせて四つの大陸から一人ずつ魔族を選出し、自らの血肉を分け与えた。
これがいわゆる『魔王』である。
魔界に住む魔族たちには、自然と創生神を敬う本能が備わっている。
それゆえ、魔族たちは女神の血とエネルギーを与えらた『魔王』を敬うようになった。そして魔族たちは争い合うのをやめ、それぞれの大陸に君臨する『魔王』に付き従い、尽くすようになったのである。
「え、待って待って、ちょっと、ストップ」
今まで聞いたことがなかった話をいきなり聞かされて、わたしは混乱してしまった。
「なんだ」
混乱するわたしを見て、魔王さまは首をかしげる。
「魔王さまって四人もいるの?」
「ああ、そうだ」
「一人じゃなかったの!?」
魔王さまはため息を吐いた。
「世界をたった一人で管理できるわけないだろう。俺は西の大陸を管理する魔王だ」
え、ええ〜!?
わたしゃてっきり、魔界を治めるのはあなただけなのかと……。
「じゃああと三人、魔王がいるの?」
魔王は頷いた。
「北と東は女、南は男の王が治めている」
「そうだったの!? 四人で仲良く世界を管理してたってこと?」
「……別に仲がいいわけじゃない。南のやつは気に食わん」
な、なんか喧嘩でもしたんかな。
南、と言った時だけ、魔王さまは不機嫌そうな顔になった。
「それぞれの大陸ごとに風土と文化もだいぶ違う。俺は東が気に入っている。面白いものが多いからな」
「面白いもの……?」
「今度連れて行ってやろうか」
魔王さまは笑って言った。
「! ほんと?」
「ああ」
わたしは子供のようにぴょんぴょん跳ねた(いや子供なんだけどさ……)。
なんだか一気に、世界が広がったような気がする。
ほんとにわたし、魔界のこと、なんにも知らなかったんだなぁ。
「魔王さまって、女神さまの血を受け継いでたんだね」
「そうだが」
そうだがって……。
そんな当たり前みたいな言い方しないでよ!
ここにいるのが女神の末裔だなんて、わたしどうすればいいんだよ。
「その、女神さまの血が入っているから、みんなは魔王さまに従うの?」
「そういうことになってはいる」
「?」
「……昔は、ここまで平和じゃなかった」
魔王さまは考え込むように口をつぐんだ。
それから私をちらと見て、迷うように話す。
「初代の魔王が生まれてから、ここまで大陸の治安を安定させるのに、随分と長い時間を要した」
「それはなぜ?」
「……魔王の治世に反対するものがいたからだ」
反対するもの……。
「その、反対していた人たちは、今はもういないんだよね?」
「……さァ、どうだろうな」
なんか不安な話だなぁ。
やっぱ、人間界も魔界も、同じような不安はあるんだね。
「魔王さまって、なんかすごいね。ますます遠い存在に感じるよ」
わたしが関心しきってそういうと、魔王さまは呆れた顔をした。
「お前、俺のことを魔王、魔王と呼ぶがな」
「?」
「俺は魔王という生き物じゃない」
ぷい、と魔王さまはそっぽを向いて言った。
「俺にも名前がある」
「そ、そういえば!」
今まで一回も、聞いたことなかった……。
「俺に興味がないんだな」
「そ、そんなことないよ」
わたしをたすけてくれた魔王さまだもん。
そりゃあわたしだって興味津々ですよ。
「名前、教えて?」
「教えない」
「なんでよ」
「ごくごく普通の、ありふれた名前だから。どうせお前は興味ないんだろう」
あれ、なんだろう。
魔王さま拗ねてる……?
初めて見る魔王さまの態度が、ちょっとおもしろかった。
そのあとはいくら問いただしても、結局名前は教えてくれなかった。
いいもーんだ、あとでティアラに聞くからさ。
「でもやっぱり、人間界で教えられてきた歴史とは、全然違うよ」
わたしは会衆席にぽん、と腰をかけてそう言った。
「わたしの世界ではさ……」
そう言って、ふと言葉が詰まった。
「わたしの、世界では……魔族は、魔王さまは、残酷で……」
「……」
「それで、わたしたち聖女が……」
聖女がずっと結界を張ってなきゃいけないって。
そうじゃないと、魔族たちが攻めてくるから。
瘴気が、人間界に侵食してくるから。
「……魔王さまは、人間界が、欲しいの?」
おそるおそるそう聞いた。
「お前たちの世界では、そうなっているのか」
「……違うの?」
魔王さまは言葉を選んでいるようだった。
なぜ、そんな風に濁しているの?
それ以上聞くのが怖くなってきた。
──魔王さまは、冷酷で、残酷なはずで。
人間にとっては、悪い生き物のはずだった。
けれど、実際に私の目の前にいる魔王さまは、わたしにひどいことなんて、何一つしなかった。
むしろ……むしろ、人間界でわたしの周りにいた人たちのほうが、なんだか、冷酷だったような……そんな気がする。
「もう行くか」
魔王さまは話をぶった切って、いきなり立ち上がった。
わたしもこくんとうなずいて、そのあとに続く。
魔王さまはわたしと、しっかり手をつないだ。
その手はとても、あったかかった。
わたしはその手にすがるようにして、魔王さまのあとを歩く。
考えることが、少し怖い。
もしも、もしもの話だけど。
わたしが十年間教えられてきたことが、全部間違いだったのだとしたら。
わたしは。
わたしはなんのために。
わたしの十年間は、一体──。
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