脱走します


「お散歩は、魔王さまの許可が下りたらにしましょうね」


 外に出たいとねだったわたしに、ティアラは困ったようにそう言った。

 な、なんで魔王さまの許可がいるの?

 外に出るくらい、いいじゃん〜とわたしは頬を膨らませた。


 城での生活もだいぶ慣れてきた頃。

 相変わらず魔王さまとの距離は測りかねていたけれど、わたしの毎日は神殿にいた頃よりも、ずっとずっと良くなっていた。


 体の痛みもなく、忙しいわけでもなく。

 毎日のんびりと、お菓子を食べたり、お昼寝したり、お菓子を食べたりしている。


 けれどそろそろ、部屋にずっと引き篭もっているのも退屈になってきた。

 せっかくだし、お城の中を見学して回りたいな、なんて。

 ペット生活に甘んじて、そんなことを思うようになっていたのだった。


「ねえ、ユキ、バニリィ。わたし、外に出てもいいでしょ? そう思うよね?」


 わたしに与えられた大きな部屋には、今、三人の側仕えがついている。

 ティアラのほかに、ユキとバニリィという侍女がもう二人、追加されたのだ。

 ティアラが主になってわたしの世話をしてくれ、足りない時はユキとバニリィが手伝ってくれるという形だ。もちろん、その他の女官たちもよくこの部屋には入って来る。わたし珍獣のお世話をしたいらしい。


「……ダメですよ、プレセアさま。もう少し元気になってからにしましょう」


 涼やかな声でそう言ったのは、ユキだ。

 彼女は真っ白な髪と、薄氷のようにきらめく水色の瞳を持つ、エルフ族の少女だった。額に瞳と同じ色の石のようなものをひっつけていて、なんだか神秘的な感じ。物静かだけど、とてもしっかりしている人だった。


「そうですよぅ。何かあったら怖いです。大変です」


 心配そうな顔でそう言うのは、バニリィ。

 彼女は頭からうさぎの耳が生えた、兎獣人ロップイヤー族の女の子だ。 

 ピンク色の垂れ耳と、蜂蜜色の垂れ目が特徴的で、ちょっと気が弱い。

 わたしがずっと、うさぎのぬいぐるみを抱いていたから、馴染みやすいのではないかと選ばれたらしい。すごい理由だ。


「なんで? わたし、もう元気だよ」


 ぶんぶん手を振ってみせる。

 けれど三人は揃って首を横に振った。

 もう少し体がよくなったらにしましょうね、と言われてしまう。


 なんでよ!

 もう元気じゃん! 元気いっぱいじゃん〜!


 魔王城へ来てから、わたしは何度か医者の診察を受けている。

 体に病気があるわけではないけれど、栄養失調を起こして、あまりいい状態ではないらしい。

 これでもちょっとはよくなったんだけどな……と思ってしまうわたしは、やっぱり神殿に思考を毒されているのだろうか。


 ぷくうう、と頬が膨れていたからだろう。

 ティアラが苦笑して言った。

 

「プレセアさま、そろそろお茶にしましょうか? 今日は職人が腕をふるった、美味しいアップルパイがあるんです」


 お菓子で釣ろうったって、そうはいかないんだから!


「あら、バニラアイスクリームを添えてお出ししようと思ったのだけれど、お気に召さないのかしら?」


 いや食べるけどさ!!!


 ティアラはすっかりわたしの扱い方を心得ていたのだった。


 ◆


 魔王城に馴染み始めていたわたしだったけれど、まだ脱出を諦めたわけじゃない。

 魔王城の人たちには感謝している。

 わたしを助けてくれて、こんなにいい暮らしをさせてくれて。

 でも、だからこそ、あまりここに長居するのは良くないと思うんだ。

 嘘ついて居座っちゃってるわけだし。

 

 とはいえ、こんな幼女の姿では何もすることができない。

 すぐ眠っちゃうし、思考もまとまんないし。

 言動もなんだか幼くなってしまう(元からバカなわけじゃないぞ〜!)

 だからまずは、この姿を元に戻す方法を探ろうと思う。

  

 わたしの計画的には


 ①元の姿に戻る方法を見つける

 ②魔王城からの脱出経路の確保

 ②魔王城を脱出

 ③人間界に戻る


 という順番を考えている。

 ①と②は同時進行でも大丈夫だ。

 とにかく知ることから始めなきゃいけない。

 ってことはやっぱり、部屋に引きこもっているのは良くないんだよね。

 外に出なきゃ、なんの情報も集まらないし。


 アップルパイの食べかすで口を汚していたわたしは、ちらっと部屋の中にいる三人の侍女たちを見た。

 こうなったら、ちょっと強引だけど、わがまま作戦でいくしかないね。


「ねえティアラ、わたし、のど渇いたな〜」


 そばで給仕をしていたティアラに、そう声をかける。


「はい、それでは紅茶をもう一杯お入れ致しますね」


 ティアラは微笑んで、紅茶を淹れ直そうとした。

 わたしは慌ててそれを止める。


「ううん、紅茶じゃなくて、あったかいミルクが飲みたい!」


「あら、ホットミルクですか」


 困りましたね、とティアラは眉を寄せる。

 ここにはないんだから、そりゃ困るだろう。

 飲みたい飲みたいと駄々をこねれば、ティアラは苦笑した。


「それじゃあ、厨房にいって、頼んでみますね」


「うん! ありがとう!」


 ニコォと笑って、ティアラが部屋から出て行くのを見届ける。

 さあ、今度はユキの番だ。


「ねえユキ〜、わたしのクマちゃん知らない?」


「クマちゃん、ですか」


「ベッドの下とかにいっちゃったのかなぁ〜?」


「……探してみましょうか?」


「うん、ありがと!」


 しめしめ。

 うまくいったぞ。

 ユキは素直に、ベッドの下をごそごそし始める。


「バニリィ、さっきねぇ、女官長がバニリィのこと探してたよ」


「えっ!? 女官長が!?」


 ちょっと強引かなぁとも思ったけれど、普段からやらかしているのか、バニリィは文字通り飛び上がって驚いた。


「わたし、また何かやっちゃいましたか!?」


「バニリィどこにいるのーって、言ってた」


「わわわ……どうしよう、お洗濯のことかしら……それともお皿を割っちゃたことかも」


 途端にバニリィはあたふたとして、落ち着きがなくなった。

 適当に言ってみたけど、心当たりがあったらしい。


「す、すみません姫さま、わたしちょっと……」


「うん。早くいった方がいいんじゃないかなぁ?」


 ぴゃーっとバニリィは部屋から出て行ってしまった。


 わっはっは!

 どうだ! この完璧な作戦は!

 見た目は五歳! 頭脳は十五歳!

 これがわたしの脱出作戦なのよ!!


 ユキはベッドの下をゴソゴソと漁っていて、お尻が揺れているのが見えた。

 それを横目に、わたしはそろりと椅子から降り、うさぎのぬいぐるみ(緩衝材用)をひっつかんで、窓から外に飛び出す。


「よっと!」


 ふっふっふ。

 三度目の正直だ。

 最近、みんなの目がないところでこっそり魔法の練習してたんだよね。

 そのおかげで、だいぶコントロールが効くようになってきた。

 長時間飛ぶことは無理だけど、数分区切りくらいなら楽勝だ。


 今度は華麗に、庭に着地する。

 

 ということで。

 情報収集がてら、お城を探検してみようと思います。


 おー!!!


 ◆


 人気のない場所を選んで、トタトタとお城の中を走りまわる。

 人が来たらささっと隠れ、どうしても人が多いところを通らなければいけないときは、天井近くまで飛んで移動した。

 みんな、意外に天井には気を配っていないみたい。まあ、天井もめちゃくちゃ高いしね。


 空を飛ぶ魔法って、実はあまり使わないのだろうか。わたし、これ、好きなんだけどな。というか、これ以外の魔法は危なっかしくて、あまり得意じゃない。


「すごい……」


 お城の中を一人見て回る。

 一度だけ、魔王さまと一緒に廊下を歩いたときにも思ったけれど、やっぱり広い。城の尖塔なんて、首が痛くなるくらいに見上げなくちゃ、全体が見られない。

 いろんな部屋を覗いてみた。

 音楽の間に、晩餐室、舞踏室、謁見室、王座の間。

 数え切れないくらい部屋があって、全部見て回るのにどれくらいかかるだろうと、冷や汗をかいてしまった。


「あれ、なんだかいい匂いがする……」


 ふと、しばらく城の中を見て回ったところで、料理のいい香りが漂ってきた。

 こ、これはたまらない。

 わたしは犬のごとく、鼻をくんくんとさせて、匂いの元をたどってみた。


 ◆


「うわぁ、すごーい!!」


 たくさんの機材が並び、白い服にコック帽をかぶった料理人たちが、せわしなく働いている。

 わたしはドアの隙間からそーっと、厨房を覗いていた。

 魔界式の料理道具はすごく面白くて、何かスイッチのようなものを回すと、火がボウっと出ていた。あれ、どういう仕組みなんだろう?


「おいおい、なんだ? どこから入ってきたんだ」


 料理に見とれていると、後ろから野太い声が聞こえてきた。

 ぎくっとして振り返れば、コック帽をかぶった髭もじゃおじさんが、わたしをまじまじと見ていた。

 し、しまった。

 夢中になって、背後に気づかなかった……。


 な、なんか言わなきゃ……と思って、とっさに口を開く。


「えと……お腹へっちゃった」


 とんでもない言い訳が出てきてしまった。

 なんだよお腹減っちゃったて。

 さっき食べたばっかじゃんかよぉ。


「腹が減っただ?」


 髭もじゃおじさんは、わたしをまじまじと見つめる。

 何か考えるように顎をさすった後、にっこりと笑った。


「それなら嬢ちゃん、なんか食べてくか?」


「! いいの?」


 ぱあっと笑顔になるわたしに、髭もじゃおじさんは頷いた。


「ちょうど、感想を聞きたいもんがあったんだ」


「?」


「ほら、入りな」


 髭もじゃおじさんに促され、わたしは厨房にいれてもらうことになった。

 もちろん料理人さんたちがせわしなくしているところじゃなくって、端っこにあるテーブルと椅子に座らされる。

 ちょっと待ってろよ、と言われ、わたしは足をぶらぶらさせながら、頬づえをついて、厨房を眺めた。


 火を生み出す魔道具に、水が出てくる不思議なひねり。

 人間界にないものばかりで、見ているだけでワクワクした。

 わたしもあれ、使えるのかな。


「ほい、お待たせ」


「!」


 いたずらしたくてワクワクしていると、髭もじゃおじさんが帰ってきた。

 マグカップを一つ、わたしの前にデンとおく。


「うわぁあ! なにこれ!」


 マグカップの中に淹れらていたのは、ただの飲み物じゃなかった。


「ネコちゃんがいる!!」


 おそらく、マグカップの中に淹れられていたのは、ココアだろう。

 けれどすごいのはそこじゃなくて、ココアの上に、ネコの形をしたもこもこクリームがのっていたことだ。

 本物のネコみたいで、かわいい!


「これ、おじさんが作ったの?」


 キラキラした目でそう聞くと、髭もじゃおじさんは照れたように鼻をすすった。


「おうよ。最近、都で流行ってるからな。一度魔王城でも出してみたかったんだ」


 へえ〜。

 こんなのが流行ってるんだ。

 魔界っておもしろいなぁ!


「遠慮せず飲みな。まずかったら意味がないからな」


「うん!」


 飲むのがもったない。

 でもわたしは飲むぞー。


 五歳児には少し大きめのマグカップを、両手で包んで持ち上げる。

 それから、ネコちゃんのクリームとキスをするように、こくこくとココアを飲んだ。

 う〜ん。味もちゃんと美味しい。

 すごく美味しいよ! と笑ってみせると、髭もじゃおじさんはわたしの口周りにひっついていたらしい泡を拭って、嬉しそうな顔をした。


「おお、よかった。それなら一度、魔王さまにもお出ししてみるか」


 ココアを吹きそうになってしまった。

 このネコちゃんココアを魔王さまに出すのか……。

 あの怖い感じの魔王さまに……。

 このプリチーなネコちゃんココアを……。


「よし、嬢ちゃん、さっき美味しいクッキーも焼いたから、ちょっと待ってな」


「ありがとー!」


 髭もじゃおじさんは、くしゃりとわたしの頭を撫でて、また厨房の方に戻っていた。

 彼の姿が見えなくなってから、わたしはそーっと椅子から飛び降りる。

 そして近くにあった大きな木の箱の影に隠れた。

 そうしたら案の定、おじさんが女性を連れてやってくる。


「ほれ、そこでココアを飲んで……っておろ?」


 髭もじゃおじさんは目を丸くした。


「い、いないじゃないですかぁ!」


 ティアラの声が厨房に響く。

 おじさんは頭を叩いて、笑った。


「こりゃあ、一本取られたなぁ」


 思わず笑いが漏れる。

 ふふ、これでも中身は大人なもんでね。

 まだまだ探検しなくちゃいけないもの。


 笑うおじさんに、べー、と舌を出しておいた。


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