幼女になりました


「困ったなぁ。どうして貴女は、こんな簡単なマナーも分からないんだ?」


 幼き日。

 王宮のある一角で、わたしはエルダー殿下とお茶をしていた。

 聖女は結婚するまで、神殿で暮らすことになっている。

 だから年に数度ある殿下とのお茶会は、わたしたちが交流を持つための、非常に貴重な時間だった。


 けれどそんな貴重なお茶会だというのに、わたしは手が震えて、ティーカップをひっくり返してしまったのだ。

 あたふたとするわたしに、殿下は呆れたような目をしていた。


「プレセア。たとえ粗相をしたとしても、すべて後始末は女官たちに任せるんだよ。床に落ちたカップを拾うなんて、はしたないことだ」


 床に座り込んでいたわたしを見下ろして、殿下はため息を吐く。


「どうして貴女はそんなに落ち着きがないのかな。手なんていつも震えてるし。それにもうすこし、表情も改善した方がいいと思うよ。貴女はあまりにも笑顔が少ない」


 ……だって、体中が痛い。

 体の中から、針で刺されているみたい。

 それでも大神官さまから、苦痛を顔に出すなって、言われた。それが聖女なんだって。

 痛くて、笑うことはできない。

 だけどせめて、痛みを感じている素振りなんてしないようにって、いつもなんとか表情を取り繕っている。これがわたしの、せいいっぱい。


 わたしは悲しくなって、殿下に頼み込んだ。


「からだが、いたいんです。おねがいです、殿下。これをどうか、外してください……」


 痛い。痛いよ。

 もうこんなのはいや。

 毎日食べ物の味もしない。眠りも浅くて、数十分おきに目覚めてしまう。

 それでもわたしは聖女だから、結界を張り続けないければいけない。

 そうじゃないと、この国の人が困ってしまう。

 だったらせめて、このサークレットを外して……。


「大げさだなぁ、君は」


 エルダー殿下は苦笑してため息を吐いた。


「サークレットをつけるだけで、そんなに痛むわけがないだろう?」


「でも……」


「母上はそのようなこと、一度も言わなかった。出自が孤児院だからって、マナーがなっていないことや、勉強ができないことの言い訳には、ならないんだよ?」


 貴女はもう、王宮にあがって何年も経つのだから、と殿下は言う。


「それは、妃殿下に魔力がなかったから……」


 わたしがそう呟くと、殿下の目は細くなった。


「本当なら到底ありえないような身分から貴女は聖女となり、私の婚約者となった。それがどれほど幸運なことか、分かるかい? それなのに君はまだ、魔力をいいわけにするなんて……それはただの、甘えじゃないのか?」


「あま、え……」


「ああ、嫌だな。どうしてこのような下賤の血を、王家に引き入れなければならないのか」


 殿下はぽつりとそう漏らした。

 失望したような顔で、わたしを見下ろすその冷たい瞳。

 その瞳がわたしを嫌っていることを、何よりも物語っていた。


 だけど、殿下。

 わたしだって、聖女になんてなりたくなかった。

 こんな痛みを抱えて生きるくらいなら、あなたの妻よりも、貧乏でいいから自由に生きたかった。


 きっと、わたしたちは分かり合えないのだろう。

 殿下は、聖女になることが光栄なことだと、思っているから。

 聖女になること、国母となることは幸せなことだと、何一つ疑っていないから。


 体中が痛い。


 こんな体じゃなくって、前みたいに、自由になんの責任のない子どもとして、遊びまわれたらいいのに。

 聖女の修行も、マナーレッスンも、勉強も。


 全部全部放り出して、楽しいこと、いっぱいしたいな──。



 ◆



「あぁ、人間の子どもって可愛い〜! ほっぺなんて、ぽにょぽにょだわ!」


 ぽにょぽにょ。

 ほっぺを何者かにつつかれて、わたしの意識は夢の中からゆっくりと浮上した。


「ん……?」


 な、なに……?


 目を開けると、見知らぬ天井……というか、天蓋付きベッドの天井が目に入った。

 見事な銀糸の星座表が、天井に縫い付けてある。


 なんだこれ。

 ここ、どこ?

 体がうまく動かない。

 わたし、なにやってたんだっけ……。


「あ! お目覚めですか!」


 くしくしと目をこすっていると、わたしの顔を誰かが覗き込んだ。

 わたしはぎょっとして変な声をあげてしまう。


「えっ?」


 長い髪をポニーテールにした、綺麗な女の人。

 オラシオン城のお仕着せとは違う、別のタイプのお仕着せを着ている。

 けれど、びっくりしたのはそこじゃない。


 頭ににょっきりと、生えていたからだ。

 キラキラと光る、くるんとした小さなツノが。 

 おまけに、髪の毛と瞳の色はアメシスト色。

 

 明らかに彼女は、人間じゃなかった。


「まあ〜! なんて綺麗な瞳なのかしら!」


 女の人はわたしの瞳を覗き込んで、うっとりとため息を吐いた。

 き、きれいって言われちゃった……。

 今までそんなこと、言われたことなかったのに。


 目をパチパチとさせた後、わたしは重い体に鞭打って、なんとか起き上がった。

 目をキラキラさせていた彼女だったけれど、ハッとしたように、体を起こすのを手伝ってくれる。


「体の調子はどうですか? どこか痛い場所はありませんか?」


「だいじょうぶ……」


 でもわたし、何してたんだっけ……。

 確か、雨が降り出しそうな日の朝に、処刑されて……?

 ああ、そうだ、わたし、あの谷に落ちたんだ!


 思わず自分の体を抱きしめた。

 怖い記憶が蘇る。

 ぽっかりと口を開けたあの闇の中へ落ちていく記憶は、背筋を凍らせた。

 ……けれど今、わたしの体はしっかりとここに存在している。

 幽霊みたいに、透けたりもしていない。


 なんでわたし、生きてるんだろ……?


「あの、ここは? わたし、なんでここに……」


 女の人は目をぱちぱちと瞬かせたあと、気づかわしそうな顔をした。


「ここは魔界の魔王城ですわ。詳しい事情は私も分からないのですが、あなたは、人間の世界から落ちてきたところを、魔王様に助けられたようなのです」


「……は?」


 まぁたまたぁ。

 なにをそんな、真剣な表情で言っちゃってんの?

 魔王とか魔界なんて、生身の人間が行けるわけないじゃん。


「私は魔人族のティアラと申します。魔王様の命令により、あなた様のお世話をさせていただくことになりました」


「お世話?」


 神殿にいたときですら、自分のことは自分でやってたぞ……。

 

「事情は私もわかりませんが、陛下はしばらく、あなたをここで安静にさせるようにと命じられました」


 え、え〜、なんじゃそりゃ。

 魔界とか魔王とか、やっぱり信じられないよ。


 ティアラは眉を寄せて、言った。


「けれど、その……あなた様には元々暮らしていた場所がありますよね?」


 そりゃあるけど、絶対絶対戻りたくないよ。

 途端にぶんぶんと首を振るわたしに、何かを察したのか、ティアラはなにも言わなくなった。


「……事情はわかりませんが、でも、こんな小さな子どもをほっぽりだすなんて、最低ですわ。体もこんなにやせ細って……」


 ティアラはわたしを痛ましそうに見た。

 小さな子どもって……わたしもう十五歳だよ。

 成人してるよ。


 と思ったところで、そういえばなんだか、いつもより視線が低いことに気づいた。

 声も若干、高いような気がするし……。


 視線を下げれば、自分の手が目に入る。

 誰かが着替えさせてくれたのか、袖に可愛らしいフリルがあしらわれた、質の良い寝巻きを着ていた。なんだか高級そう。わたしなんかが着ちゃっていいのかな。

 って問題はそこじゃなくて。

 裾から出ている、ちっちゃなぽよぽよした手。


 ……。


 …………!?


「んん!?」


 わたしの手、こんなに小さかったっけ!?


 ほっぺに手を当ててみる。

 なんだかふにふに。

 めっちゃ柔らかい。 


「安心してくださいませ。ここには可愛いぬいぐるみも、美味しい食べ物も、いっぱいありますからね!」


 ティアラは、どこから取り出したのか、ふわふわとしたウサギとクマのぬいぐるみを両手に持って、揺らしてみせる。

 その顔はなんだかデレデレで、まるで子犬とか子猫とかを見たときの顔にそっくりだと思ってしまった。


「ほぉら、ウサちゃんとクマくんですよぉ〜」


 いやいや、やめてやめて!?

 十五歳の成人女子にそれはきついぞ!


 と思ったわたしだったけれど、ふとウサギの目に縫い付けてあった、キラキラと光る宝石に目が止まった。 


 宝石に映るのは、間抜けな幼子の顔。

 五歳くらいだろうか。

 なんだか、昔の私に似てなくもないような……。


「え」


 ま、まさか。

 わたしが頬を手に当てると、宝石の中の幼女も同じような仕草をする。


「えーーーっっ!?!?」


 わたし、ちっちゃくなってるーーーー!?


 ◆


「はい、熱いですからね。ふうふうしましょうねぇ〜」


 破顔しながらふうふうとリゾットを冷ますティアラを横目に、わたしは頭の中で、これまでのことを整理していた。


 ①まず、わたしはオラシオン国の元聖女・プレセア。十五歳。

 ②異世界から本物の聖女がやってきたので、聖女をクビになった。

 ③んで、なんか聖女をいじめたとかで、『刻戻りの谷』に突き落とされ、処刑されちった。

 ④飛行魔法で逃げるつもりが、結局土壇場で魔法を使えなくて、そのまま落ちちゃった。

 ⑤目がさめると、幼女に。おまけにここは魔界の魔王城らしい……。

 

「はい、あーん」


 ⑥そしてリゾットはうまうま。


 以上が、わたしが実際に体験した出来事である。


 はふはふと熱いチーズリゾット(三杯目)を食べながら、わたしは考える。


 どうやらここは、本当に魔界らしい。

 なんとなく、空気で分かった。

 この世界には、人間の世界で悪しきものとされている『瘴気』が濃く漂っている。長年結界を張っていたから、瘴気の感覚はよく分かるのだ。


 それにティアラの見た目も、明らかに人間のそれとは違うし。

 ティアラは平気で魔法を使っていた。

 リゾットを温めるのに、小さな炎のようなものを生み出して、専用の道具──魔道具というらしい──に着火していたのだ。

 人間界では、魔力持ちのひとは絶対に見知らぬ人の前で魔法を使ったりしない。

 通報されて、収容所へ入れられるかもしれないからだ。


 何よりも、窓の外に奇怪な生き物たち(ドラゴンというらしい……)がビュンビュンと飛び交っているのを見て、ここは人間界じゃないんだ……という答えにいきついた。


「さあ、このティアラがしっかりお世話して差し上げますからね! たくさん食べて、たくさん眠っていれば、そのうちに体もよくなっていきますよ」


 ほっぺについた米粒をティアラに拭われる。

 今の幼女なわたしには、ほっぺに米粒がついてるのかも、判別できない。

 手の感覚も鈍くて、以前よりずっと不器用になってしまった。多分文字とか絵も、今書いたら子供っぽいものになってしまうのだろう。


 ああぁ……なぜこんなことに。

 刻戻りの谷は魔界に通じてるって伝承があったけど、まさか本当だったなんて、思いもしなかったよ……。

 もしかして、こんなに小さくなっちゃったのも、刻戻りの谷のせいなのかもしれない。

 っていうか、魔王はどういうつもりでわたしを助けたんだろう?


 疑問がたくさん出てくる。

 それと同時に、冷や汗も大量に浮き出てきた。


 人間界と魔界は非常に仲が悪い。

 魔族は結界がなくなろうものなら、すぐにでも人間界に攻め込んで、のっとろうとしているのだと教えられた。



 ……これ、わたしが元聖女ってばれたらやばいやつじゃね?


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