最終話 海風
「終わったな……」
子生が私の肩にそっと手を置いた。
「……」
「お前は荒地との約束を果たしたんだよ」
「でも、荒地は……」
私はそこで言葉に詰まってしまった。振り返るとまだ救急車は到着しておらず、荒地も倒れたままである。これではもう間に合わない。
現実を前にして、とめどなく涙が溢れてきた。私は子生の胸に顔をうずめて泣きじゃくった。
「全部私が悪いんだよ」
「紅葉……」
子生が困惑した表情を見せた。
「私がもっと強ければ荒地は死ぬことなかった!」
「えーっと、紅葉」
「私が油断したせいで荒地は刺されたんだよ!」
「その……荒地のことなんだがな、紅葉」
「え?」
子生が軽く咳払いをすると、後ろを振り返りあごでしゃくった。
「あ……」
なんと、そこには荒地が立っていた。
「ど……え? なんで? どういうことだっぺ?」
私の頭は完全に混乱していた。
「まーあれだ、紅葉の本当の力を引き出すために一芝居打ったっつーことだ」
子生が頭をぽりぽり掻きながら言った。
「芝居? でも確かにリゲルのナイフが荒地の腹に突き刺さってたはず……」
「実はな、あいつ月曜日は必ず『週刊少年ジャソプ』を買ってるらしいんだよ。んでそれを腹の中に忍ばせててナイフを防いだっつーことだ」
週刊少年ジャソプ……荒地は日本を代表する漫画雑誌の愛読者だったのか。確かに来る途中でコンビニに寄っていたが、まさか漫画を買うためだったとは。
「それにリゲルも直前でビビッてあんま深く突き刺してこなかったみたいだぜ。だから荒地は無傷なんだよ」
子生が少し気まずそうに私の頭をぽんぽんと触った。
「まさか……そんな……」
私は絶句していた。喜怒哀の様々な感情が入り交り、何を言っていいのか分からなかった。
「おい荒地! 後はおめーの口から話せよな!」
そう言い残して子生は私から離れた。そして入れ替わりに荒地が私のもとへ歩み寄って来た。
「荒地……」
彼はしばらく黙っていたが、私の目を真っすぐに見据えて話し出した。
「すまなかった紅葉。ああでもしないとお前の本当の力が引き出せないと思ってやったんだ。下手するとお前の命に関わると……」
「いっちゃける……」
「え?」
「いっちゃける(腹が立つ)って言ったんだよ! 私がどんだけ心配したと思ってんだっぺ!」
私は泣きながら荒地に詰め寄った。
「許してくれ紅葉、俺もお前が姉きに殺されるんじゃないかと必死だったんだ」
「もっと他に方法なかったのかよ! もう私生きてられないってあっ!」
そこまで言った瞬間、荒地に抱き寄せられた。
「姉きを救ってくれてありがとう。そして何よりお前が無事で良かったぜ……」
「荒地……」
私は体から力が抜けていった。そして怒りよりも安堵感が私を包み込んでいた。
「かあーっ、見てらんねーなおい」
「いやー、ホンマに二人ともお熱いこって……私には刺激強すぎまっさ」
「でも紅葉すっごい幸せそうな表情だっぺね。ちょっと寂しいけどそれ以上に嬉しいよ」
「オレモハヤクドウテイソツギョウシタイ」
「うっ……」
その時、ガイアが急に目を覚ました。
「姉き」
荒地がガイアに肩を貸し立ち上がらせた。
「ふっ、やはりジャソプを腹に忍ばせてたのか荒地」
「やはり? そんじゃガイアは最初から荒地が刺されてないって分かってたのけ?」
「まあな。こいつの昔の夢は海賊王だったぐらいだからな」
やはり姉弟なのか、お互いのことをよく分かっているみたいだ。ちょっと妬いちゃうな。
「荒地……色々と心配掛けてすまなかった。借宿に負けたことで……昔の自分を取り戻せた気がする」
「そうか……本当に良かったぜ」
荒地が爽やかな笑顔を見せた。その姿を見て思わず泣きそうになってしまった。こうして二人が肩を並べる瞬間を待ち望んでいたのだ。
「それよりも借宿」
「なんだっぺ」
「悔しいが私の完敗だ。これからはお前がホコミナのトップとしてこの学校をまとめるんだぞ」
「いや、マジで興味ねーよそんなの」
「興味が無いと言っても誰かが頭に立つ必要がある。そうしないと他の学校や県内のワル共に狙われる可能性が高くなるんだぞ」
ガイアが真面目な顔で言った。一匹狼だと思っていたが、実は自分以外のこともちゃんと考えてたんだなと感心した。
ただ……私一人でそんな大役が務まるだろうか。ヤンキー世界のことはまだよく分からないし、何より一年生の私がトップになったところで果たして抑止力になるのか疑問である。
でも、もう後には引けないよな……
「分かった。じゃあ……」
私はガイアの顔を真っすぐに見据えた。
**
「ワン、ワン!」
「行ってきます」
私はクロコップの頭を優しく撫でた。
「おーう紅葉ぃ、気ぃつけて学校さいげよ」
「うん」
私はオヤジに手を振った。二日酔いなのか今日は珍しくドヤ顔しなかったな。ちょっと寂しい……
いつもの通学路を小走りで学校へと向かう。桜の花は緑の葉に姿を変え初夏の訪れを告げていた。今日は汗ばむ陽気になるらしい。
バス停ではすでに箕輪と泉が待っていた。二人は私に気付くと手を振ってきた。
「おはよう紅葉」
箕輪が微笑んだ。
「ごめん、遅くなっちまって」
「おはようございます番長!」
「おはよう。ってか泉、その番長っつーのやめてよ。何度も言ってっぺ」
「ああああすんません紅葉さん! どうしても尊敬の気持ちが先走っちまいまして」
泉が慌てふためいて謝罪した。でも少し嬉しそうな顔をしている。
「さ、行くべ」
私は笑顔で歩き出した。
「紅葉さん、おはようございます!」
「姐さん、今日もお綺麗で!」
学校に着くと大勢のヤンキーが私に声をかけてきた。最初は困惑したが今では慣れたものである。
「よ、番長」
聞き覚えのあるアニメ声に呼ばれた。
「子生、ぜってーからかってっぺ」
私が頬を膨らますと子生が可愛い声で笑った。最近モデルの仕事を始めたらしく、ビジュアルに磨きがかかっている。
「ウウ……」
隣にいたベテルギウスが股間を押さえていた。
ガイアとの戦いから一か月が経ち、私はホコミナの番長に就任していた。正直やりたくはなかったが、大切な仲間を守る為ならと決断した。
それに……
「借宿」
振り向くと黒髪美人が立っていた。
「おは……」
「おはようございます番長!」
私が挨拶するより早く泉が大声で黒髪美人に駆け寄った。
「朝から声がでかいぞ泉」
黒髪美人がため息をついた。
「おはよう
私はガイア……こと、鳥栖 美浜に改めて挨拶をした。
一か月前のあの日、私は番長就任に条件を出した。それはガイアにも引き続き番長を務めてもらうということだった。私だけでは荷が重いし、周りのワル共に睨みをきかすという意味ではガイアのネームバリューは絶大なものがあったからだ。
こうしてホコミナは私とガイアの番長二人体制となり、平和が訪れていた。
「あれから一か月だが、どうだ調子は」
「もう慣れちったよ」
「ふふ、お前は強いな」
ガイアがくすっと笑った。以前の不敵な表情が嘘のように優しい笑顔である。
「ただ……私がこのポジションにいていいのかって思うことはあるよ」
「案ずるな、周りも認めている。それにあいつも一緒だしな」
そう言うと後ろを振り返った。
「紅葉」
「おはよう荒地」
私は少し照れながら挨拶をした。ガイア戦後も変わらず私を支え続けてくれる荒地。彼と一緒ならどんな苦難も乗り越えて行けるだろう。
入学当初はこのヤンキー高校に絶望していたが、今ではホコミナで良かったと心から思える。なぜドルナルドが私に『力』を授けてくれたのかずっと謎だったが、多くの大切なものを手に入れた今ならその答えが分かる。
「行こうぜ、紅葉」
「うん」
そう笑顔で答えると、荒地と並んで歩き出した。鉾田の海風を含んだ心地良い風が二人の間を吹き抜ける。
私達は一瞬目を合わせ微笑むと、再び歩き出した。
紅の苺 賀浦 かすみ @sinkun1713
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