第二十七話 冷たい風

 月曜日の朝、いつもより早く目が覚めた。


 私はベッドから降りて大きく伸びをした。関節がごりごり鳴っている。


 窓を開けて朝の澄んだ空気を吸い込んだ。国道五十一号線を走る車の排気音が鳥の鳴き声に混じって聞こえてくる。


 今日の放課後、死の女神ガイアとの対決が待っている。その圧倒的な力でホコミナの頂点に君臨するガイア。彼女は今まで戦ってきた相手と次元が違う。下手をするとこの綺麗な朝日を拝めるのも今日が最後になるかもしれない。


 だが、不思議と私は落ち着いていた。彼女の悲しい過去を知ってしまったからだろうか。


 いたって普通の美少女が転校先でひどいイジメにあい、絶望の中で伝説の格闘家の力を授かった。そして自分の身を守る為にしたくもない喧嘩に明け暮れる日々を送ることになってしまった……私では想像も出来ないような苦しみを味わってきたのだろう。恐怖よりも救いたいという気持ちが強くなっていた。


 ガイアの弟、荒地の為にも……


「おーい紅葉ぃ」

 物思いにふけっていると下からオヤジの声が聞こえた。


「なんだべ、ずいぶん早起きだっぺなぁ」

「うん、なんか目が覚めちってさ」

「そうか。じゃあ気ぃつけて学校さいげよ(行けよ)」

 そう言ってオヤジは手を振りながら軽トラに乗り込んだ。

「うん……」

 私は小さく返事をした。もしかするとこれが最後の会話になるかもしれない……そう思うと少しセンチメンタルになってしまった。


「紅葉!」

 その時、オヤジが軽トラから顔を出して私の名を叫んだ。

「なんだべ」

「なんか雰囲気がいつもと違うな……大人の階段を上っちまったか」

 オヤジが目を細めながら言った。


「は?」

 私は思わずすっとんきょうな声を出してしまった。荒地とニャンニャンしてるとこ見てたのか……


「君はまだ……シンデレラさ……」

 そう言いながらかつてないほどのドヤ顔で軽トラを発進させた。


 私は頭をかきむしりながら一人叫んでいた。


**


「ワン!」

「行ってきます」

 私はクロコップの頭を撫でると学校に向かって歩き出した。



 並木道にさしかかった時、私はふと足を止めて上を見上げた。一週間前は満開だった桜がだいぶ散り、緑の葉が少しずつ存在感を増している。あとひと月もすれば初夏だ。


 来年も満開の桜が見れるかな……そう考えていると、

「あ、来はりましたで!」

「紅葉、おはよう」

 そこには箕輪と泉が立っていた。


「おはよう二人とも。今日はどうしたんだべ」

 私は笑顔で話しかけた。

「どうしたって……あんなことがあったんだもん心配になるべよ」

 箕輪が眉をひそめながら言った。

「そうですよ紅葉さん。うちらから連絡してええもんか分からんかったし……子生さんもめっちゃ心配しとりましたよ」

 泉も同調した。


 あまりにも急展開で色々な出来事があった為、彼女達に連絡するのをすっかり忘れていた。


「本当にいつも心配ばっかかけてごめん。実はあの後ね……」

 私は謝ると同時に土曜日の出来事を伝えた。


「ガイアにそんな過去が……」

 箕輪が両手で口を覆った。

「そんで……紅葉さんはどないしはるんですか?」

 泉が神妙な顔つきで聞いてきた。

「私は……全力でガイアを倒す。それが彼女を苦しみから解き放つ唯一の方法だからね」

 荒地の為にも……と心の中でつぶやいた。

「やっぱ……紅葉は正義の味方だね」

 箕輪が笑顔で言った。泉も嬉しそうな顔をしている。


「さ、学校行くべ。遅刻しっちまうよ」

 私は二人を促し歩き出した。



「おい、紅葉!」

 校門をくぐったところで聞き覚えのあるアニメ声が聞こえた。


「あ、子生」

「あ、子生じゃねーよ! すげー心配してたんだぞ!」

「ごめんね、パニクっちまって。でももう大丈夫」

 私はガッツポーズをしながら答えた。

「ったく……ん? なんかお前、雰囲気変わったな。一皮むけたっつーか……」

 子生はしばらく私の顔をまじまじと見つめていたが、

「ふっ、心配する必要ねーみてーだな」

 と、表情を緩ませると笑顔を見せた。



 教室に着くと荒地がすでに登校していた。

「おはよう」

「ああ、おはよう」

 私達は笑顔で挨拶を交わした。箕輪と泉が少し距離を置いて見ている。


「今日は何があっても見届けてね」

「もちろんだ」

 私達は短い間見つめ合った。多くは語らずとも心は通じている。


**


 六時間目の授業を終える鐘の音が校内に響いた。


「よし、行くべ」

 私はリュックを背負って立ちあがった。箕輪、泉、荒地が黙って頷き、私の後に続いて歩き出した。



 校舎の玄関口で私は足を止めた。そこには子生と黒い壁……ではなくベテルギウスが立っていた。


「待ってたぜ。こいつも一緒に行きたいんだとよ」

 そう言ってベテルギウスをあごでしゃくった。子生の隣で緊張しているのか、ベテルギウスはガチガチになっている。

「カリヤド、オマエヲシンジテイル」

「ありがとう。心強いよ」

 ベテルギウスのロボットのような喋り方に、私は少し笑って返事をした。


 そして、再び決戦の場所に向かって歩き出した。


**


「そろそろかな……」

 箕輪がチラリと腕時計を見た。針が間もなく四時を指そうとしている。


「……」

 私は返事をしなかった。ここに着いた瞬間、さっきまでの落ち着きが完全に消え、全身の震えが止まらなくなっていた。荒地や他の皆が一緒でなければ逃げ出していたかもしれない。


 ガイアが本心で戦っている訳ではないとうことは明白だ。それは荒地の話からも推測出来る。


 だが、ベテルギウス戦後に現れた奴の殺気は凄まじいものだった。全身の骨をバラバラにされるようなあの感覚がとめどなく押し寄せてくる。本当に奴は解放されたいという理由だけで私と喧嘩するのだろうか?


 他にも何か理由があるのでは……


 私は心を落ち着けようと空を見上げ深呼吸をした。その時、ふいに冷たい風が私の頬を撫でた。


「……来やがった」

 子生が低い声でつぶやいた。

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